③ 七隈かえでの命日−1
十月十二日、雅彦とななみ、かえでの母・香椎香苗と一緒に三世代で、今は亡き妻・かえでの墓参りをしていた。
今年は命日がちょうど土曜日で、朝から三人でのんびりと向かう。この日はかえでの命日である。雅彦はもう、あの日から二七年も経ったのかとも思ったし、まだ二七年しか経っていないのかとも思った。
あの日、まだ三歳だった娘・ななみも三十歳になった。本来であれば、この日、来年ななみが結婚することを報告するはずだったのに…。本当、人生は何が起こるか分からない。二七年前のあの日も、雅彦はまさか急にかえでが無くなるとは思ってもいなかった。
かえでが全身性エリテマトーデスを発症したのは、高三の時である。それまで硬式テニス部で部長を務め、試合ではいつも優勝争いをするような子だった。
雅彦は同じ高校で俳句・短歌同好会を一人でやっているような本当に地味な子だった。本来なら、けして交わり合うことのない二人であった。
ところが、人生とは不思議なもので、かえでは病のため、テニスを止めて、大学で俳句・短歌を専攻することになった。
高校から続けて俳句・短歌を学んでいた雅彦は、そこでかえでと一緒に俳句や短歌を学ぶこととになった。やがて、それが縁で付き合うようになり、そのまま結婚した。
結婚してからしばらくすると、娘ができたことが分かった。実に喜ばしいことのはずなのに…。医師からこのように言われた。
「残念ながら、かえでさんの病状はまだ安定していません。このような状況で子どもを産むと、病状が間違いなく悪化して、フレア・アップを起こします。そうなると、最悪、母子とも命を失う危険すらあります。ここは病状が安定してから、お産みになられた方が安全ですよ」
そう言われて、誰もが苦渋の決断をするしかないと思った。雅彦はもう少し病気に対する知識があれば、このようなことにはならなかったのに…と自分を呪った。
その頃はまだ生きていた雅彦の両親も、かえでの両親もこれは仕方ないことだと言った。雅彦もそう思った。
しかし、かえでは違った。自分の命に代えても、この子だけは必ず産む。病気のせいで、これ以上大切なモノを奪われてたまるものか…と頑として譲らなかった。
「全身性エリテマトーデスのせいで、私は炎天下でテニスができなくなった。その時、私がどんな気持ちでテニスをあきらめたか…雅彦、分かる?」
「……」
病気のせいで大好きな事を取りあげられた事のない雅彦に何も言い返す事はできなかった。かえでは続ける。
「そして、今度は大切な子どもまで奪われようとしている。そんなの許せない…。雅彦なら、分かってくれるよね?」
雅彦は無言で頷く事しかできなかった。もし、逆の立場ならきっと似たような事を言っていただろうと当時は思ったから…。
今となってはそれが正しかったのか、どんどん分からなくなる一方である。ましてや、娘の婚約者が突然の事故で亡くなれば、なおさら霧は深まる。
「やりたいことをやらずに終わる人生なんて、生きたしかばねと同じよ。それに、この子を犠牲にして長生きできたとしても、私はきっと自分を責め続けて、この先楽しい人生なんて送れない…」
かえでの強い熱意が周りを変えた。最後まで首を縦にふらなかった医者も、最後には全力で母子とも無事に出産できるようにサポートしてくれることになる。
医者の言った通り、かえでの体は日に日に衰えていったが、医師のサポートとかえでの気力で、ななみは七月二七日に無事に元気よく産まれた。
その後、妊娠・出産時の無理がたたったのか、かえでは入退院を繰り返すようになった。結局、病に勝つことができず、違う世界へ旅立ってしまった。




