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なくて七癖 1  作者: 翼 大介
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好奇心に駆られて

 梅雨も間近に迫ると鬱陶しいことこの上なくてまるで倦怠期真っ只中にいる両親のようだ。僅か17年(あとわずかで18年目に突入なのだが)の人生でも倦怠期なんて言葉を選んだっていいだろう。程度の差こそあれ誰しも表現するやり方は様々である。しかしこんな視点でぶっきらぼうな口調でたわいのない会話の中にいきなりぶちこんだりしようものなら、あんたは悟りでも開いた高僧のつもりなのか?と、わざとずらしたツッコミで返されるのがオチだ。そこで怯んだりはしないがあえて抗うことは避ける。心の中だけで叫ぶのだ。

 (いや、あんたらだってそう思ってるんだろう。倦怠期って言い方は不適当かもだけど素直に鬱陶しい、蒸れると言えよ。男子という存在さえなければこのくそ暑さで制服のスカートを臆面もなく捲り上げて下敷きをウチワ代わりにバタバタ扇いでんのは間違いないんだからさ)

 今村杏子は澱みきった教室の空気とクラスメイト、と言っても対象は女子に限定されるのだが彼女達が吐き出すどうでもよい不満やら男子に対する媚みたいな言動に辟易していた。杏子の通う高校は今でこそ共学であるが5年前までは女子校であった。いや正確に言えば近隣の男子校と統合合併したのだが校名は男子校のそれを使ってるから企業ならばいわゆる吸収合併だ。他の生徒はどう思ってるか知らないが女子校の成分みたいなのがほとんど残されていないことが杏子にとっては居心地の悪さに拍車を掛けていた。

 同級生の男子達は中学生の時から統合校に入れば楽しい生活が待っている、俺達は生まれて来るのが遅かったから恩恵にあずかれたんだとまあ、それは大した浮かれようだった。杏子はそんな男子達を醒めた目で見ていたがその背景には10歳上の従姉から女子校の良さを小学生の頃にこれでもかというくらい聞かされていたことにある。従姉の話しっぷりは洗脳とまではいかないにせよ杏子自身に多大な影響を与えたことは否定出来ない事実だ。それで受験するのは統合校ではなく私立の女子校にすると両親に直訴するまでに至ったが当然そのような戯れ言同然の言い分など聞き入れて貰えるはずなどなく電光石火で却下された。都会育ちの母親、美津子は共学校出だが地元育ちの父親、真一は前身の男子校を卒業している。嘘か真か確かめるすべはないが高校時代は硬派で押し通していたというのが酔った時の口癖だ。統合合併が本決まりになった話が飛び込んで来た時には母校の伝統が失われてしまう悔しさから荒れに荒れた態度が数日続いたのだが本当の硬派というのとは何か違うんじゃないのとふて腐れた姿はポーズだけかも知れない父親の姿を冷ややかに見ていた。しかし自分自身が女子校で思いきり羽を伸ばしたいという願望を踏みにじられたこともあってほんのちょっとだけ父親の気持ちが理解出来た。それはともかくとして今日は掛け値なしに暑い。もう男子が居ようが居まいが関係ない、本当にスカートを捲り上げて下敷きであおいでやろうか。もちろんそんな勇気などあるはずもないが暑さに怒りが沸いて来たことは隠しようがないのは確かだ。ほんの仕草だけしたその瞬間に背後から両手で目隠しされるという実に古典的ないたずらを仕掛けられた。

 「よぉ、杏子。お前さあ下敷きでスカートの中を扇ごうとしただろう?ああよけいな一言だったな。黙って見てれば面白いショーが始まったんだがな。しかし杏子は俺に感謝すべきだぞ。ちょっかい出してなけりゃお前は間違いなく晒し者、笑い者になっていた」

 「誰かと思ったらやっぱり俊太ね。あんたさあ小学生じゃないんだから程度の低い悪戯はとっとと止めるべき。笑い者になるのは残念だけどあんただよ。ほら、みんな顔がひきつってるの分かる?」

 「相変わらずのノリの悪さつーか、ねじ曲がったくそ真面目さ、そんなんだから男子はともかく同性達のウケが今一つなんだ。いい加減気づけよ。誰も顔なんかひきつらせてねーぜ。むしろ俺達の漫才じみた会話に失笑が溢れてる」

