34 嵐は去る
「キッツ、い……!」
自分を切り裂こうとしてくる爪をいなしながら、ポツリと零した。
度重なる戦闘ゆえか、体中に傷が走り、体力と呼べる体力は残っていなかった。
しかし、ここでやめるわけにはいかないと、戦闘を続けていた。相討ちを狙うそのチャンスを探して。
いい加減に傷を塞がなければ、血が流れすぎてしまう。そう感じ、無限収納室を開こうとするも、その瞬間瞬間を狙って攻撃してくるために、上手く開けない。
端的に言えば、もう限界だった。
「くそっ、回復させろよっ!」
魔力を圧縮させて暴発させるというやり方で、周囲にいた魔物たちを、塵のように吹き飛ばす。防御力は大したことはない。俺の攻撃力で、直ぐに倒せるレベルだ。
だが、いかんせん、数が多すぎる。赤に染まる前にも思っていたことだが、これほどの数の魔物を、パンドラは吸い込めるものなのだろうか。かれこれ、数百から千に届くほどの数は倒している気がするが、一向に尽きる気配がない。
底無しの沼……というよりも、底無しの穴、と言った方がいいか。本当に、どういう構造になっているのかが分からない。
「くっ……」
奴らのうちの1匹の、その巨大な爪が、俺の頬の真横を通り過ぎる。
心なしか、段々とこいつらの速度が上がっている気がする。最初は同程度の速度だったのに対し、今は明らかに俺よりも速い。あまり速くないパワーファイター型の俺と比べるのもあれだけど、とにかく速い。今度は逆に、俺が追いかけるような形になってしまっている。
……こいつら、早い。動きがどうのじゃなく、成長速度が。これがパンドラで『厄災』へと進化した魔物だ……ってことか?
こんな時、俺の頭がもっと出来の良いものであれば、空間魔法で一掃も出来るんだけど……残念ながら、脳のキャパシティには自信がない。足場用の魔力も形成して、短距離転移を駆使している今の状況では、無駄なことに思考を割くのは愚行だと言える。
とにかく、チャンスを作らなくては。相討ちをするのであれば、全魔力の自己暴発が望ましい。だが、全魔力となると、暴発と言ってもある程度の制御をしなければ、下まで被害が及んでしまう。
それゆえに、そのチャンスを作ろうと、そして作られるのを待っていた。
……だが。
「なに……っ!?」
目の前の敵にばかり集中していて、奥の方でなにやら企んでいた連中に気がつかなかった。
異様な雰囲気を感じて、なんとなしにそちらを見れば、1匹の魔物が、他の魔物たちを『喰って』いるではないか。
しかも、喰われた魔物の分の補充は、すぐさま穴が行うので、実質的にロスなしとなる。
喰う。喰う。喰って喰って喰らいまくる。一体何のためにこんなことをしているのかは謎でしかなかったが、取り敢えず、ヤバイということだけは分かる。放っておいたらマズイということだけは分かる。
いや、見た目が変わった。喰った方の魔物の体が、突然風船のように膨らんだかと思うと、そこから漏れ出る、膨大な魔力の奔流が感じられた。
真っ赤なその肉体が膨れ、真っ赤な風船のようになる。紐は付いていないが、代わりに爪が生えている。
奴はそのまま、こちらを向いた。魔物だけれど、 人間のような仕草だった。
ギラリと、妖しく輝く牙。横一文字に広がる口は大きく開かれ、その奥には鈍い光の塊が見えた。
そんな光景には、見覚えがあった。日本にいた頃には、アニメや漫画、ゲームというものに通じていた俺が、時たま、その中で見かけたもの。
「レーザーでも撃つ気か、この野郎……!」
あれだ、口がパッカンからのレーザーをドッカンってやつ。
それはやめろ。直感が警鐘を鳴らしている。それだけは危険だ。そいつにそれを撃たせるな。
しかし、止めに入ろうとしたところで、またもや邪魔が入る。折り重なるようにして、俺に迫ってくる敵たちの数、おおよそ数え切れない。
(ちっ……《転移》っ!)
空間と空間を繋ぎ、問題児の目の前へと転移しようと試みた。
試みは見事成功し、俺は奴の目の前へと現れたはずだった。
が、目の前に奴の姿はなかった。
一体、どこに行った!?
