31 パンドラという名の災い
書いてました、書いてましたよ……。
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「はぁ……はぁ……」
生じた巨大なクレーターの中央で、体を大の字にして寝転がる。衝撃で体がボロボロだ。右手をなんとか動かし、地面に埋めていく。と言っても、本当に地面に埋めているわけではない。そこに無限収納室を展開していたのだ。
その中から、最も等級が高く、効果が良いものを選んで取り出す。飲むのも煩わしく、痛みが襲ってくることを承知の上で、瓶の蓋を開け、中身を体にぶちまける。
最上級の回復薬を浴びた俺の体は、徐々に傷を塞いでいく。それでも全ては塞がりきらない。回復薬は連続して使用すると効果が落ちてしまう。そのせいか、はたまた傷が深すぎたのか。
だが、大体の傷は治った。少しばかり残る傷が気になるが、この程度なら自然治癒でいい。回復薬を使ってもいいが、取り出すのも面倒臭い。
俺が肉体の傷を治し、体を起こすと、少し離れたところに倒れているバリスの指が、ピクリと動いた。
そして段々と瞼を持ち上げていき、苦痛の表情を見せた。
「バリス、お前、まだ意識が……」
「くはは、もう動けねぇけどな。この肉体は、限界だ」
口だけを動かして、倒れたままそう言った。
今の言葉、それではまるで……。
「……本体は別のところに、ってか」
「本当のオレが、こんなに弱っちいはずねぇだろ」
どうやら、ここにいるこのバリスの肉体は仮の、分身のようなものらしい。本体から意識だけを切り離し、この体を動かしているのか。
「何なら、今から再戦とするか? またぶっ飛ばしてやる」
「はん、やめとけ。てめぇが死ぬだろ。折角、好敵手を見つけたんだ。ここで死なれるのは勿体ねぇ」
「そりゃ嬉しいこった……面倒な奴に目をつけられたな、俺も」
精一杯の見栄を張ったが、ご名答。俺ももう、体力が限界だ。ぶっ飛ばすどころか、一撃を加えることすら出来ないだろう。
仕方なく、あっさりと引き下がる。ここでこいつも倒したかったが、今の状態では確実に負ける。分身を壊し、一旦ここから手を引かせられるのだから、結果としては上々ではないだろうか。
「そうだな……おっと、もう壊れちまうか」
言ったバリスの体からは、光の粒子のようなものが溢れ出していた。手や足の先から、少しずつ、青白い光の粒に変換されていく。
恐らくは、これで体の全てが光に変換されれば、こいつの意識は本体のほうに戻るのだろう。あるいは、こいつはこいつで、独立した意識を持っているのかもしれないが。どちらにせよ、今のこいつが消えることに変わりはない。
「今回は俺の勝ちだったな、バリス」
勝利を確信し、それを告げた俺だったが、いまいち腑に落ちない。
なんと言うか、事が上手く運びすぎている気がする。自分で言うのもなんだけど、俺はトラブルメーカーだ。こんな程度で終わるはずがない。
「それは、どうだろうな」
悲しきかな、半ば予想していた通りの答えが返ってきて、心の内がどんよりとする。土砂降りの日の学校並みに気分が重い。
「どういう意味だ?」
「タダでは帰らねぇってことだ」
途端、体が動かないと言っていたはずのバリスが指を弾き、何事かを呟くと、上空を指差した。
それに従うように空を仰ぐと、遥か上空に、先ほどまではなかった黒い点が見えた。
点という大きさではない。かなりの大きさだった。点というよりも、穴、か? 赤黒い靄のようなものが、その穴を縁取っており、全体から凄まじいほど濁って、禍々しい魔力が感じられる。
「あれは……?」
「【冥災の宝物庫】……一体、何が出てくるだろうなァ?」
疑問を抱いていると、バリスが簡単に答えを出した。
【冥災の宝物庫】? それは何だ。聞いたことのない固有名詞だ。
しかし、危険だということだけは分かる。パンドラと言うと、地球においてはパンドラの箱を思い浮かべるだろう。
もし、あれと同類レベルのものなら、それこそ『厄災』が舞い降りてしまう。
筋肉痛で痛む体に鞭を打って起こし、倒れているバリスの胸ぐらを掴んで、軽く持ち上げる。
「あれを今すぐ、止めろ……!」
「残念だが、もう限界だからな。閉じる力も残ってねぇ」
ケラケラと笑う。見れば、光になるスピードが早くなっている。
……こいつ、まさか、アレを開くために最後の力を使ったのか?
