② 時計の針は止まらない−1
「おはよう。ななみ」
「おはよう。父さん」
リビングにはすでに雅彦がいて、朝食を食べていた。いつも通り、ななみもテーブルについた。トーストの焼けるいいにおいがリビングに広がる。
いつもより長めに取った夏休みも終わり、再び、コールオペレーターの仕事へ戻らないといけないのに…。ななみはまだ気持ちの切り替えができずにいる。
「ななみ、昨日はすまんかったな…。うまく切り出せなくて、あんな言い方しかできんくて…。それに、ななみが帰って来るまで、もしかして、ななみも事故に巻き込まれたんじゃないか…と不安で仕方なかったんだ」
父の何気ない一言のせいで、一晩泣きはらしたまぶたに再び鈍痛が走る。ななみはここで泣く訳にはいかない。二十分もかけて作った化粧が崩れるから…と何度も自分に言い聞かせる。
「気にしないで。父さんこそ、つらかったでしょう? とんでもない事故が起きたのに、私の安否も分からず、不安で仕方なかったはず…」
朝のさわやかな時間、渦巻く感情の渦を押さえながら、ななみは努めて冷静を装う。感情は朝ではなく、夜に解き放つものである。
「そうか、ななみも大人になったな…。父さん、ななみが取り乱すんじゃないかと、内心、はらはらしていた」
「何、言ってるのよ! 私、もう三〇になるんだよ。そんなの当たり前じゃん!」
「そうか。それは頼もしいな」
父を困らせないように、ひたすら強がるななみ。そこまで気付かない父・雅彦。気付かないのは仕方ないとは言え、朝からいささか残酷な仕打ちである。
「今日の仕事帰りに、百道家へ寄って、挨拶して来る」
「一人で大丈夫か? 父さんも一緒に行こうか?」
「いいよ。だから、私、もう三〇だってば! それに本来なら義理の親子になるはずだったんだし…。あそこは女の子がいないから、娘ができて嬉しいと、義母さんが言ってくれたぐらいなんだから…」
「そうだったな…。うちは男の子がいないから、桃子さんのその気持ち、分かるな〜」
「あっ、もうこんな時間。急がなくちゃ。父さんは、夏休み中は朝がのんびりできていいよね…」
「いや、夏休み中も課外授業があるから、たいしてのんびりできんよ。進学校の教員に夏休みも、冬休みもないから…」
時計を見ると、もう既に七時半を過ぎている。雅彦とななみは慌てて家を出る。このドタバタのおかげで、緩みかかった涙腺もゆるむこと無く、何とかしのぐことができた。