32 黒と赤の嵐
#地獄のような日々
戦いが続いていますが、そろそろ終わります。くどいようですが、もう少しだけお付き合いください。
少年と女性は戦っていた。黒い、真っ黒い嵐の中で。
嵐は蠢く。嵐は笑う。不気味な笑いと共に、消えては増え、消えては増えを繰り返していた。
彼らと嵐の頭上には、大きな穴が開いていた。これもまた、真っ黒な穴。中からは異様な雰囲気の魔力が発されており、とても弱者が近づけるようなものではない。
この場に弱者はいない。いるのは強者のみ。
敢えて強者と弱者の区切りをつけようにも、それすらも不可能。戦う2人は嵐を一瞬にして吹き飛ばすが、嵐はそれをものともせずに復活する。
少年が腕を振るうたびに、嵐は少し数を減らす。女性が弓を射るたびに、嵐は少し数を減らす。
だが、減らしても減らしても、数が減っているように思えない。それは、穴から次から次へと、嵐の元となっている悪魔が飛び出してくるからだ。
戦いを終わらせることが出来ない。負けることは許されない状況だ。
★★★★★★★★
「このままじゃキリがない、ぞ!」
リリィと背中合わせになり、肩で息をする。体力の限界が近いのか、息切れが激しい。過度な戦闘を続けているせいか、体の節々がズキズキと痛む。
それはリリィも同じなのか、彼女も息を切らしている。
それに対して、人型の魔物たちは数を減らさない。正確には、減らしてもすぐに復活してしまう。
あの穴の奥……キラリと光るものが見えるが、恐らく、それが何かをしているのだろうと思う。
それを狙おうと、先ほど、魔力を凝縮して放ってみたが、途端に魔物たちが束になって防がれてしまった。俺自身も突撃してみたが、同じような感じで阻まれた。あれに何かがあるのは間違いないはずだが、そこまで到達出来ない。
「魔法で、あの側まで行くことは、出来ないの?」
「さっきやってみたんだけど、さ。変な腕が伸びてきて止められたんだ」
弓で射ながら聞いてくるリリィに、そう答える。
その方法は、俺も試している。ただ、失敗に終わった。黒くて長い腕が、穴の中から伸びてきたんだ。近づけないし近づいても止められるなんて、それラスボス級の難易度じゃないか。
その翼で飛んでくる魔物の頭部を殴り潰し、後方にいた奴の腹部を蹴りで吹き飛ばす。倒す方法は掴めてきた。腹か頭、とにかくその辺の重要器官を吹き飛ばせばいい。人と同じだ。そうすれば、灰になって消え去る。
しかし、何度も言っているように、数が多すぎる。数百体はいるだろう。俺は元々、一対多の戦いは得意じゃない。基本武装が拳と脚だからだ。リリィの方はどうかは知らないけど、今は何本か矢をまとめて作って射ている。それで何体かを貫通させて倒しているが、決定打には欠ける。
「本当に、埒が開かないな、これは」
基本的に近接戦闘が苦手なのか、リリィは俺からそう遠くは離れない。それを察しているから、俺は彼女を守りながら戦わなくちゃいけない。悪いことづくしだ。
「何か便利な道具、持ってないの?」
「そんな都合の良いものがあったら、とっくに使ってるさ」
「そうよね」
いつものように軽い冗談を返す気力もなく、魔物を何体か倒しながら真面目に返した。
いや、道具というより、手段ならあるかもしれない。自慢っぽく聞こえるかもしれないが、俺は割と、魔力の操作に長けている、らしい。だから、それを超圧縮させて、一気に解放すればいいんだ。
ただ、暴発させないためには細かい魔力操作が必要で、細かい魔力操作には時間もかかるし、何より脳のリソースをそっちに割いてしまうわけだから、こういう乱戦中には不向きだ。それに加え、今はリリィだっている。そんなことをすれば、どうなるかは分かるだろう。
