第1章 第12話 不穏
「どうされました? お義兄さん。急に固まってしまって」
園咲杏子、小学6年生。6姉妹の中で唯一園咲家当主である父親の黒髪、つり目といった身体的特徴を継いでおり、品行方正、頭脳明晰、文武両道。あらゆる賛美の言葉が全て当てはまる、いわゆる神童というやつだ。
それ故に昔から付き合いのあるお偉いさんや武藤家からは次期後継者として非常に期待されており、実質的長女に当たる早苗さんを抑えて最有力候補なのだという。
出会って数時間の俺から見てもその認識はほぼ同じ。比較対象がギャル、天然、人見知り、ツンデレ、子どもといかんせん弱いが、それを差し引いても他の姉妹とは雰囲気が違う。クソ家族のせいで出会ってきた弁護士やインテリ系ヤクザといった、とびきり優秀な人間と纏っている空気が同じなのだ。小学6年生なのに。
「そんな緊張しないでくださいよ。私たちはこれから家族になるんでしょう? 隠し事はなしですよ。仲良くしましょう?」
見た目の幼さとは裏腹に上品に笑いかけてくる杏子さん。まずい……このタイミングでの登場は非常にまずい。俺は勉強はできるし交渉も上手くやれる自信がある。でも根本的に。地頭があまり、よろしくない。親があれだからな……容量の少ない脳みそに勉強だけを詰め込んだだけだ。そんな半端者が本物に敵うはずもない。
だからこの子を敵に回したら、俺は追い出される。何とか取り入りたいところだが……余裕そうに微笑むその顔は俺の考えを全て見透かしているように見える。一旦心理的にも物理的にも距離を取るか……。
「ごめん、オムライス食べていい?」
俺はそう言い、愛菜さんや杏子さんから離れて元の席に戻ろうとする。足の遅さもあるが、すぐ近くなのに席がやけに遠く感じる。ここまで緊張するのは久しぶりだな……。
「杏子ちゃん、あれってどういうこと?」
後ろを警戒しながら松葉杖でゆっくり戻っていると、杏子さんの後ろからセミロングの髪にヘアピンをつけた、杏子さんと同じくらいの年齢のメイドがひょっこりと顔を出した。
「たぶんだけどね、風花。味方がいるところに行きたかったんじゃないかな。何かと庇えてもらえるし、遠くからなら私の視線とかから思考を読み取りやすくなるし。あとは早苗姉さんのご機嫌取りも目的だと思う」
「さすが杏子ちゃん! 何でもわかるんだね!」
「どうだろう、あんまり自信ないかな。早苗姉さんが選んだ人だからね。きっと私の想像なんか超えてくるよ」
くっそ全部ばれてる……しかも俺のフォローまでしやがった。いいとこのお嬢様は本当に格が違うな……。
「あの……ジンくん。さっき愛菜にやったみたいに……私の頭も撫でてくれませんか?」
「ああ、もちろんだよ」
「ぇへへ……」
対して俺に頭を撫でられて蕩けている早苗さんはかわいいな……。これはこれで大物だとは思うんだけど、比べればやはり軍配は杏子さんに上がるだろう。
「あ、あのっ。朝、来海にやったみたいに抱っこもしてほしいんですけど……」
「うん、おいで」
「ぅへへへ……」
椅子に座り、早苗さんを膝の上に乗せて思考する。本当なら飯を食うことで向こうのペースに合わせないようにしたかったんだけどな……こうなった以上仕方ないか。
「杏子さん、もちろん俺も君と仲良くしたいよ」
「そう言っていただけてうれしいです。仲良く、しましょうね」
お互い腹の探り合いのような中身のない会話をする。まず杏子さんの目的を知りたいところだが……おそらくそれは俺の本性を知ることだろう。早苗さんも斬波も、姉妹はみんな良い人だと言っていた。だから問答無用な排除というよりは俺が危険な人間かを確かめたいんだと思う。とりあえず今の含みのある言い方はハッタリかな。次は俺の方から仕掛けてみるか。
「早苗さん、俺杏子さんに警戒されてるかな」
馬鹿正直に話し合っても丸め込まれて終わりそうな気がする。だから俺ができることは飛び道具。早苗さんを利用して相手の出方を窺う。
「そんなことないと思いますよ。杏子はとっても優しい子です」
「ううん、姉さん。正直警戒してる」
ここで正直に来るか……。俺のやり方が先回りで潰されてるような感じだ。
「杏子、ジンくんは良い人……ではないですね。私と同じで悪い人な側面もあると思います。でも信用できる方ですよ」
「私もそう思ってるよ。お義兄さんは信用できる人。悪い人だなんて全然思ってないよ。でもね、誘拐犯が見つかってないよね?」
ここで誘拐犯の話……? もしかしてこの子、あの誘拐未遂すら俺の自作自演だと思っているのか……? そこまで疑っているのなら都合がいい。ここには早苗さん、玲さん、愛菜さんとそのメイドたちがいる。この大人数の前で人を犯罪者呼ばわりはさすがに失礼というものだ。その失礼をあえて責めずにフォローに回る……これで俺の印象はよくなるし、杏子さんに恩を作れる。この方向で立ち回っていこう。
「杏子さ……」
「早苗姉さん。姉さんがたまたま一人になって、そのタイミングで誘拐されかけるなんてずいぶんできすぎだと思わない?」
「それは……そうかもしれませんが……」
「もちろんたまたまかもしれない。でもそれが偶然じゃないのなら。犯人は意外と近くにいるんじゃないかな」
確かに……そうかもしれない。いや、間違いなくそうだ。作戦なんてひとまずどうでもいい。早苗さんを邪魔とする勢力がいるのは杏子さんを通して知っていたというのにどうしてそこに思い至らなかった……! となると実行犯は……。
「そういうことです、お義兄さん。私はお義兄さんと敵対するつもりはありません。本当に仲良くしたいと思っているんです。それなのにそう警戒されたら……少し困ってしまいます」
「っ……!」
してやられた……! 誘拐の話は俺の思考を妨げるための罠。そして結論に持っていくための誘導だった。本命は俺が何かを企んでいると周りに思わせること。俺の態度がさっきまでとは明らかに違うことは周りも気づいているはず。それは杏子さんへの警戒心故だが、当人以外それを知る術はない。きっと斬波たちは杏子さんの話も合わせ、俺が誘拐に何か関わっているのではと多少なりとも考えるだろう。これで俺の動きは大幅に制限されることになる。なんとか杏子さんが来る前にあれを回収できてよかった。
「ああ……悪かった。早く早苗さんの姉妹に認められたいと思って逸りすぎたよ」
「ええまったくです。お義兄さんはそそっかしいですね」
これ以上裏をかこうとすれば疑いがより強くなるだけ。ここは黙って引き下がるしかない……完敗だ。きっと顔にも出ていたのだろう。俺を一瞥した杏子さんが初めて年相応のドヤ顔を見せると、改めてみんなを見渡した。
「何にせよ、みんな気をつけてほしいんだ。私の考えが正しければ、敵は園咲家に入り込んでいる。だから必ず1人にならないで。主とメイドの二人一組は守るようにしよう」
そうだ。俺が小6に負けたことなんてどうでもいい。あの話が俺を釣るための罠だったとしても事実は変わらない。
園咲家内部に誘拐犯がいるのだとしたら、杏子さんの行動すら筒抜けになっていてもおかしくない。唯一敵が内情を知らないのは部外者である俺。俺が早苗さんを守らなければならない。この命に代えてもだ。




