不穏
「あのクソアマもクソガキもぜってぇ許さねぇ……! この俺様をバカにしたこと、後悔させてやる……!」
ドーガは、罰金を支払うと、警備隊から厳重注意を受けたのち、解放された。
幸い、警備隊の中に、治癒紋章術が得意な人間がいたため、彼の男性機能は何とか守られた。しかし、罰金にプラスして、バカにできない医療費まで請求されることになったが。
そして、自分をさんざんバカにした、レオスとローゼの二人を、どうやって痛めつけてやろうかと考えながら、皆が寝静まった街を歩いているときだった。
「今日は外れか」
「ああ!?」
不意に聞こえた声に、ドーガは振り向くと、そこにはボロボロのローブを纏った男が立っていた。
「誰だテメェ!」
「今から死ぬお前に、名乗る名なんてねぇよ。ザコが」
そう言うと、男は右掌を下に向け、横に突き出した。
すると、右手の甲から、禍々しい装飾が施された四角形に、狼と大鎌が描かれた紋章が浮かび上がる。
その紋章は、そのまま腕に纏わりつくように形を変え、やがて右腕に絡みついた大きな鎌へと姿を変えた。
「な、何だ? その紋章は!?」
「うるせぇ。黙って死ね」
男は、狼狽えるドーガを無視し、そのまま大鎌で首を刈り取った。
首のなくなったドーガの体は、血飛沫を上げ、倒れこむ。
「ハッ……大した紋力すら持ってねぇじゃねぇか。こんなんじゃあ、いくらあっても足りねぇ」
展開していた紋章を戻し、侮蔑の言葉を吐き捨てる。
「やっぱり、もっと実力のあるヤツを殺さなきゃ、質のいい絶望は集まらねぇなぁ」
男は狂気じみた笑みを浮かべ、空を見上げる。
「この街はいい……実力者どもが多く集まってやがる……それに、近々戦争もあるみたいだしなぁ……ウソかホントか、【公紋章】持ちが参加するようだし……」
独り言を呟き、男は大声で嗤う。
「ククク……ハハハハ……ハハハハハハハハハハハハハハハハッ! 全部、皆殺しだっ! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
不穏な空気が、傭兵都市に流れ始めた。
◆◇◆
「またか……」
ソフィア・ラピスは、目の前に横たわる死体を見下ろし、静かに呟いた。
すると、警備隊の部下が駆け寄り、報告を始める。
「報告します。周辺を捜索いたしましたが、犯人につながるような証拠は見つかりませんでした。現在、解析班が周辺に漂う『紋力』の残滓を調べています」
「そうか。何か分かり次第、すぐに報告しろ」
「了解です」
そういうと、部下は敬礼をして去った。
「今回殺された紋章者は……ドーガ・ルード、か……昨日釈放したばかりだというのに、哀れな……」
輝きのない瞳を向ける、ドーガの首を見下ろし、ソフィアは眉をひそめた。
「ドーガがどこの傭兵団にも所属していなかったのが幸いしたな……だが、このまま犯人を野放しにすれば――――」
ソフィアは、この街を取り仕切る【怪物】たちの姿を想像した。
「……彼らが出てくるのだけは避けたいものだ」
ソフィアは、ため息をつき、部下に指示を出しに向かうのだった。
◆◇◆
魔物を倒した次の日。
昨日は討伐後、すぐに報告したため、また新たに依頼を受けるつもりでいた。
ただ、傭兵協会に行かなければどのような依頼があるのかもわからないので、俺とローゼは朝起きて用意をすると、すぐに傭兵協会へと足を運んだ。
到着すると、短い間で何度もお世話になっているミルフィーナに挨拶をする。
「おはよう」
「あ、おはようございます、レオス様、ローゼ様! 依頼を受けに来たんですか?」
「おはよう。一応そのつもりよ。何かいい依頼はないかしら?」
「そうですね……」
ローゼが訊ねると、すぐにミルフィーナはタブレット端末を操作をし始める。
「常時張り出されている魔物討伐の依頼以外ですと……あ、戦争への参加依頼が来てますよ」
ミルフィーナの言葉に、俺たちは驚いた。
「傭兵協会に戦争の依頼が届くなんて珍しいわね……普通は、すぐに大規模な傭兵団に話が回るものだけど……」
「そうですね。この依頼の戦争は、領地の利権を巡っての男爵家と伯爵家の戦争でして、実際のところ正しい土地の所有者は男爵家なのですが、伯爵家がその土地が生み出す利益に目を付け、一方的な戦争を仕掛けたといったところです。男爵家と伯爵家では戦力差が大きく、このままでは負けると考えた男爵家が傭兵協会に依頼を出したんです。ただ、男爵家側は、払えるお金もそれほど多くなく、結果として有名な傭兵団が受けていないため、ほぼ負け戦のようなこの依頼に、参加する傭兵団も非常に少ないのです……新人の傭兵が、名乗りを上げるのに利用するのもありかもしれませんが、難しいでしょう」
「ふぅん……それ、相手の伯爵家は傭兵を雇ってないわけ?」
「そうですね……そのような話は聞きません。恐らくですが、傭兵を雇うまでもなく勝てると踏んでいるのでしょう。それに、伯爵家も財政難らしいので……」
