第8章 最終話 1ヶ月の努力
今まで積み重ねてきた努力が全て無に帰す、という経験を俺は何度もしてきた。勉強はもちろんのこと、ある意味で言えば脚もそう。そして1ヶ月間だが、勉強を忘れるほどに熱中していた応援団。これまで積み重ねたものが消えるわけではないが、やはり結果が出ないというのは何よりも心にくる。そしてその痛みは時間が経てば経つほど、鋭く深くなっていく。
「今ごろ打ち上げか……」
今日は2日ある体育祭の最終日。体育祭が終わればクラスで打ち上げをし、その後は応援団での打ち上げの予定だった。だが俺がいる場所は病院の個室。広くて快適で勉強に集中できるのはいいが、普段斬波と同じ部屋で暮らしているということもあって心細い。そして早苗と会えなくなるとやはり精神がおかしくなってくる。悪循環に次ぐ悪循環。幸せを掴むために始めた応援団が、こんな末路。俺らしいといえば俺らしいが……。
「ジンくん、身体の調子はどうですか?」
再び勉強に身を投じようとすると、病室の扉が開き早苗に斬波、未来さんが入ってきた。
「……打ち上げは?」
「既に顔を出してきました。そしてこれを預かっています」
喜びを顔に出さないように努めながら訊ねると、早苗がカバンから分厚い四角形の紙のようなものを差し出してきた。そこには様々な筆跡が入り乱れており、クラスメイトたちの名前と俺を気遣うような言葉が書かれている。
「……なにこれ?」
「これは寄せ書きと言ってですね、クラスの方々のジンくんへの想いが書かれているんです」
「山村の発案だけどね。まぁあいつにしてはまともなチョイスじゃない?」
「斬波さん、失礼ですよ」
寄せ書き……寄せ書きかぁ……。
「ありがとう……すごい……うれしい……」
「はい。明日伝えておきますね」
正直これを渡された時、俺はあまり心を動かされなかった。体育祭の準備で関わりができたが、それでもまだたいした会話を交わしたわけではない。知り合いの域からは抜け出せない人たちから何か言葉をもらったところで、出てくるのはお世辞程度。そのはずだったのに。
心の痛みと同じだ。時間が経つと共に、深みが増していく。うれしくないと思っていたのに、胸にあふれてくるこの感情は幸せという他なくて。言葉では表せられないほどに、不思議な感覚だ。
「ということで私たちの打ち上げ会場はこの病室です! いっぱいお話しましょうね!」
早苗の性格的に、俺の状況を見て平気ではいられないはずだ。それでも笑顔を作った早苗に微笑みを返していると、
「須藤、大丈夫か?」
「団長……みんな……!」
言葉の洪水を伝えてきたクラスとは対照的に、人の波を作った応援団のみんなが病室に流れ込んできた。
「あれ? もしかして俺たち邪魔だった? ハイウェイスター的なやつ?」
「違う。彼女は1人だけ。後はクラスメイト」
何か勘違いしている団長に、それに答える江草さん。後ろの方では玲さんや熱海さんがなぜか複雑な表情をしている。
「個室みたいだしせっかくなら打ち上げ病室でやるぞーって思ったんだけど……日を改めるか」
「個室と言っても病院ですので。騒がしいのはお控えください」
「いいえ。少しくらい構わないでしょう。当然静かにはしてもらいますが、ジンくんに話しかけてあげてください」
いつも通り未来さんが冷たく言い放つと、早苗が急に帰り支度を始めた。
「今日ばかりはジンくんを幸せにするのは私ではないようです。ジンくん、これが1ヶ月の努力の成果ですよ」
「ちょっ……早苗……!」
俺の制止を聞くこともせず、早苗たちが病室から出ていく。俺の大切な人たちの代わりに残ったのは、1ヶ月だけの付き合いの人たち。
「よし、改めてだ。須藤、脚の怪我大丈夫か? 応援団の方は完璧! お前ががんばってくれたおかげで最高のものができた!」
「動画撮ってきた。見るでしょ?」
早苗と会いたかった。斬波と話したかった。未来さんに早苗のことをお願いしたかった。
「……はい。ありがとうございます」
それでも俺は今。とても幸せだった。