 「本当にしょうもない馬鹿ね。完全無欠な自爆だよ。あのさ失笑ってね、顰蹙買うってのと同義に近い事なのよ」

 「そんなもんどうだっていいんだ。話の流れで解釈すりゃ済むこった。しっかし相変わらず弁当食うのだけは早いな、ああそれにしても今日は暑いけどなんて良い天気なんだ。出来ることなら午後の授業バックレたい気分マックス最高潮だぜ。もちろん野球部の練習はサボらないよ」

 「勝手にすれば、さあ邪魔だからどいてよ。いつまで調子こいて人の机に乗っかっているつもり、それから弁当はしっかり食べておかないと部活で身体が持たないの。それはあんたも一緒でしょ」

 杉原俊太は杏子が幼稚園からの幼なじみで家も徒歩で15分程と行き来するにも遠からず近からずの距離だ。二人の距離もずっとそんな感じで高校生になる現在まで変わらないままなのだが杏子は間もなく18歳になろうとしている今、男友達としてこの距離を維持し続けるのはどうなんだろうかと考えることもある。いや高校を卒業すればお互い違う道を歩むことになるから悩むまでのことはないか。俊太はただの幼なじみ、それでいいじゃないかと結論を出しながら時々喉に魚の骨を引っ掛けたような違和感を覚える。骨はすぐに取れるのだが・・・・・。





 蒸し暑い体育館の中で運動をするのは汗っかきの人間にとっては拷問に近い。それでも好きでやって来たバレーボールを体力的、技術的に無理だと言うならともかく汗だくになるのが嫌という理由で投げ出すことはしたくない。第一、程度の差はあれ汗と無縁なスポーツなどない。そしてこの夏の大会が終われば引退だ。運動部は実質2年半ほどしか現役でいられないのだ。もうひと踏ん張りなんだよ頑張るんだ自分。と、鼓舞はすれども何か虚しい影が心にちらついて仕方がない。部活の集大成と共に卒業後の進路について真剣に考えなければならない現実も重なっている。仕事はなるたけ発汗量が少ない職種を希望しているのだが具体的にどんな仕事が向いているのか、何をしたいかなんてことを悩むことは棚上げ状態だ。

 (あたしにとって将来の事より現在の家庭状況。とりわけ父親が帰宅後の雰囲気が問題なんだよね。この蒸し暑い時期に凍り付いたようなあの空気、正直言ってもう呆れる他ない。とにかく帰りの足取り軽くさせてくれ)

 部活を終えた杏子は滴り落ちる汗を拭いながら溜め息と一緒に重たそうに垂れ込めた雲が支配する空を見上げた。家に着くといつもなら夕飯の支度を終え、くつろぎタイムと称してテレビの前でくつろぎをかなり越える脱力感オーラを放っているはずの母親の姿が見当たらない。パートの仕事をしているのだが午後3時上がりの契約だからこんな時間まで仕事をこなしていることは考えられない。

 (あ~あ、とうとう家事を放棄して遊び呆けるという手段に訴えたか)

 杏子は冷静に状況を把握したつもりだったが、いやいやと首を振ってもう一度考え直してみた。なぜ遊びだと断定出来るんだ。よんどころない急な事情が勃発したとか考えられないのか自分。しかしそれなら父親も帰って来た痕跡があるはずだ。すぐに脱衣場に行って洗濯機の中を覗いたが空っぽだ。父親は帰宅するなりスーツを脱ぎ捨て、シャツと靴下を無造作に洗濯機へ放り込みジャージに着替えるのがいつもの行動様式なんだが、ううんそのよんどころない急な事情なら二人ともどっかで待ち合わせて・・・・・

 (ええい、面倒だあ)

 あらゆる可能性を考えることを放棄すると同時にこれは天から与えられたチャンスだと思うことにした。両親がいつ帰るのか分からないが自分一人でいつもと違う時間に身を委ねられる可能性が生じた嬉しさでいっぱいになった。夕飯は残り物があるし足りない分はコンビニに行って買えば良い。プランがどんどん湧き出て来たがそれに水を差すようにLINEの着信音が鳴り響いた。

 開いてみると母親からだったがいつものことながら実に素っ気ない文面だ。それはいいとして文の内容は不在の理由が分からない上に現在の居場所すら特定不能だ。(帰りが遅くなるから何か適当に食べてて)これでは知りたい情報が完膚なきまでに欠けている。父親は一緒なのだろうか。それともまだ仕事中なら父親にも連絡が行ってるのか。そういえば父親はLINEを使っているのかどうかすら知らない。母親とはちょくちょく連絡限定で使うが父親とは携帯電話で連絡を取ったことなど一度もない。それだけ父親とは距離を置いていることに他ならないのではあるが、今までこうした形で母親の帰宅が遅れたことは記憶にないだけに珍しく父親サイドに立った心配の種が芽吹いた。