パンドラの穴は、依然として魔物を吐き出し続けている。今は減らしている魔物の数=増える魔物の数だからいいものの、穴が吐き出すスピードを上げたり、俺たちのどちらかが倒れれば、あっという間にこの場は埋め尽くされるだろう。何匹かは下に降りるかもしれない。
そうなれば終わりだ。地上には戦えない妖精たちもいるって話だし、むしろそっちの方が多いっていうことをさっき聞いた。地上が血の海で染まるようなことは、許されない。
魔物の爪をサイドステップで躱して、右ストレートを打つ。振り向きざまに背後の敵を蹴り潰す。勢いが死なないうちに肘打ちで左方の敵を何匹か潰し、右手に魔力をまとわせ振るうことで魔力を飛ばし、5匹程度をまとめて倒す。
これだけしても、その数故か、倒した気にならない。打つ手なしとはまさにこのことだろうか。
「ハクハ、私に考えがあるわ」
リリィの後方に迫ってきていた魔物を倒した時、彼女がそう言ってきた。
「一応聞いておくけど、危ないことか?」
もう一度リリィと背中合わせになり聞いた。
これは大切な確認事項だ。命を賭して、とか、自分を代償にして、とか、そういう策なら採用は出来ない。後は、リリィ1人が危険に晒されるような真似も認可出来ない。
安全な策でないとダメだ。俺は妖精族の皆を救いたいと誓ったのであって、そこにリリィが入っていないのなら意味がない。
だから、危険な策ならば直ぐに却下させようという気持ちで聞いた。
「あなたが守ってくれるなら安全かしらね」
「よし、どんな策だ?」
しかしながら、俺のことを信頼してか、安堵しきった顔で言うために、その可能性はないだろうと感じた。
「私の魔法の中に、広範囲を攻撃出来る矢があるわ。それを使うの」
「改めて言うってことは、何かしらの条件があるのか?」
「いいえ、そうでなくて、作るのに時間がかかるのよ。早くて数分かしらね」
指を5本立てながらそう言った。
なるほど。さっき、『あなたが守ってくれるなら』って言ったのは、そういうことか。俺が、魔法を使ってる間のリリィを守れば、その間は安全だ、と。
「どうかしら?」
そう尋ねながら、コテンと首を傾げた。にこやかに笑いながら、その後ろにいた魔物を殴り飛ばす。戦闘中だってことを忘れているんだろうかな、この子は。
それに、少し嘲笑うような笑みを浮かべて、鼻で笑う。
「別に、殲滅してしまっても構わんのだろう?」
「あら、フラグ建築はやめておいた方がいいわよ?」
「何で分かるんだってツッコミはやめておくけどさ」
振り返り、前方を見やる。夥しい数を誇る魔物たちが、背中に寒気が走りそうなほどに蠢いている。例えるなら、そう、黒色のアレが大量に出てきた時の感じだ。非常に気分が悪くなってくる。消えても増えるから、さらに気持ち悪さが増している。
どこから来ても対処出来るよう、敢えて構えない。
魔物の集団の中から、1匹が飛び出してきた。真っ直ぐとこちらに、爪を突き出してきた。
その腕を掴み、その勢いで回転し、集団に投げ返す。
「じゃあ……いっちょやりますか」
それを合図にしたのか、一気に魔物たちが襲いかかってくる。ある者は右から、ある者は下から。あらゆる方向から向かってくる。
前方に来ていた奴の頭部を潰すと、その隙を突いて右後方から敵が来た。それを潰すと、またその隙を突いて左下方から敵が来る。
何か、おかしい?
「おっ……と!」
両端から敵に挟まれ対処していた時に、さらに4方向から同時に迫られ、瞬時に転移を使って倒していく。
何がおかしいとは言えないけど、何となく、違和感を感じる。さっきまでとは違う、何が違う?
そうして何十体か倒していた時、その違和感の正体に、ふと気がついた。
(こいつら……学習してる?)
