第10章 第6話 私のハッピーエンド
〇斬波
ジンが帰ってこない。夕食後から姿を消し、もう夜11時。ジンや私はまだだが、寝る時間と言って差し支えないだろう。
まぁこういう日も珍しくない。グレース、侑の晩酌に付き合ったり。玲、瑠奈とゲームをしたり。愛菜、熱海の勉強を見たり。杏子、風花と話し込んだり。さすがに小3の来海、冬子とこの時間までいることはないけど、早苗の両親。龍さん、シューラさんと話している時もある。よく4ヶ月ほどでここまで園咲家の中に溶け込めたものだ。ジンを家族じゃないと言う人なんてもうこの家にはいないだろう。
でも一番可能性が高いのは、早苗の部屋。この時間まで帰ってこないってことは厳しい未来はいないのだろう。だとしたらおねむの早苗が見られるな……。ナイス、ジン。
「ジン、迎えに来たよ」
うとうとしている姿を想像しながら早苗の部屋をノックする。すると少しの間を置いて扉が開いた。
「……斬波、ですか」
「……なんかあった?」
私の目に飛び込んできたのは眠気とは程遠い早苗の表情。泣き腫らし、死にそうな瞳でどこか遠くを見ている姿だった。
「ジンが何かした?」
「……別れました」
「はぁっ!? あーお兄さん関係か……。元家族のことになると情緒不安定になるから……。それで、今ジンはどこ?」
「……さぁ。どこか遠くだと思います」
「まったく……。じゃあ私探してくるから。何かあったらすぐ連絡するから寝てていいよ」
「いいえ……結構です。見つかるはずがありませんから」
ジンが早苗と別れたいと言い出すのは決して珍しいことではない。テストで良い結果が出なかったり、ちょっと強く言い過ぎちゃっただけで自暴自棄になって逃げ出そうとする。その度に律儀に悲しむ早苗だけど……今回はなんか、違う。何がとは言えないが、いつもと、全然、違う。
「……とりあえず探さないとね。すぐ見つけてくるから待ってて……」
「斬波、私と付き合いましょう」
早苗の部屋から出ようとした私の脚が止まる。そして何か思考するより早く、身体が自然と早苗に向いた。
「これが私とジンくんの決断です。これで私たち以外みんな幸せになれるでしょう?」
相も変わらず死んだ瞳でそんなことを言った早苗を。私は、はたいた。頬を手のひらで。
「……早苗、せっかくの申し出で悪いけどさ。冗談でもそんなこと、言われたくない」
「ふっ。何を善い人ぶってるんですか。これが斬波のしたかったことでしょう?」
ようやく気づいた。早苗の瞳は死んでいない。濁ったその奥底に。軽蔑の色が、私を見下していた。
「……1ヶ月前のこと? 何度も説明したけどあれはちょっと八つ当たりしちゃっただけで……それにあれは玲の独断だし……。私はただ今なら付き合えるかもって教えただけで、絶対に止める気でいて……裏切ったわけじゃ……!」
「散々人を貶めておいて、実際にそれが起きたらそのつもりはなかったですか。……勝手ですね。本当に勝手です。そんな人のせいで……私は……!」
そしてさらに、気づく。早苗の左手の薬指に指輪がないことに。遠くのテーブルに、ジンが持っているはずのものも含めた4つの指輪が置いてあることに。それが意味することはジンだけではなく、早苗もそれを外すことを決めたということ。
「早苗……ほんとに別れたの……!?」
「だからそう言ってるじゃないですかっ!」
叫んだことで決壊し、涙が溢れ出す早苗の顔を再びはたく。叩かざるを得なかった。
「馬鹿じゃないのっ!? 悲劇のヒロインぶってこんな……馬鹿なこと……! こんな結末、誰も望んでないでしょっ!?」
「だからっ!」
一際大きな叫びが部屋だけに収まらず廊下にまで木霊し。
「斬波のハッピーエンドは……こういうことでしょ……!?」
私は膝から崩れ落ちた。
「ちが……違うんだって……! 私はこんなこと望んでない……!」
「何が違うんですかっ!? 私と付き合いたいってことはつまりこういうことじゃないですかっ! あぁなんでしたっけ。私じゃなくてジンくんでもいいんでしたっけ? やっぱり勝手。どっちにしろ、こういうことじゃないですか」
その通りだった。言われなくてもわかっていたはずなのに、見ないふりして。どうせ叶いっこないからと勝手にふてくされて。悲劇のヒロインぶっていたのは私の方だ。私の、せいで。
「斬波なんて嫌い……だいっきらいっ! 斬波のせいで……ぅぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」
私と同じように膝から崩れ落ち涙を流す早苗を見て私は。涙を流す権利すら存在しなかった。