 思いがけない母親の不在で自分の時間を楽しもうと画策したはずがあらぬ胸騒ぎを引き起こして気がつけば時計の針は20時を回っていた。仕方なく適当に何か食べていてという指示を操られたように守り後片付けを始めたところに真一が帰って来た。杏子は母親の失踪(もう何だってよかろうと勝手に決めつけた)について心当たりはないかと真面目な顔で訊こうと歩み寄ると真一が異変を感じ取ったようでいつもの脱衣場に向かうコースを後回しにして杏子に質問をぶつけて来たが全然危機感のない話し方に大丈夫か親父、と軽い眩暈を覚えた。

 「おい、美津子。どこに隠れてるんだ。確かに今朝は言い過ぎた。謝るから出て来てくれよ」

 「お父さん、ジョークだったとしてもてんで面白さとかけ離れ過ぎだよ。ねえ、お母さんの行き先本当に知らないの。知っててボケかましてるなら安心なんだけど」

 真一は杏子が真顔で言うのを見てみるみる表情が変わった。

 「何だって?母さんは本当に居ないのか、いつからだ。お前が帰って来た時にはいたんだろ」

 真一の慌てぶりは滑稽だったが杏子にすればこんな父親を見るのは初めてのことだ。それでもどこか他人事のように自分が帰宅した時には既にもぬけの殻だったことを告げた。そして母親が寄越した無機的なLINEの文面を真一に突き出すように見せると真一は、ふ~んとだけ言い風呂場へ向かった。

 (お父さんはあれを見て何か感じ取ったか、いや違うな。いつもの行動に移ったってことはどこで何をしていようが構わないと思ってる表れだよ。こりゃお別れ間近だな。でも私は困る。ヒジョーに困る)

 杏子は高校卒業後も家を離れずにとりあえずは地元で働くつもりでいた。一人暮らしすることは考えていない。今住んでる家の部屋がとても快適で過ごしやすいからだ。だがしかし両親が離婚となれば・・・・・

 そこで思考が止まった。

 (お父さんもお母さんも自分勝手だけど私だって自分の都合しか考えてないんだよね)

 杏子は自身に嫌気が差して頭から布団を被り、ああ、もう、とか叫びながらもがいた。それもつかの間のことで部活で疲れきった身体は正直だ。興奮状態の頭は眠気によって制御されて耐え難い睡魔がほどなくして襲って来た。





 雀の鳴き声がいつもよりやかましく耳の奥に響いた。雀は普段通りに鳴いているのだろうが夕べのイレギュラーな出来事は杏子のお世辞にもデリケートとは言えないメンタルにもけっこうな影響力が働いたようだ。

 (爆睡したつもりだけど全く寝た気がしない。お母さんは何時頃に帰って来たのかな。そもそも帰ってるんだろうか)

 普段は言い争いが絶えない母親でもさすがに不安を感じた杏子は眠い目を擦りながら布団から這いずり出て一目散にダイニングルームへ向かった。見たくない景色が広がってるなと念じながら扉を開けるといつもとなんら変わることのない光景がそこにあった。杏子の心に巣食っていた心配というあまり抱いたことがない気持ちは瞬時に三軒先にある酒屋の看板辺りまで吹っ飛んだ。そしてなに食わぬ顔でダイニングに立っている母親に無性に腹立たしさを覚えると早口で捲し立てた。

 「お母さん、単刀直入に聞くけど夕べはいつ帰って来たの?ああ、朝練に遅れるし何処で何をしてたなんて事には興味ないからその説明は要らない」

 美津子は何も答えずに納豆飯とトーストという和洋折衷と言えば聞こえのいい朝食を無造作にあてがった。杏子もまた無表情でそれらを食べながらシンクの中を覗くと父親の食器がやはり無造作に放り込んである。真一はいつも6時には家を出る。杏子はなぜそんな早い時間帯に出勤する理由を知らないし考えたこともないが、父親もいつも通りに会社に向かったのだと確信した。それにしても自分が寝落ちした後に帰って来た美津子と真一の間にひと悶着はなかったのだろうか。怒号が飛び交えば当然目を覚ましただろうが真一も酒を飲んで寝落ちして美津子の帰宅に気づかなかった。とりあえずそういうことにしておこう。さあ朝練だよと真夏日を告げたそうな逃げ水を追いかけ熱のこもったアスファルトを歩き出した。

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