クライカー男爵とバルドー伯爵
「協会から連絡を受けているよ。君たちも、私の味方をしてくれるそうだね」
数日前、戦争に参加する旨を伝えた俺たちは、戦いの準備を整え、依頼主であるクライカー男爵の館に訪れていた。
クライカー男爵は、ロマンス・グレーのオールバックに、整えられた口ひげのいかにもジェントルマンといった風貌をしていた。
そんなクライカー男爵だが、祖先に【エドワード・クライカー】という人物がおり、エドワードは様々な文献でも名前を見かけるほどの英雄だったらしい。
そんな祖先をもつクライカー男爵だが、男爵自身はどこまで強いのか、俺には分からなかった。巧く実力を隠しているのだろう。
「はい。俺はレオス・カルディア。こちらが――――」
「私は団員のローゼ・フレイオスよ。ちなみに、レオスが団長ね」
おい、敬語を使えや。
思わずそう言いそうになるのをぐっと堪えると、クライカー男爵は驚いた表情を見せた。
「なんと……君たちはその歳でもう傭兵団を立ち上げたのかね?」
「いえ、まだ団の名前などは決めていないですし、何より俺とローゼだけなので……ですが、いずれは立ち上げたいと思ってます」
「そうか……それにしても、『フレイオス』と言えば【火の国】の名家。その上あの傭兵団で活躍していたような令嬢がまさか団員とは……その団長であるレオス君は一体……いや、これ以上の詮索はよそう」
どうやら、クライカー男爵はローゼの家のことを知っているようだ。
まあ、それもそうか。
ローゼの家は、【火の国】という大国の貴族なのだが、そんなローゼが傭兵をやってるということからある程度込み入った事情があるのは分かるだろう。
……ただ、俺の素性までは分からないようだった。
一応親父と同じ家名を使ってるから、知ってる人も多いんだと思ったんだが……やはり、世間には異名と名前が多く広まってるみたいだな。
俺も一応昔はそこそこ稼いでたし、異名らしきものもあったんだが、名前と共に忘れられたようだ。その方が都合がいいからいいんだけどな。
警備隊のソフィアさんは、俺の家名に聞き覚えがあるような仕草をしていたが、結局思い出せていなかったし、実力者とはいえ必ずしも親父の名前を知っているとは限らない。
本当なら、弱い俺がその名前を公表するべきじゃないのかもしれないが、親父の息子ということは、どんな形であれ残したいし、例えどんな目に遭ったとしても、胸を張って俺は親父の家名を名乗り続けるつもりだ。
ちなみにだが、ローゼが【不死鳥のローゼ】と呼ばれているように、世間には【○○の○○】といった形で広まる。
「そうしてもらえると嬉しいわね。それで、こんなことを言うのもあれなのだけど、勝算はどれくらいあるのかしら?」
ローゼが、いきなりそんなことを訊ねた。
いや、確かにその情報は大切だろうが、いきなり聞くことかね……ローゼらしいと言えば、ローゼらしいが。
「そうだね……私の抱える兵士たちだけでは、正直戦争どころか一方的な蹂躙で終わっていただろうね」
「あら、そんなに戦力差があるのかしら?」
「兵士たちの練度は胸を張れるのだが、いかんせん全員中紋章以下でね。個人での紋章術も中級がせいぜいで、戦略級紋章術や最上級紋章術などは多くの人間が集まって、やっと発動できるといった状態なのだよ」
「それは……」
こういっては何だが、それは相当キツイ。
おそらく練度は胸を張れるということから、連携や武器を使った戦闘は心配ないのかもしれないが、紋章術はそんな個人の力を簡単に覆す。
軽く説明すると、下級紋章術がまともに当たれば大怪我、当たりどころが悪ければ人が死ぬレベルで、中級紋章術は本格的な殺傷能力を持ち、上級紋章術ともなると、広範囲にわたっての殺傷能力があり、戦略級や最上級は戦況がひっくり返るようなとんでもない被害をもたらすのだ。
通常、最上級や戦略級は個人では発動できないため、集団で紋力を収束させ、発動する。
そのため、大概はそれ専用の部隊や、戦略級、最上級の紋章術を防ぐための部隊などが存在するのが一般的だ。
だが、クライカー男爵のいうことが本当なら、それも難しいようだ。
【超紋章】以上の紋章者たちは、それぞれが強力な固有の紋章術を持っているとはいえ、攻撃などに有用なものから生活面で活躍するものまで幅広く存在し、純粋な威力だけで見れば戦略級・最上級紋章術の方が恐怖の対象になることが多かった。
まあ、それすら覆す化物が多く存在するのも確かだが。
「とはいえ、悪いことばかりではないよ」
「というと?」
「それは――――」
クライカー男爵がそこまで言いかけた時だった。
突然、強く部屋の扉が開かれ、一人の少女が入室してきた。
濃紺の長髪を後ろで一つにまとめており、綺麗な緑色の瞳は、強い意志を感じられ、全体的に凛々しい印象を受けた。
剣を腰に提げており、ぱっと見じゃどこの会社か分からないが、いい防具を身に着けていた。
「父上、私も参加させてください!」
「ルーナ……今は大切な話をしている。後にしなさい」
「分かっております。ですが、このままバルドー伯爵のいいようにされるのは我慢なりません! 私も、参加させてください!」
「何度言ったら分かるのだ。お前はまだ未熟だ。そんなお前が戦場に出れば、足を引っ張ることになる。分かるだろう?」
「私には、父上と同じ【男紋章】を受け継ぎ、それを使う事が出来ます! なのになぜ!?」
「使う事が出来るのと、使いこなすのは同義じゃない」
