33 失った自分を取り戻す
お母さん気質リリィ
「ミナヅキさん……」
戦闘音が聞こえて、羽ばたきを止めて、自分たちが来た地点に視線をやる。
そこでは、赤の大群と、1つの黒が戦っていた。
黒からは閃光が放たれ、閃光は赤を呑み込む。呑み込まれた赤は、けれども数を減らさない。
ここまで来たのに、ここまで来たのに何も出来ないのかな。ボクはまた、何も出来ずに、大切なものを失ってしまうのかな。
折角だ。折角、信じられると思う人を見つけられたのに、その人を失ってしまうかもしれないなんて。そんなの、嫌に決まっている。
でも、彼の言う通りだった。今のボクには、戦う術なんてない。一緒にいても、足手まといになってしまうだけなんだ。
せめて、魔法が使えたら。魔法が使えたら、彼を助けてあげられるのに。それが出来ない自分が、嫌で嫌で仕方がない。目の前で大切な人を殺されるのを、黙って見ているだけしか出来ないのが、たまらなく悔しい。
「リ、オーネ。薬を貸しなさい……」
いきなり抱えていた妖精王様が言い、ボクが持っていた薬を取ろうとした。
「え、でも、ミナヅキさんは地上に着いてからって……」
「ここまで、来れ、ば、もう大丈夫よ……」
言われ、それなりに距離が離れていることに気がついた。
それならば大丈夫か、と握らされた回復薬の蓋を開き、口に少しずつ垂らしていく。
青い液体を飲んだ妖精王様の顔は、次第に赤みを取り戻していき、具合は悪そうだがそれなりに元気そうな表情に戻った。
手で、降ろすように促されて、立ち上がらせてから、ゆっくりと手を離していく。妖精王様の羽がゆらりゆらりと羽ばたきを始め、フラつきながらもしっかりと宙にとどまった。
「いつになっても慣れないわね、精神疲弊は……」
「…………」
頭に手をやりながら首を振る妖精王様に、どうしても聞きたいことがあった。
『ミナヅキさんのところに、戻らないんですか?』
けど、それはある意味、死にに行ってくださいと言うようなもので、口には出せなかった。戦えないボクに、そんなことを言う権利なんて存在してない。
そんな時、妖精王様が、凄く真面目な顔になった。ボクに何を言いたいのかは知らないけど、ボクにはそれが分からない。
「リオーネ、迷ってるわね?」
「え……?」
思わず、聞き返してしまった。
ボクが……迷ってる? 一体、何に?
「『自分には戦う力がないから』……とか、どうせ、そんなことを考えているんでしょう?」
「そ、それは……」
妖精王様に指摘され、半歩下がってしまう。
その通りだった。ボクには戦う力がないから、何も出来ない。彼を助けに行くことも、集落を守ることも。
「あなたが迷っているのは、本当にそんなことなのかしら?」
「そんな……こと?」
「……あなたは、また、裏切られるのが怖いんじゃないの?」
その言葉でハッとなる。
裏切られるのが、怖い。ずっと昔に、仲が良かった人族の男の人に裏切られた時のこと。あの時の光景は、今でも鮮明に覚えている。けれど、忘却の彼方へと消え去っている。
そうだ……。ボクには、力があった。昔、あの時には、どんな障害も突破出来るくらいの力が。
それが失われたのは、果たしていつだったか。気づけば使えなくなっていた。魔法が、ボクの唯一の取り柄とも言えた、魔法が。
……怖い。ボクは怖い。ただ仲が良かっただけの昔のあの人とは違って、ボクはミナヅキさんに……きっと、恋をしている。助けられたあの瞬間の、その横顔に。一目惚れをしたんだと言われた時の、あの表情に。今、あそこで戦っている、その後ろ姿に。
その全てに見惚れた。彼に恋をして、そして、その彼に裏切られるのが、他の何よりも怖い。人族はそういうものだと割り切って過ごしてきたけれど、彼だけは違うって、そう思えるほどに。
だから、彼に嫌われないようにと、振る舞いには気をつけたつもりだった。
たった2日の付き合いだけれど、恋に落ちるのに時間なんて関係ないんだって、改めて気づかされた瞬間だった。
目の前の妖精族の長である女性は、それを全て見抜いているのか。ボクの心を見通しているかのように、すっと表情を和らげた。
「……ハクハは、優しい人よね」
「妖精王、様?」
その表情は、まるで恋する乙女のもののようで、それを見た瞬間に、ある程度を察した。
……察して、しまった。
「妖精王様、もしかして……」
「あら、何を勘違いしているのかしらね。私はただ、あなたたちの行く末を見届けたいだけよ」
その言葉は、ボクを案じてのことなのだと思う。正直に言って、妖精王様は、妖精族の中で一番の美人だ。ボクなんかが敵うはずがないほどに。
そんな妖精王様とミナヅキさんなら、きっと釣り合う。ボクにとっての勇者である彼と、絶世の美女であるこの人なら、きっと。
妖精王様は上空を見やって、黄昏ていた。
「彼は強いわ。肉体も、心も。けれど、脆い。叩けば、直ぐにでも砕けてしまいそう」
「強いけど、脆い……」
「そう。だから、彼には支えてあげる人が必要なの」
ゆっくりと視線を空からこちらに戻してきて、近づいてくる。
そして、ボクの肩に手を添えて、しゃがみこむようにして言った。
「それはね、私には出来ないこと。きっと、あなたにしか出来ないことよ」
「ボクに……しか……」
「内側を覗いたのはほんの少しだけどね。あなたと出会った瞬間のハクハの心は、とても光り輝いていたわ。まるで、太陽に照らされた宝石みたいに」
紡がれる言葉を、頭の中でグルグルと回転させる。一つ一つの言葉を繋ぎ合わせていって、心に落とす。
妖精王様の言葉は、不思議なほどに、すんなりと心に落ちた。
ボクにしか、出来ないこと?