「うっわ、お前らマジかよ……」
奴の姿は、上空にあった。あまり遠くはない距離だったけれど、あいつ自身が移動したということは分かる。
そして、その周りの何もない空間から、赤い人型の魔物が発生していた。
否。
俺のそばにいた魔物が掻き消え、奴の周りに現れていた。特徴的な魔力の痕跡を残して。
この現象……。
「こいつら、俺の動きを真似てるのか……?」
これは《転移》だ。俺がやっているような完璧な形のものではなく、劣化したものではあるが、確かに空間転移の一種だ。
動きが良くなってきて、戦法というものを考えてきて、さらには転移を使ってくる。
これはもう、俺の動きを真似て成長しているのだとしか言えないだろう。空間魔法は失われた魔法のはずなんだが、どうしてこいつらは使えるんだろうか。意味が分からん。
……ともかくだが。
「ったく、チャンスも何も、あったもんじゃないが、あれを受け止められる自信はないな……」
奴の頭部から感じられる、溢れんばかりの、むしろ大量に溢れ出てしまっている魔力のことを考えると、全力でガードしても、それなりの被害を被ることになるだろう。こちらは全力状態だというわけでもない。
ましてや、奴は上、俺は下にいるわけだから、避ければ必然的に、妖精族の集落に被害が行くことになる。正体不明の転移も使えるようだし、どうしたことか。
いっそ、あれの被害を喰らうことを前提に、突撃して、魔力を暴発させるか? 元より自滅するつもりだったし、その直前にちょっとした痛みが増えるだけだろう。案外、良策な気がする。
どちらにせよ、時間は少ない。奴はまだチャージしてるようだが、さっきから他の奴らが俺を倒そうと躍起になってる。
向かってきた赤たちの攻撃を両腕で受け止め、転移も使い、頭や腹をぶち抜いていく。
「……よし」
腹をくくり、依然として輝きを放つ魔物へと肉薄しようとする。その途中で、奴が一際口を大きく開き、視界全てを覆うような極太のレーザーを放ってきたが、関係ない。
下に被害が行かないようにだけ注意を払いながら、レーザーの中を突き進んでいく。全力で防御はしているが、全身を業火で炙られているような、鋭い熱と痛みに襲われる。
「うおおお!」
レーザーの中を突っ切り、視界が開ける。拳を力一杯握り締め、放ってきた魔物を倒そうと、突き出した。
だが、そこには絶望が待っていた。
「2、発目……!?」
1発目を撃ち終わった魔物の頭部は、まだ輝きを失っていなかった。今にも吐き出そうとせんばかりに口を開き、心なしか、ニタリと笑っている気さえした。
もう、防御は間に合わない。中途半端な真似をするくらいなら、このまま打ち進む……!
全身の魔力を練りこんでいき、部分部分を意図的に暴発しやすくする。
それを拳に集め、さらに魔力をつぎ込んでいく。
暴発寸前。これで準備は整った。奴が2発目を撃つ前に、これを叩き込んで……!
「待ったぁああああ!!!」
「うぉぁっ!?」
……衝撃と爆風を伴って、突如、目の前が炸裂した。黄色い光が走ったかと思うと、次の瞬間には、例の魔物は跡形もなく消え去っていたのだ。
今のは……魔法だろうか? 見た感じ、光か雷に属する何かだろうか。
しかし、誰が? 下に降りたリリィたちが、応援を呼んだのか?
いや、だが、今の声、聞き覚えが……。
「ミナヅキさんっ!」
「リ、リオーネ!? 何で戻ってきた!」
犯人は、魔法が使えない少女、リオーネだった。全力で飛んできたのか、額や頬からは大粒の汗が流れ出ている。
リオーネは俺のそばまで近づいてきて、そのまま俺の頬を……ぶった。
「うっ……」
「馬鹿っ!! 今、完全に自爆しようとしてたよね!? 何で、そんな……!」
説教だった。汗にまみれて見えないが、その目からは涙が溢れ出ていた。
その気迫に、思わず呑まれそうになった。いや、呑まれてしまった。ずっと穏やかだったリオーネが、ここまで荒れてしまうものなのかという事実に、おかしくも呑まれてしまったのだ。
「し、仕方なかったんだよ……俺には、これくらいしか方法がなくて……」
「なら、周りを頼って!」
敵はまだいる。その中で、彼女は必死に叫んだ。
一人で背負いこまないで。周りを巻き込んでもいいから。そう、悲痛の叫びを。
「あなたがボクたちを救ってくれても! そのあなたが帰ってこないんじゃ、ボクたちは何も嬉しくないっ!」
「リオーネ……」
頬をぶったリオーネは、そのまま俺の胸へと飛び込んできて、そこで泣いているようだった。
……俺が帰らなきゃ、か。考えたこともなかった。どちらかと言うと、他の誰かを救えれば、自分自身はどうなってもよかった。
いや、そう言うと少し違うか。どうでもいいということはなかったけど、自分一人の犠牲で大勢が救えるなら、それはそれでいいと思っていた。自分のことは二の次だったんだ。
だから、妖精族のことも、俺が犠牲になって助けられるなら、皆喜んでくれると思っていた。
だけど。
「……ボクを好きだって言ってすれるなら。お願いだから、無茶はしないで……」
それは、間違っていたんだろうか。先を考えずに他人を救おうとしていた心は、間違っていたのか。
誰かのために、自分を救う。俺自身を救うことで、誰かが喜んでくれるのなら……悪くない。