「なら、今この依頼に参加すると言っている傭兵は何人くらいいるんだ?」
「五十人程度です」
ミルフィーナの言葉に、俺とローゼは顔を見合わせた。
「伯爵家側の戦力は、当主の地位的に最低でも【伯紋章】クラスは確定してるわけで……戦争の規模にもよるだろうが、最低でも千単位は投入されるだろうな……」
「そうね……五十人の実力にもよるけど、ただの紋章や中紋章が何人いたところで話にならないしね。これが私と同じ【男紋章】クラスが何人かいれば話は大きく変わるけど……」
「あの……」
「ん?」
俺とローゼが話していると、ミルフィーナが迷いの表情で俺たちに話しかけた。
「そのことで、ひとつ気になることが……今回の参加者の中に【公紋章】を持つ方がいるかもしれないんですよ」
「は!?」
俺とローゼは、驚愕の声を上げた。
「公紋章って……巨大傭兵団の幹部や団長クラスじゃないっ!? ウソでしょ!?」
「私も嘘だと思うのですが……ただ、もし本当なのだとすれば、戦況が大きくひっくり返ると思われます」
「そりゃそうだろ……トップの傭兵団に手を出した弱小傭兵団が、たった一人のトップ傭兵団の幹部に全滅させられたって話があるくらいだからな。というより、貴紋章クラスになると、全員人間を辞めてる」
「何か言ったかしら?」
「……何でもありません」
ちなみにこの話は、俺の親父の団にいた人の話です。
普段は気さくな人なのだが、いざ戦闘になると、とんでもない存在なのだと思い知らされたものだ。
「ただし、本当かどうかは分からないので、何とも言えませんが……」
「その戦争に参加する傭兵って、フリーがほとんどなのかしら?」
「そうですね。皆さん個人で生計を立てている方ばかりですよ」
ミルフィーナの言葉を受けて、ローゼは考える仕草をした。
そして――――。
「レオス、この依頼を受けましょう」
「は? 正気か? ミルフィーナが負け戦だって言ってただろ」
「そうね。でも、公紋章を持つ紋章者がいれば話は別よ」
「いやいや、それすらも本当かどうか分からないんだろ?」
「いるかもしれないじゃない。それに、私たちは仲間も集めなきゃいけないのよ? 今回の依頼に参加して、いい人材を探すのもアリだと思うの」
「そんなの、この街で募集したって集まるだろ。何も危ない戦争で探さなくたって……」
「何の実績もない私たちに、人が集まると思う? 傭兵なんて、みんな野心の塊よ。人に従うんじゃなくて、自分が一番だって思うような連中ばかりなんだから。それに対して、戦争に参加すれば、その場で実力を把握できるし、何より同じ戦場を共にしたという連帯感が生まれるわ。勝てば、実績も手に入るわけだしね」
「うーん……」
ローゼの言ってることは、理解できる。
何も知らない相手をその場で仲間にするより、一度同じ戦場を駆け巡った相手を仲間にするほうがいいのは当たり前だ。
……それに、俺は考えすぎたり、慎重になりすぎる傾向もあるからな。紋章が使えないからその分、慎重になるのは許してもらいたいが、それでもリスクなしで何事もうまくいくわけがない。
今回のリスクは、公紋章を持つ者がいなければ負け戦確定ということだろう。
「それに、団長に鍛えられた私なら、【伯紋章】とも渡り合えると思うわ」
「……そう、だな。もし仮に公紋章を持つ人間がいなければ、途中で放棄してもいいだろう。俺たちは正規軍というわけじゃないから、軍規違反の罰則を受ける心配もないしな。受けてみよう」
「決まりね」
そういうと、ローゼはミルフィーナの方向に顔を向けた。
「それじゃあ、私たちも参加させてもらうわ」
「あ、あの……自分で言っておいてなんですが、本当によろしいのでしょうか? その……私も依頼を受ける方の紋章を把握しているわけではなく、他の傭兵の方が話しているのを聞いた程度なのですが……」
「いいのよ、別に。それに、危険なのは承知だしね。傭兵にとって、負け戦に参加するなんてザラにあるし、こんなのは日常茶飯事よ」
「俺はもっと安全な依頼がいいんだけどな」
「何か言った?」
「……ごめんなさい」
ローゼさん、怖いです。
「……でもまあ、正直傭兵として活動していくには、危険だのどうだのって言ってられないんだけどな」
「分かってるなら、最初から同意しなさいよ」
「気持ちの問題だ。だが、安心しろ。やると決めたからには、本気でやるぞ」
「……その点は心配してないわよ。アンタって、行動するまではいろいろ悩むのに、一度決めたら早いんだから」
「俺の場合は特殊だからな」
紋力がないからどうしても慎重になってしまうが、やると決めれば俺はいつでも本気なのだ。
決めたことを本気でやらず、後悔したくないからな。
「それじゃあ依頼主の場所を教えてくれないかしら? 依頼主に今回の戦争の役割とかしっかり決めてもらいたいしね」
「か、かしこまりました!」
――――こうして俺たちは、たった二人というチームと呼ぶのさえ危うい状態で、戦争に参加するのだった。