第10章 第7話 凄み
「ジンくんが家を出ていきました」
私以外の家族にその事実が伝えられたのは翌日の朝食時。何の気なしにジンがいないことを訊ねた愛菜の言葉で発覚した。
「……ちょっ、また喧嘩したの? どうせすぐ仲直りするんだからさっさと連れ帰してね。あたし今日夏休みの宿題見てもらう予定だったから」
園咲家やメイドたちが固まる中、訊いた張本人の愛菜がいつものことだと軽く笑う。だがそうではないのだ。
「いいえ、今回は私も納得の上です。ジンくんが帰ってくることはありません」
そう淡々と告げ、早苗は左手の甲を見せる。ここにいる人たちならみんな見覚えのある指輪がないことに気づいたはずだ。今も尚いつまでも未練がましくあの指輪を嵌めているのは私だけ。早苗とジンは納得している。納得してしまっている。
「もしかして……れいのせい……?」
だが当の本人たちはすぐに受け入れられるはずがない。まず初めに思うのはどうすれば2人を元に戻すことができるか。そしてそれを考えた時一番に挙がるのは昨夜の玲の行動。ジンの兄を彼氏だと連れてきた玲だ。
「れい……別れる……。ジンさ……お義兄さんがいなくなるくらいなら……れいが……!」
「原因とまで言うつもりはありませんが、要因の一つではありますね。ですが玲が気にすることではないですよ。今さら玲が別れてもジンくんが帰ってくることはありませんから。私たちのことなど気にせず幸せを満喫してください」
「そんな……でも……!」
「ううん……玲ちゃんは悪くない……。悪いのは……ルナだよ」
確かに瑠奈も要因の一つではあるだろう。1ヶ月前、玲のためにジンを傷つけた。
「あ……あたしのせいかも……。宿題見てもらうのをお願いした時に……きついこと言っちゃったから……」
誰が悪いか。それを考えた時、終わりなどあるはずがない。常に誰とでも仲良くなんてできるはずがない。どれだけ仲が良くてもちょっとした価値観の違いやその場の言葉の選び方で人を傷つけることはあるものだ。だから直接関わっていない愛菜がそう思うのも無理ないだろう。
でも本当の原因になったのは私だ。ジンは悪くないのに、私の悪事の言い訳にジンを使ってしまったから。それが回り回ってジンを追い詰めることになってしまった。そう。悪いのは私。でも言えない。この場で私が悪いなんて、私が犯人ですなんて、言えない。それが罪悪感を加速させたとしてもだ。
「やめなさい」
まるで懺悔するかのようにそれぞれが原因を自分に求めているところに、園咲家当主。龍さんの一言が響いた。
「何がジンを追い詰めたのか。それを明らかにするのは大切なことだが、問題はそこではない。一番大切なのはジンの安全だ。今どこにいて、どうやって連れ帰るか。それだけを考えよう」
「既に問題はそこにはありませんよ。ジンくんは帰らないと決めたんですから」
「確かに早苗やジンはそう決めたのかもしれない。だが2人ともまだ子どもで、私は2人の親だ。子どもを守る責務がある。誰が何と言おうがジンは連れ帰る。これは絶対だ」
「……そうですか。……その方が、いいと思います」
普段龍さんは早苗やジンにあまり口出ししてこない。恋に生きた過去があるからだろうか。いつも優しく、その恋の成り行きを後ろから見守っている。
でも今の龍さんは、その姿からはある意味で正反対。厳格な父親……それも違うのだろう。
代々続く名家。園咲家当主。この人は間違いなくその立場にふさわしいと思わせる凄みがその全身から溢れ出ている。
そしてそれと同時に気づく。
「なら私が園咲家次期当主になります」
早苗もまた、その血を間違いなく引いているのだと。
「ジンくんには誰にも負けない努力という才能があります。そしてそれを発揮するには充分な環境が必要。存分に勉強ができる環境を用意するのは私の本望です。ですが私とジンくんの人生が交わることは二度とありません。……できることなら、もう顔も見たくない……戻りたくなるから。ですので私は学校を辞めて、次期当主としての勉強を始めます。これだけは絶対に譲れません」
まだ何も決まっていない。決まってはいないが、なんとなく武藤家では。順番ではなく、能力的に杏子が次期当主として内定していた。そしてそれを誰もが納得していた。私もその方がふさわしいだろうと思っていた。だが。
「斬波。ジンくんがいなくなった今、あなたの役目はこの家にはありません。なので玲の彼氏、エターナルさんの面倒を見なさい。これは命令です。それが嫌なら、今すぐここを出ていきなさい」
今の早苗をふさわしくないと否定できる者など、この世のどこにも存在しなかった。