本当に、そうなのかな。彼にはもっと、素敵な人が寄り添うべきなのではないか。ボクみたいに、背が小さくて、いつまでも子どもみたいな女に、振り向いてくれるのだろうか。
「ハクハがあなたに一目惚れしたっていうあれね。あれには、嘘偽りはないわよ」
「本当に……?」
「ええ。私の勘はよく当たるって、あなたも知ってるじゃない」
確かに、この人の勘はよく当たるけど……それで自信を持てって言われても……。
「じゃあ、こういう質問はどうかしら」
「?」
肩から手を離し、指を一本立てる。それをそのまま倒していき、ボクの胸へと埋めた。ボクの心を指さしているのか。
「あなたは今、どうしたい?」
「ボクが、今……したいこと?」
その問いに、直ぐに答えることが出来なかった。それに対する答えを持ち合わせていなかったから。
いや、実際には持ち合わせていた。けれど、不可能なことだと分かっていたから、殴り捨てていた。
「こんなところで見ているだけで、本当に満足?」
「ボクは……」
他の誰でもない。ボクが今、したいと望んていること。
グルグル、ウロウロ。終わりのない迷路をさまよい、答えを探す。周囲に見えるのは、群生する薔薇で出来た垣。触れば棘が刺さって怪我をする。
その薔薇たちの中に、一輪のひまわりがあった。太陽の光は届かないけれど、その中でも一生懸命に咲き誇る、たった一輪の花。
ボクは、そのひまわりの花を目指していた。探していた。行けども行けどもあるのは薔薇の花ばかり。奥を探そうと手を入れれば、棘で怪我をしてしまう。いつしか、探すのもやめてしまった。
それが、ふとした拍子に見つかった。妖精王様の言葉で歩き出したのか、はたまた最初から花はそこにあったのか。
きっと、初めからそこにあったんだ。気づかなかっただけで、一人、ひっそりと咲いていたに違いない。
……そうだ。最初から分かっていた。どうしたいかなんて、どうすればそれを実行出来るのかなんて。
拳を握りしめる。血が滲むほどに、強く。
「ボクは……あの人を助けたい……。ボクを助けてくれたあの人を、今度はボクが助けてあげたい……!」
これが、ボクの願いだ。たった一つ、自分を救ってくれた少年を救ってあげたいという、小さな願い。
その答えを聞いた妖精王様は、至極満足げな笑みを浮かべた。
「そうよ。それがあなたの願い。望み。力がどうのなんて関係ないわ。そう思う『心』が大事なんだから」
自らの胸を指差しながら、そう言った。
釣られて、胸に手を当てる。そう思う心が大事……。力の有無ではない。外側ではなく、内側が、大事だと言う。
「だって、ほら。もう、あなたを邪魔していた殻なんて、とっくに剥がれてしまっているでしょう?」
「妖精王様……!」
その言葉とともに、心の中で、バラバラと音を立てて、もう1人の自分が崩れ去っていく。今まで自分を邪魔してきた自分。
……そうだ。ボクは、こんなんじゃなかった。あの時はもっと、違うボクだった!
「行って来なさい、リオーネ。彼を……ハクハを、救ってあげて?」
柔らかな笑みを浮かべて言う妖精王様。
それに、満面の笑みで返す。
「うん! 行ってくる!」
失ってしまった自分を取り戻し、振り返って、元来た場所へと急いで引き返す。
自分を救ってくれた少年を助ける、その願いを叶えるためだけに。