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心を自然解凍  作者: あまやま 想
第6章 人生は踊る されど進まず
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② 父・雅彦の思い−2

 結局、『いま、会いにゆきます』を見ることにした。わずか六週間とは言え、最愛の人が蘇る話は、大切な人を失った者にとっては夢のような話である。


 それがたとえ、何も知らない若い頃からやって来た人だとしても…。心にポッカリと空いた穴を埋めるには十分であると…雅彦は考える。


 ところが、ななみはこれを見た時も、


「硬式テニスを辞めて、すぐの頃の母さんだったら、今の父さんに見向きもしないから…」


と、言う始末である。何でも、恋愛には過程が大切で、その過程を無視して一緒になることはほぼ不可能だとか…。大方、どこかの心理学者の言葉だろうけど、十年前のななみはいかにも自分が発見したかのように得意気だった。


 まあ、女性に男のロマンを分かってもらうこと自体、無理があるのだ。女性は未来の恋愛にロマンチストであり、男は過去の恋愛にロマンチストであると言うのが、雅彦の持論である。


 これはかえでが亡くなってから、雅彦が変わることなく持ち続けている思いでもあった。そうでないと、死後二七年も経った今も、一途に愛し続けることはできない。


この世をば 終わりとぞ思ふ 太陽の 照りつく庭を 去ると思へば


 高校時代、かえでは硬式テニス部の試合で何度も優勝し、それこそプロテニス選手を狙えたかもしれないほどであった。


 そのような人が、全身性エリテマトーデスの症状の一つである光線過敏症になり、太陽の照り着くテニスコートに出られなくなったのだ。


 その頃、雅彦は人知れず、俳句・短歌同好会にいたので、全く接点はなかったが、体の至る所が紫色になった彼女を見て、見てはいけないものを見てしまった気分になったことを、昨日のことのように思い出す。


 大学に入ってから、かえでが雅彦と同じ大学の文学部古文学科に入り、二人して俳句・短歌を専攻したことで、二人は初めて接点を持つことになる。 


 かえでが最初に作った句は藤原道長が作った『この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』の本歌取りであった。


 彼女曰く、道長の句を詠んでむかついたので、そのような句を使って絶望の句を作れば、きっとテニスができない苦しみや悲しみが伝わるだろう…と。


 彼女の句を詠んだ時、誰もがその絶望の深さを思い知らされた。大学の教授でさえも、元の句が全てを満たされたことを詠っているから、その対比が素晴らしいと言った。


 特に月と太陽の対比は簡単なようで、そう簡単ではない…とまで言わしめたほどだ。


 この句でかえでは、いきなり全国学生短歌コンテスト大賞を取った。その後も、亡くなるまでのわずか十年ほどに千以上の短歌や俳句を作る。


 そんなことを思い出しながら、雅彦は『いま、会いにゆきます』を泣きながら見入っていた。今日が金曜日で本当によかった…。

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