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第10章 第8話 贅沢病

〇ジン




「よく寝た……」



 わずかな陽の光を感じ、目を覚ます。だが目に映る物は黒くて暗い。いくつも隙間が空いているおかげで光が入ってきたんだ。ということで寝床。公園のベンチの下から這い出てそのままベンチに腰かけた。



 昨夜園咲家を出た俺はなるべく遠くの公園まで歩き、ベンチの下で就寝した。この場所が案外よく、雨風凌げる場所ということで昔からよく利用していた。



 だから何も辛いことはない。公園で寝るのだって二度や三度の話ではないし、ただ少し昔に戻っただけ。そう。何も辛いことなんてないんだ。



「……つら」



 と思ったのが昨夜の最後の記憶。起きれば全身バキバキだし、服や肌には砂や泥がついていて不快感を覚える。夏だが早朝は寒いし、長時間の移動の疲れが脚に溜まっている。そして何より、早苗がいない。心が様々な要因で押し潰されそうだ。



 だが辛い辛いばかり言っていられない。これは俺自身が選んだ道。後悔なんてしていられない。なぜなら生きなければいけないからだ。



 昔はこれを辛いとはあまり感じなかった。生きるのに必死だったから。だからすぐに慣れることだろう。この毎日だってすぐに。



「虫を食べるのだって……!」



 公園のベンチの背もたれに止まっているセミ。昔の俺なら考えるまでもなく掴み取り、その命を貪ったはずだ。だが今、俺は躊躇している。虫を食べるのをためらっている。



 理由はわかっている。学習してしまったからだ。虫を食べるのは変なことだと。生で食べるのは危険なことだと。命を奪うのはよくないことだと。虫よりも美味しい食べ物が、この世にはたくさんあるということ。



 食べたくない。美味しくないんだ、本当に。肉……肉が食べたい……! こんな苦くて気持ちの悪いものではなく、ちゃんと味がして、美味しいものを食べたい。でもその望みはもう叶わない。だから俺は……!



「……川に行こう」



 できなかった。食べなければいずれ死ぬとは知っていても、嫌だった。こんな不味いもの、食べたくなかった。



 だが川なら違う。肉には劣るとはいえ、魚だって充分美味しい。それに飲み水だって手に入るし、身体だって洗える。橋の下なら雨風も凌げるはずだ。



 そうと決めたら早い。ゴミ箱に溜まっていたペットボトルを回収し、公園の水場で飲み水を確保。川を目指して歩き出す。この公園から付近の公園までは歩いて2時間ほどだろうか。今が公園の時計を見た限り朝の4時だから6時には辿り着くはずだ。そこで食糧を確保したら今後のことを考えよう。早苗とは決して交わらない、新しい道のことを。



 そう決意したのが6時間前。川に到着したのは陽も高い10時を回った頃だった。



 2時間というのは俺が脚を怪我する前。左脚が不自由な今、倍では済まないということに気づいたのは歩いて1時間を超えてからだった。



 気がつくまでに時間がかかったのには理由がある。長距離の移動には車椅子や車を使っていた。だからわかっていなかったんだ。脚に障害があるということが、どれだけ不自由なことなのか。俺が今までどれだけ恵まれていた環境にいたのか。全然わかっていなかった。



 脚に障害があっても問題なく日常生活は送れる。だがそれは環境あってこそだ。何もない……存在価値のない者には、環境を手にする資格は与えられない。だからこそ環境を整えることを夢見たわけだが……全然わかっていなかった。それがどれだけ無謀なことか。



 金もなく、家もない。そんな社会からあぶれた者に環境を用意することがどれだけ難しいか。この長時間の移動でそればかり考えていた。早苗のことなんてまるで考えられない。自分のことだけで精一杯だった。



 飲み水ももうない。腹が減った。辛い。辛いことばかりだ。



「早く水を……」



 疲労した脚と杖を持つ手を動かし、川に入る。いや、入れなかった。



「あれ……?」



 気づけば俺は川のすぐ横で倒れていた。指一本すら動かせない。こんなに暑いのに、なぜか寒くてたまらない。たった……たったの6時間だぞ。6時間歩いただけでこんなことになるなんて……。昔の俺なら1日中動き回ってもすぐ勉強に集中できたいたのに。



 勉強は贅沢とはよく言ったものだ。いや、贅沢を勉強してしまったと言うべきか。身の丈に合わない幸福を味わってしまったせいで、こんなにも弱くなってしまった。



「たすけて……たすけて……」



 もう俺に、自分で成功しようなんて気はなかった。誰かに助けてほしい。助けてもらわないと、生きていけない。生きる努力なんて、もう――。



「大丈夫ですか?」



 早苗の声がした。幻聴ではない。間違いなく早苗の声だ。



「さなえぇ……」



 助けを求めるように声を上げる。だが俺の視界に映ったのはあの金髪ではなく。日本人らしい黒い髪の毛だった。



「杏子……さん……?」

「助けにきましたよ、お義兄さん」



 元家族以上に苦手だと言える園咲家五女。小学6年生の超天才が、俺の元に現れた。

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