⑤ 志恩の四十九日−1
十月一日は志恩の四十九日であったが、三月越になるため、その直前の日曜日である九月二九日に四十九日の法要を行った。
桃子は、ようやく喪明けの日を迎えることができた…とほっとしていた。この間、夫の伸一と次男の健芯にはかなり迷惑をかけたが仕方がない。
志恩の死は、あまりにも突然であり、青天の霹靂であった。あまりにもショックが大き過ぎて、連絡を受けた直後の一週間ほどの記憶がなかったり、茶の間から離れたりすることができなかった。
しかし、その分、誰よりもしっかりと供養できた。四七日間、ずっと黒いプリーツスカートに白のシャツやブラウスで過ごした。一日のほとんどを志恩の仏壇のある部屋で過ごした。
それを見かねてか、これまで伸一と健芯が何度か料理を作ってくれたが、桃子は仏壇から出ることなく、志恩と一緒に食べた。
確かにこの世界に志恩はもういない。それでも桃子は止められなかった。健芯が初めて桃子に野菜炒めを作った時でさえ、せっかくの好意を無下にしたのだから、実にひどい母親である。
それでも健芯は変わることなく、何度も野菜炒めやカレーなどを作ってくれた。それなのに、桃子は健芯を受け入れられずにいる。それは健芯が子どもの時から変わらない。
四十九日の法要は、ほぼ身内のみでひっそりと行われた。百道家から伸一・桃子・健芯の三人、七隈家から雅彦・ななみ親子の二人、NPO法人コンティーゴの代表・吉塚と名乗る女性一名、志恩の恩師と偽って参加しているカウンセラーの室見川の計七名が参加した。住職に御経を上げてもらった後、そのまま昼食を共にする。
「このたびは、このようなことになってしまったこと、また、ごあいさつが遅くなったことを、組織を代表してお詫び申し上げます」
昼食の直前、吉塚が畳に頭をこすりつけながら謝っていた。そして、志恩の遺品であるトランプをうやうやしく差し出した。桃子が隣に座っていたので、遺族を代表して受け取る。
「吉塚さん、息子は現地の子ども達にどんなトランプゲームを教えていたかご存知ですか?」
「はい。確か、現地職員・茶山からの情報によれば、『てれっと社長』と言う名
のローカルゲームをやっていたようです。ルールが分かりやすく、覚えやすいため、現地では子ども達が手作りのトランプを作って、遊んでいたと聞いております」
ななみは、一ヶ月半前に志恩の所を尋ねた時のことを思い出した。確かにあの時、たくさんの子ども達がボロボロの紙切れでトランプを作って、てれっと社長をやっていた。
このゲームは一人四枚のカードを持って、場にある四枚のカードの中から四枚までのカードを交換しながら、手持ちの四枚のカードを同じ数字にそろえる実にシンプルなものだ。
ただし、それで終わりではない。最初にそろえた人は、こっそりと手持ちのカードを床やテーブルに伏せなければいけない。それを見た他の人は、手持ちのカードの状態に関係なく、同じようにカードを伏せなければいけない。
最後まで気付かずにぼんやりしている人が負けとなり、『てれっと社長』となる。てれっと…と言う言葉は、熊本弁でぼんやりしているとか、注意不足とかの意味があると志恩が教えてくれた。