先ほどから、俺の攻撃や回避の隙を突いてばかり攻撃してくる。その他にも、戦法というものを考えて突っ込んでくるようになっている。
まさか、そうか。こいつらも魔物とは言えど、生物だ。頭部を砕かれて死ぬということは、そこに脳や重要な器官があるということだ。脳があれば、考える能力だってある。考える能力があれば、学習もするだろう。
面倒臭いな、と毒づきながら、左右から来ていた魔物の腹部に手を突き刺し、消滅させる。
そして、少し意識を拡散させてみれば、後ろに下がっていたリリィの方へ向かおうとしていた魔物を、何匹か発見した。
違う、何匹という騒ぎではない。俺が対峙していた魔物の大半が、リリィの方に意識をやっていた。
「……! リリィに狙いを定めてきてるのか!」
俺には勝てないと悟ったか、あるいは魔法の発動を阻止しようとしたのか。
それは分からないが、とにかく、このまま行かせるのは良いことだとは言えない。
慌ててリリィの目の前へと転移し、リリィに狙いを定め向かってきていた奴らを殲滅する。少しコツを掴んだのか、殲滅のスピードは速くなっている。なるほど、腕に魔力をまとわせる時は、指先から鞭を生やしているような感覚でまとわせれば、もっと多くの敵を薙ぎ払えるのか。思わぬところで、多数を相手取った時の対処法を学んだ。
「ごめんなさい、ハクハ。もう少しかかるわ」
「心配するな、一撃も通さない」
直ぐ後ろにいたリリィからそんな声が聞こえる。
穴は、魔物を吐き出すスピードを上げたように思える。倒しても倒しても減らないような状態だ。もしかすると、1度に外に出せる数には限りがあって、俺たちが倒した直後にしか吐き出せないのかもしれない。真実は分からないけど。
「学習してるなら、その上を行けばいいんだ、ろ!」
額からは汗が流れ落ち、身体中の筋肉が悲鳴をあげている。正直に言うと、もう動きたくない。俺だって限界を超えて戦ってるんだ。
だけど、運命という奴は非情で、いつだって戦いを強いてくる。ほら、今だって。
2方向から来るなら、その後の攻撃のことも考えて倒せばいい。時間差でくるなら、そのことも念頭に置いて戦えばいい。要は、向こうが学習するなら、こっちも学習して、向こうが対処出来ないような動きをすればいいわけだ。
(シッ!)
風切り音が走り、それとほぼ同時に多数の敵が消滅していく。俺が魔法を使えたらもっと楽だったのかもしれないけど、生憎、空間魔法以外は使えない。座標の把握とか指定とか、難しすぎて使いこなせていないのが現実だ。
もっと修練を積んで、空間魔法を使いこなせていたなら、こいつらがいる空間を丸ごと消し去ったりも、出来たかもしれない。が、無い物ねだりはよくない。
それからさらに数分が経過し、背後のリリィからは、明らかな魔力の高まりが感じ取れた。完成も近いのか。
リリィの近くに魔物を寄らせないよう、転移を駆使して片っ端から潰していく。爪を躱し、蹴りを躱し、時にはあちらの攻撃に真っ向から突っ込んで、力で捻じ伏せる。
そして……。
「ハクハ! 私の側に!」
「あ、ああ!」
後ろから声をかけられ、転移で側に移動する。
リリィが手にしていた白銀の弓は、明らかにその体積を増やしていた。彼女の身長ほどしか無かった弓は、さらに巨大に。彼女が左手に持っていた矢は、今までのものとは異なり、赤く光り輝いている。炎のようなものがゆらゆらと揺らめき、その姿は太陽を彷彿とさせる。
「……消えなさい……」
矢を番え、ゆっくりと、その弦を引いていく。弦はキリキリと音を立て、魔法で出来ているはずの弓は、軋んで音を立てる。
魔物たちは恐れをなしたのか、こちらに向かってこようとしない。さっきまでの威勢は何処に行ったのか、ただ怯えて終わりを待っている。
リリィはそのまま、矢を少し上方へと傾け、地球での神の名を模しているのであろうその矢を、放った。
「……【天翔る光の矢】!」
放たれた矢は、遥か上空まで昇っていき、そこで枝分かれして、流星群のように、魔物たちに降り注いだ。
ある者は脳天から貫かれ、またある者はその炎で焼き尽くされ。
魔物たちは逃げることも叶わず、ただ呻きをあげるだけで、死に消えていく。
降り注ぐ光の束は、さらにその勢いを増し、残った魔物たちも消滅させようとした。奴らも抗おうとするが、相手は天から降り注ぐ燃え盛る矢。抗おうにも抗えない。
それは、まるで地獄だった。悪魔が神の業火によって焼き尽くされる、冥府の如き光景。しかし、見るものが見れば、あるいは天国かと答えるかもしれない。
何百いたのかと思うような魔物たちは、何千あるのかと思わせるような矢によって、貫かれ、砕かれ、焼き尽くされ、一瞬にして消え去った。
「おお……」
思わず、感嘆の声が漏れてしまう。これを見て、見惚れずしてなんと言う。
今まで、様々な魔法を見てきたが、これはその中でも随一の威力を誇っているだろう。流石、妖精王とも言うべきか、魔法はお得意なのだろう。
