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心を自然解凍  作者: あまやま 想
第5章 過去は不変 未来は無限
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③ 七隈かえでの命日−2

死を悟り 夢はコートを かけ廻る 心残りは 我が娘かな


 かえでからこの句を受け取った時、思わず破り捨てた。何を弱気になっている…と思った。


 それでも、かえでは息もたえだえの中、もう一度同じ句を書いた。二度目は、ただ受け取ることしかできなかった。雅彦は命の灯火か消えかかった妻の前で、音も立てずに泣くことしかできなかった。


 その直後、容態は急変し、そのまま帰らぬ人となった。まだ、三歳だったななみは、死の意味も分からずに、


「おかあしゃん、また寝ちゃった。次、起きるのはいつかな? おとうしゃん…」


と言って、周りの涙腺をいたずらに刺激していた。まだ死の意味も分からないほど、小さな娘を残して、かえでは一人逝ってしまった。あまりにも早過ぎる死だった。


 偶然にも妻は松尾芭蕉と同じ命日。死の間際にも、松尾芭蕉が病床で詠んだ『旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る』から本歌取りするあたりが、実に心憎いとさえ感じる。


 それはあの日から二七年経った今も変わらない。雅彦は、長い長い黙想の中で、二七年前のあの日までの日々に思いをはせていた。毎年、かえでの命日に行われる大切な行事である。


 ななみは墓の前で十分以上、黙想する父を隣で見守っていた。ふと、祖母・香苗と目が合ったが、香苗は特に何も言わなかった。


 毎年のことと言え、雅彦のかなでに対する愛の深さは本当にすごいと思う。ななみにとって、母は物心が付く前に亡くなってしまったので、写真で微笑む母しか知らない。


 父から、まだ三歳の私が母の死の意味も分からず、そのことが周りを一層悲しませたと言う話を幾度となく聞かされた。父から聞く母の話だけが、ななみにとっての母・かえでの全てである。


 全身性エリテマトーデスの生存率はだいたい九十%らしい。生存率が百%でないことがどれだけ残酷かということは、不幸にも残りの十%に当たった遺族にしか分からないだろう。


 母の話になると、父はいつも自分を責めた。もう少し、病に対する知識があれば、間違いなく防げた死だったと…。


 ななみは志恩のことに思いをはせた。今となっては、結婚は叶わぬ夢…。志恩は母と違い、事故の直前まで元気そのものであった。突然の事故は、どんなに知識や技術があっても防ぎようがない。


 もし、ななみがあの時、視察の旅に行かなければ、志恩は死ななかったかもしれない。別に直接事故に関わった訳ではないけど、全く関係ないとも言えないからこそ苦しい。


 今まで、父がどうしてこんなに苦しんでいるのか分からなかったけど、今なら痛いほどよく分かる。


 納骨堂には、母の書いた最後の短歌が収められている。下の句の『心残りは 我が娘かな』の言葉の重みが、歳を取るごとに増していく…。


 もし、結婚できていれば、天国の母の心残りも幾分かは減っただろうに…と思う。そう思うと何とも言えない…やり切れなさも感じる。


 また、父の母に対する一途な思いのすごさは、ほのぼのさを通り越して、周りの心に鈍痛すら引き起こす。ななみは雅彦のように、一生涯かけて志恩の墓参りはできないだろう。


 これは結婚して子どもを生んだからこそできることなのか? それとも、雅彦のかえでに対す一途さゆえなのか?


「お義母さん、お待たせしました。さあ、ななみ、行こうか…」


 長い黙想を終えた雅彦が義母と娘に声をかけた。これも毎年のことである。ななみはわき上がった疑問を聞こうとも思ったが、このようなことは自らが考えて答えを出さないといけない…。


 そのような考えに至ったので、何も言わずに祖母と一緒に父の後を付いて行った。いや…、ただ付いて行く事しかできなかった。祖母と父の前では、いつまで経っても子どものままだ。ななみはそう思った。

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