クローゼットハウス
「男って、なんで昔の事であんなにイきれるの?」
いつだかの合コンにて適当に話していた娘の、鋭くなったアイシャドウを思い出す。そしたら、なんだか僕は苦笑いした。
大手チェーン店の家具屋を冷やかしていたら、大きなクローゼットを見かけた。
無味乾燥な、倉庫みたいな様式な店内を、これまた淡泊に真っ白な照明で上塗りした、寒々しい店内。その中で真っ黒なクローゼットは、いっそ木炭のようで、近づけば肌が温さを感じそうな、そんな気がした。
黒いクローゼットは大きい。大きな二つの扉が、広いであろう内部を隠すように閉じている。ちょうど学校にある、掃除用具を入れておくロッカーを、横に二つ並べたような、そんな形。
そっと、扉を開けてみる。
やっぱり、小学校低学年くらいの子供が、すっぽりと二人納まりそうな広さだ。当然、服だって二十着は収まるだろう。このクローゼットは、着やせするタイプなのだ。
僕は、大きなクローゼットに想い出がある。小学校低学年だった時の頃のものだ。
十数年前の僕には、Aという女の子の友達がいた。酷い恥ずかしがり屋で、ハニカミがピークに達するとベソをかきだすような、そんな子だった。何がきっかけなのかは忘れてしまったけれど、その子とは仲が良かった。
僕は、よくAを自分んちに招いて、一緒に遊んだものだった。僕の両親は共働きで、家にはいないことが多かった。
そういう時、僕達は家にある大きなクローゼットの中に一緒に閉じこもり、たわいもない噂話や内緒の話をしたものだった。子供の頃はなんだって大きく見えたし――時には妙に小さく見えることだってあるけれど――家の大きなクローゼットは、沢山の服が吊るされてヒダを作ってもなお、秘密基地だとか、ホラーゲームなんかでよくある隠し部屋として見立てていた。
Aとは、そこで色々な、そして今となっては他愛もない秘密の話をした。
Nが、授業中にこっそり鼻くそを食っていた、だとか。
SはJのことが好きなんだ、とか。
Dが、こっそり煙草を吸ったらむせて親に殴られた、とか。
クローゼットは、西日が当たる部屋にあり、中は蒸し暑くなる。木製の少し饐えた臭いを押しのけて、Aのシャンプーの甘ったるい匂いがした――その頃の僕には甘やかにすぎた。
お喋りを終えて扉を開けると、部屋の中の埃が茜色の陽光に照らされているのが、当時は綺麗だと思った。僕達の前髪は、いつも汗で前髪にぺったりとくっついていた。Aは、僕から顔を反らしながらもニヤっと笑って「また明日ね」と言って帰っていく。いつものように。
ある時、いつものように僕んちにAを招いた時のことだった。Aは、いつもの――ベソをかく前みたいな緊張感を放射させながら、部屋に上がった。
「ねえ、内緒の話があるの」
そして、僕達はいつものようにクローゼットの中に入った。
狭い真っ暗闇の中。Aの胸の鼓動が熱を帯びた波動となっているよう。その時は一段と暑かった。がらんどうの中が、彼女の髪の匂いでむしていく。
「ねえ、内緒の話って、何があるの?」
僕が迂闊に急かしても、Aはすぐには応えなかった。
どれだけの時間が経ったろうか。一分だったような気がするし、十分くらいだったような気もする。クローゼットの中では、時間が止まっているのかもしれないと思った。だから服だって朽ちないのだ、と。
そして、僕とAとの内緒の話は、彼女の一言で終わった。
Aは、クローゼットの扉を開けて、玄関の靴をつっかけて、逃げるように僕の家から出て行ってしまった。
クローゼットの中から、僕はあ然と黄金の光を見つめていた。頬から頭のてっぺんまで血潮が通って。西日に炙らされて。どこまでもどこまでも熱くなるような、そんな気がした。
これが、僕とAとの、最後の内緒話。
それからというものの、僕とAとの距離はうんと離れてしまった。学校でも、Aは僕を見るなり顔を真っ赤にして、僕から離れてしまう。僕にしても、彼女を追いかけるべきなのかどうか分からなかった。
僕らがしていた内緒話の通りだ。クローゼットの中の僕ら以上に僕らが近づけば、僕らも噂話や内緒話のタネになってしまう。そうなったら、シャイなAはオーバーヒートして死んでしまうかもしれない。
僕は、それでも追いかけてあげれば良かったのかもしれない。その後、どうなるかなんて分からないにしても。
中学に上がった時には、通う学校も違って、お互いがお互いを分からなくなってしまった。その時は、携帯もなかった。なかったというか、中学生風情が持つには未知が過ぎるデバイスだった。
今、Aはどこで、何をしているんだろう。当然、誰かと恋に落ちたりもしているだろうし、ベラボウな忙しさに目の下にクマを作って倦んでいるのかもしれない。
けれど、それでも、Aが僕にしてくれた内緒の言葉は、永久機関となって、引き摺るように生きてきた僕を支えている。
これからも、まあ、身勝手ながらもなんとかなるだろう。
僕は、その真っ黒なクローゼットの扉をそっと閉めた。
蝶番の軋みもなく、実にしっかりと扉は閉じられた。
タイトルの元ネタは、アーティストの「Crowded house」で、Crowdedを「クローゼット?」と誤解した所から、この掌編のアイディアが浮かんだ。