威力はさることながら、その見た目も美しい。空から降っているのは矢のはずなのに、その矢が赤く光り輝いているために、流星か何かだと見間違うほどだ。
「一瞬で消え去ったか……凄まじいな……」
「当たり前、よ。私、の最高の一撃、だもの……」
弱々しい声を零したリリィは、そのまま力を失い、落下してしまいそうになる。急いでそれを抱きかかえると、彼女の額からは大粒の汗が、滝のように流れ出ていた。
「ちょ、おい! 倒れてんじゃねぇか、危なくないんじゃなかったのか!」
「大丈夫……ただの魔力切れ、だから……」
言われ、彼女の中を見てみると、確かに、魔力がほんの少しも残っていなかった。魔力切れによる精神疲弊。かなりの気怠さに襲われるというが、俺は魔力切れになったことがないので分からない。
しかし、彼女の様子を見る限り、精神疲弊の症状だけではない気がする。これは勘に過ぎないけど、反動みたいなのがあるのかもしれない。
「心配させんなよ……」
「心配してくれるなんて、あなたやっぱり、優しいじゃないの……」
「当たり前だろ。心配しないわけないじゃないか……」
腕の中にいるリリィが優しく微笑む。それに少し頬が熱くなるのを感じながらも、残ったパンドラの穴を見やる。
「でも、これで……」
敵は殲滅された。もういない。次に吐き出されるまでに、穴の中のあの光を破壊すれば、それで終わりだ。
腕の中のリリィをなるべく揺らさないように、ゆっくりと、しかし足早に穴へと向かっていく。
……そんな俺たちを、黒い突風が襲った。
「くっ……!?」
突風は穴の中から巻き起こっているようで、抱えているリリィに影響が及ばないよう、後ろを向いた。背中に強風が吹き付けるが、この程度はどうということはない。
風はすぐに収まった。だが、他の問題が発生した。
「……嘘……!?」
「冗談、キツイぞ……」
俺もリリィも、その光景には驚愕以外の感情を失った。
穴が肥大化し、最初の数倍の大きさになっていた。そして、その中に巨大な『目』があった。
全てを飲み込むような、真っ黒な目。睨んだものを、恐怖のどん底に陥れる、暗闇の瞳。
その目が一瞬、脈動したかと思うと、穴から巨大な叫び声が聞こえてきた。
人間のものとも、動物のものとも取れないような絶叫。本当に叫びなのかすらも分からない。
そして、穴が一際大きく開いたかと思うと、そこから、また例の魔物たちが出てきた。
……今度は、その姿を真紅に染め、一回り大きくなった奴らが、だ。
(これは……マズイ……!)
あれから感じられるのは、おぞましさ。本能的に、生理的に、近寄りたくない相手。
まさか、これがバリスたちの言っていた、本当の『厄災』だとでも言うのか。さっきまでのあれは、ただの余興だったと。厄災は、ここから始まるんだと、そう言うのか。
が、ここで戦わなければ、皆が死ぬ。戦わなければならない。リリィには、何とか下まで降りてもらえないか。俺1人なら、こいつら全員を相打ち程度には持っていけるかもしれない。
お姫様抱っこの要領で、俺の腕の中にいるリリィの表情は、未だに苦しげだ。1人で動くのも辛そうに見える。だけど、俺はここを動けない。
薬で魔力を回復してもらうか? それが一番確実だろうけど、その瞬間に狙われる可能性が高い。あいつらも、もう一度あの技を受けるわけにはいかないだろうから、リリィが復活したとなれば、必ずそちらを狙うだろう。集中的に狙われ、尚且つ彼女が満足に動けない状態となると、危険度が増してしまう。
どうする……?
「……? あれ、まさか……」
考えを張り巡らせ、脳を酷使していると、こちらに飛んでくる影が見えた。
人影だ。それも、小さな人影。これまた小さな羽で、こちらへと飛んでくる。
特徴的な青い髪に、フリフリのついた白いワンピースに、それを押し上げる豊満な胸。この場にはそぐわないその見た目は、ただの幼女だ。
「ミナヅキさん!」
「リオーネ!」
そうだ。飛んできたのは、ミリアさんの店で別れた、リオーネだった。
「妖精王様、ミナヅキさん、ご無事でしたか!?」
「リオーネ……何故ここに……?」
リリィも驚いていたようで、腕の中で呆然としている。
俺も、目の前の景色に意識を取られすぎて、リオーネが来ていることに全く気がつかなかった。何のための空間魔法だというに。
かく言うリオーネは、俺にお姫様抱っこされていたリリィの様子を見て、顔をしかめた。
「……妖精王様、まさか『あれ』を使ったんですか?」
「残念ながら、大した被害も与えられなかったけどね……」
「そんな……」
2人して悲嘆の念にかられているようだ。
彼女の言う『あれ』とは、さっきの大魔法のことだろう。大した被害は与えられなかったとは言うが、一度は全滅させている。十分すぎる結果だ。
……これは、好都合か?