しかしだった。痺れを切らしてこちらに向かってきている魔物も出てきている中で、どうやってこの状況を打破しろと言う。それこそ、本当に応援のようなものがあれば、彼女らと協力して戦うことも出来るけど、生憎、それもなさそうだ。
「でも、他に方法が……」
「だから……言ったじゃないか……」
鼻をすすり、涙を腕で拭って、何か決意を固めたのか、魔物たちを睨みながら、リオーネは言った。
「周りを頼って、って」
そう言うリオーネの周囲では、雷や炎、水や風など、様々なものが踊っていた。
あれは、魔法だろうか。そう言えば、さっきの一撃も、魔法によるもののように見えた。
リオーネは、魔法が使えないのではなかったのか。まさか、リリィの言う、『トラウマ』とやらを克服出来たのだろうか。
どちらにせよ、彼女の周りで踊る元素魔法のようなものたちは、かなりの高エネルギー体だ。それなりの魔力では、発動すら出来ないようなものだろう。
さらに、その後ろ姿からは、俺でも分かるほどの『怒り』が溢れている。鬼神でも宿っていそうな勢いの。
「許さないよ。ミナヅキさん……ハクハをここまで傷付けて。皮膚の一欠片も残さないくらいに、壊し尽くしてあげるから」
「リ、リオーネ……さん?」
ちょっと……こう言ってはなんだけど、少し怖い。少しどころじゃない。かなり、怒ってらっしゃる。
「任せてよ、ハクハ。こんな奴ら、ボクが一瞬で倒すから」
とは言ってくれる。頼りになる。物凄く、頼りになりますけど、怖いです。そうまで怒らなくてもいいのに。
しかも、恐らく、彼女自身も無意識なのかどうかは知らないけど、呼び方が『ミナヅキさん』から『ハクハ』に変わっている。口調も変わっているし、一体、さっきの数分から数十分の間に、彼女になにが起きたんだろうか。まるで別人だ。
……まさか、それが、魔法が使えるようになった原因だったり、するのかな?
「《始原の大嵐》」
少女は舞う。それに合わせて、彼女の周りにあった元素たちも、踊り始める。
まだ高いところにある太陽の光に照らされて、彼女のその青い髪が、きらめき、なびく。
《始原の大嵐》。初めて聞く魔法の名だ。それも当たり前か。
そも、この世界においての魔法というのは、非常に曖昧なものだ。決まった形を取らず、使い手によってその姿を変える。
例えば、俺が火の魔法を使えたとして、そこで火の玉を打ち出すという術を使ったとしよう。俺は日本という先進国での知識があるから、火はどうやって生まれるのか、どうすれば威力や速度は高まるのか、効率のいい形なんかも分かっている。
しかし、この世界の人々は違うだろう。火の原理を完全に解明は出来ていないし、他にも不足しているものは沢山ある。
ゆえに、魔法の形が異なる。
これは何も、異世界間の話だけでなく、この世界の個人個人の間の話でも言えることで、2人の人間が火の玉を作るような魔法を使ったとしても、それは全くの別物になってしまう。術名なんかも、そこで変わったりしてしまう。
だから、基本的に、この世界では全く同じ魔法というのは流行らない。個々で特有の魔法を極める方が、上には登りやすいからだ。師から弟子へ、親から子へ。そんな継承的なもの以外で、流行の魔法を使ったりする奴は、そうそういない。
それでも、だ。それでも、ある程度は似てしまう。火の玉を作る魔法なら、どう頑張っても完成品は火の玉だし、雷を落とす魔法なら、結果は落雷以外にあり得ない。
戦争中に、幾たびも魔法を目にする機会はあった。けれど、今リオーネが使っている魔法は、その影すらも見たことがない。
「……うぇぇ?」
暴風。嵐。ストーム。そんな言葉が、よく似合う。
躍り出たリオーネを中心に、赤、青、緑や黄色。色んな色の嵐が渦巻いている。その全てが、炎であったり、雷であったり。
始原の……というのは、元素の魔法のことだろうか。炎や水、雷や風と言った、自然界に存在するものを使った魔法、元素魔法。
魔物たちは怖れをなしているのか、はたまた怖れられないのか、次々と嵐に向かって突撃していく。嵐は止まらない。一度入った魔物たちが、外に出てくることもなかった。
中で何が起こっているのかとか、出来れば想像もしたくない。
それでも尚、復活していく魔物たちに、リオーネは機嫌を悪くしたのだろうか。
「ハクハ。こいつら、復活するの?」
「あ、ああ。あの目が原因だと思う」
「そう。なら、あれも壊すね」
さも、自分ならその程度のこと、簡単に出来るとでも言うような口調で。
その後の光景は、リオーネのその言葉通りだった。
彼女を包む嵐は規模を増大させ、けれども俺を巻き込まず、敵たちを殲滅していった。原因であったパンドラの穴をも巻き込む形で。
俺が突撃した際に出てきた、細長い腕。あれも出てくるには出てきたのだが、《始原の大嵐》とやらの前では無力だったようで、一瞬で呑まれていた。
僅か数分。僅か数分で決着はついた。幼き少女の勝利という形で。
溜まっていたものを下ろせたからか、非常にすっきりした顔になって、リオーネは振り返り、指をVの字にした。
「……ぶいっ!」
「……うっそぉ……」
ただただ、目の前の光景に唖然とすることしか、出来なかった。
次話で過去編終了です。長かった。