「な、なら、私には剣があります! この剣だけは、父上の兵士にも負けません!」
「確かにな。だが、お前は実戦を経験していない。分かっているのか? 自分の手で命を奪うということを。その覚悟もない、未熟なお前を戦争に参加させるわけにはいかない」
「ですが!」
「それに、剣一つでどうにかできるほど、戦場は甘くない。それができるのは、ごく一部。それこそ名高い≪剣者≫ぐらいだろう。話は以上だ、下がりなさい」
「っ!」
少女は、未だ何かを口にしようとしたが、クライカー男爵の雰囲気を察し、悔し気に部屋を後にした。
……状況が分からないが、会話から察するに、先ほどの少女はクライカー男爵の娘だろう。
それにしても、本当に剣一本で戦況を変えられる人間なんて、師匠くらいだろうな。あれは、オカシイ。
ふと、修行のことを思い返して遠い目をしていると、男爵は申し訳なさそうにしていた。
「すまないね。ウチの娘が……」
「いえ、お気になさらず」
「それにしても、彼女は貴方の娘なのよね? なら、戦場に参加させるべきではないのかしら? もともと、相手は伯爵家。格上の存在なのよ?」
「ああ。当主としては失格なのだろうがね。それでも、娘にはまだ、覚悟ができていない。そんな状況で、戦場に送り出したくはないんだよ」
「……まあ、よそ様の家庭事情に口出しはしないわ。ごめんなさいね、余計なことを言ってしまって」
「いや、構わないよ。それと、話の途中だったが……悪いことばかりではないといったね?」
「はい。それは一体?」
「今回の参加者の中に、【公紋章】を持つ方がおられるのだよ」
「なっ……本当だったんだな……」
まさか、本当に公紋章を持つ人間が仲間にいるなんてな……。
ローゼも驚きながら、同時に幸運だと思っていた。
そして、クライカー男爵は追加情報もくれた。
「それに、ただの【公紋章】を持つ人間じゃない。≪戦血≫の異名を知っているかい?」
「はい。その名前は……って、まさか……!」
「そう、≪戦血≫のウォードが、今回私たちの味方をしてくれるんだ」
俺たちは、純粋に驚いた。
≪戦血≫は、数年ほど前から有名になり始めた傭兵だ。
それも、団に所属しているわけでもないのに、個人が有名になるのはとても珍しい。
基本的に有名な団に所属していれば注目度もあるのだが、それを差し置いて個人で名が売れるとなると、相当な強さだろう。
「もちろん、この情報は今回の戦争相手――――バルドー伯爵にも伝わっているだろうから、何かしらの手を打ってくることが想定できる。だからこそ、勝敗は分からないが、悪いことばかりではないんだよ」
◆◇◆
――――バルドー伯爵の館。
「クソクソクソ! なぜだ、なぜ≪戦血≫がアイツらの味方をするのだ!? 簡単にあの領地を手に入れられると思っていたのに……!」
一人の肥満体系の中年男性――――バルドー伯爵が、忌々し気にそう口にし、机を強く叩いた。
「あの領地を手に入れれば、多くの利益が手に入り、アイツらを下せば、あの娘も手に入ったというのに……!」
今回の戦争は、バルドー伯爵がクライカー男爵の領地に目を付けたことから始まった。
そもそも、バルドー伯爵もクライカー男爵も、傭兵都市付近に領地を持っており、傭兵都市という特殊な環境の近くにあるだけあって、この両者もまた、特殊な存在だった。
特殊とはいえ、決して数が少ないわけではないのだが、この両家は、それぞれ所属する国を持っていないのだ。
土地だけを所有し、誰に仕えるわけでもない。
そんな存在であるため、バルドー伯爵も簡単にクライカー男爵に戦争を仕掛ける事が出来た。
五属大国と呼ばれる【火の国】、【水の国】、【風の国】、【土の国】、【雷の国】のどれかだけでなく、そのほかの国に所属していれば、勝手な戦争を仕掛けた時点で≪王≫によって滅ぼされていただろう。
「いい感じに怒り狂ってるじゃねぇか」
「っ!? 誰だ、貴様! どこから入った!?」
バルドー伯爵が怒りに身を震わせていると、突然、男の声が聞こえた。
声の方に振り向くと、ボロボロのローブを纏った男が、静かに立っていた。
「んなことはどうだっていいじゃねぇか。それよりも、アンタ……力は欲しくねぇか?」
「何?」
急な問いかけに、バルド伯爵は警戒しながら真意を探る。
すると、男は不気味な笑い声をあげた。
「くくく……あはははは! そう怖がらなくても、とって喰いやしねぇよ。アンタはクライカー男爵の領地が欲しい。男爵の娘が欲しい。だが、それには戦力が足りない……違うか?」
「だ、だからなんだというのだ!」
「俺なら、その戦力を覆してやるぜ? もちろん、兵士どもも強化してやろう」
「なっ!? そ、そんなことをして、お前に何のメリットがあるというのだ!? そもそも、相手にはあの≪戦血≫がついている! どうやって覆すというのだ!」
「もちろん何の代償もないわけじゃねぇ。だが、アンタには何も起こらない。ただ、アンタの兵士どもがちょっとおかしくなって、寿命が極端に縮むってだけだ。それに、≪戦血≫の相手なら俺に任せな。俺は、選ばれた紋章者だからなぁ」
「え、選ばれた紋章者……だと……?」
聞き慣れない言葉に、バルドー伯爵がは首を傾げる。
「≪神≫の使徒となることで強力な力を得る存在もいるようだが……俺はそんなザコとは違う。俺は、≪悪魔≫と契約することで、圧倒的な力を手に入れた……そう――――【邪紋章】をなぁ!」
――――こうして、戦争へのカウントダウンは、確実に進んでいるのであった。