リリィが動けず、俺もこの場を離れられない以上、確実なのは『誰かがリリィを連れて地上に戻る』という手段だ。
なら、リオーネは中々良いタイミングで来てくれたということになる。
「……リオーネ、来てもらったところ悪いが、直ぐに帰れ」
「でも、ボクは……!」
「リリィを連れて、早く帰るんだ。ここは、俺が何とかするから」
リオーネの反論を捩じ伏せて、リリィの身体を預ける。大きさのバランス的な問題で少しよろめいたが、持ち直したようだ。
リオーネがリリィを、またもお姫様抱っこする形になった。彼女の小さな体の、何処にそんな力があるのかは不思議でならないが、今はつべこべ言っていられる状況ではない。今は動かない魔物たちが、いつ動き出すかも分かったものではない。
顔面蒼白のリリィは、俺の裾をつかみ、その案に拒否する気持ちを表している。
「馬鹿、言いなさい、ハクハ。あなただけ、では、無理よ……」
「そうです! そんなに傷もあって……」
傷? ああ、そうか。そう言えば、回復薬では完全に治しきれなかったんだったか。
体を見れば、その時から残っていた傷や、魔物たちとの乱戦でついた傷が、体中のあちこちにあった。後で治しておかないと、出血多量で死ぬかもしれないな。冗談抜きで。
苦しげに呻くリリィの手を優しく握り、彼女のつぶらな瞳を見つめながら言う。
「ああ。無理かもしれない。でもな、リリィ、忘れたか?」
「……?」
たとえ、絶対的に不利な状況だとしても。勝率が0%の戦いだとしても、物語というやつはある程度の方向性が決まっている。
そうだ、例えば……。
「俺は勇者だ。勇者ってのはな、最後には勝つんだよ」
まあ、そんなものはただのでまかせだ。勇者が勝つ道理なんてないし、俺はもう、勇者なんて肩書きは捨てた。
だから、この戦い、奇跡でも起こらない限りは、俺の負けという形で終戦するだろう。だから、相打ち覚悟であいつらを討ちにいくって誓ったんだ。
無限収納室から一本の瓶を取り出す。青い液体が入った、小さな瓶だ。
それを、リオーネにそっと握らせる。リオーネの手は小さかったから、リリィを抱きながら持てるか不安だったけど、なんとか持てていた。
「下に着いたら使ってくれ。ここで使えば、また狙われるだろうから」
「ミナヅキさん……」
何処か悲しげな表情のリオーネは、泣き出してしまいそうになる。
魔物たちが未だに動き出していないのを確認してから、その肩に手を置いた。
「リオーネ、魔法が使えない君は戦えない。さっきまでのリリィは戦えてたが、魔力を回復したとしても、もう限界だろう。この先は……言わせないでくれ」
『足手まとい』だと、そう言えば直ぐにでも帰ってくれるんだろう。でも、そんな言葉は口にしたくない。
故に『察してくれ』と、そう言った。リオーネは頭が良いだろうから、これだけで把握してくれるだろう。
その時、後ろで音が爆ぜた。空気が爆発するような、鈍い音。
咄嗟に振り向き、向かってきていた爪を、傷を負わないように受け止める。
嵐が動き始めた。真っ赤な嵐が、こちらに。
「さあ、行け!」
リオーネとリリィ、両者を叱り付けるように叫んだ。それを聞いたリオーネは、少しだけ肩を揺らしたようだった。何かを決意したかのような表情になったのを見た。
やがて、ゆっくりと振り返り、地上に向けて羽ばたいていった。リリィを抱きかかえたまま。
(そうだ、それでいい……)
俺一人なら、魔力を敢えて暴走させるなり、方法はいかようにもあるだろう。どれも、俺自身を巻き込むものばかりだが。
でも、それで皆が助かるっていうなら、安いものだ。ヒーローが皆を救えないように、今回は『俺が犠牲になった』。俺という犠牲で、妖精たちが助かるんだ。それでいい。
「はっ、もう待ちきれないのか。いいぞ、何処からでも来い。全員、叩き潰してやるから」
軽々しい雰囲気で言い放った俺に、真っ赤な嵐が押し寄せた。