しかしながら、非常に残念だとでも言いたいのか、少しだけ声色を落として奴は言った。
「……こんな手は使いたくなかったがな。上の命令だから仕方がねぇ。オレはこれで消えるが、後はあれから出た『厄災』が暴れ回るだろ」
「おい、バリス!」
体のほぼ全てが光となって消えてしまった。
こいつ、迷惑を残すだけ残して、勝手に消えやがるか。そんなの、許すはずがないだろう。
既に上半身しか残っていなかったバリスの体を揺らし、止めるように促すが、バリスはそれをしようとはしない。
「じゃあな、ハクハ。てめぇとはまた会いそうな予感がするぜ」
「おい……くそっ!」
最後にそう言い残し、完全に光の粒子となったバリスは、空へと消えていった。今頃、どこかで本体が活動を再開しているのだろうか。
手の中には何も残らず、落ちていた石ころを蹴り上げる。
そうして、再度上空を見上げた。穴は依然として不気味な雰囲気を放っており、恐ろしくも感じる。
「行くしかないか……!」
まだ空にいるであろうリリィの下へと、魔力の足場を作って向かった。
リリィはやはり、黒い穴の下にいた。穴の中では何かが蠢いていて、見ていて気持ちが悪くなってくる。こんなに黒い魔力は初めてだ。
「リリィ!」
「ハクハ! 無事だったの!?」
魔力の足場で傍まで来ると、リリィは抱きついてきて、俺の体中をペタペタとしてきた。ミリアさんもそうだったけど、妖精族はスキンシップが好きなんだろうか。
それを手で優しく剥がし、空に浮かぶ穴を指差して言う。
「無事ではないけど、奴は倒した。それより、あれだ」
バリスが指を弾いた直後に発生した、あの黒い穴。奴はパンドラだと言っていたが、それが何のことなのか、俺には分からない。
だが、妖精族、その長であるリリィなら知っているかもしれない。そう考えた。
「……【冥災の宝物庫】。まだ残っていたなんてね」
苦虫を噛み潰したような顔でリリィは言った。
彼女も、あれを【冥災の宝物庫】だとかいう名称で呼ぶ。
「あれは何なんだ? 禍々しい魔力が、大量に漏れてるが」
「アーティファクトの一種よ。巨大な異空間の中で、魔物を育成するの。外から魔物を放り込めば、中で勝手に『厄災』に進化する。使い切りのものだから、既に存在していないと思っていたけれど……」
「面倒な置き土産を……」
聞けば、希少なものだが、昔はいくつか存在していたらしい。しかし、大昔に起きた大戦とやらで、それらのほとんどが使われてしまったとか。
そのせいで、それ以降【冥災の宝物庫】の存在は確認出来なくなった。リリィはそれを、現存するものが全て使われたからだと考えていたようだ。
しかしまあ……『厄災』、ねぇ……。
その大昔の大戦とやらでは、ケルベロスやヒドラなどの凶悪な魔物をあの中に入れ、さらに凶悪なものへと成長させていたというが、そういった『元から災害に認定されるような魔物』を成長させるには、かなりの時間がかかるらしい。
それだけのものを、ここに放つ意味はあるのだろうか。利益としては、世界樹を破壊する、というものか。それすらも利益なのかどうかは分からない。奴らが世界樹を利用するなら、壊したりはしないはずだ。
なら、妖精族の殲滅か。魔法に特化した種族だ。皆で集まれば、『厄災』の一つや二つ、簡単に退けてしまいそうなものだが。
「……ふむ。消える前に、役目は果たしたか」
そんなことを考えていた俺の耳に、渋い呟きが届いた。
声の主は、当然ヌィアーザだ。この場には、ヌィアーザと俺、リリィの3人しかいなかったから。
「……ヌィアーザ、バリスは消えたぞ。お前を守る剣は、もういない」
「そうらしいな」
大した危機とは捉えていないのか、特に慌てる素振りも見せないヌィアーザが言った。
「ハクハ、気をつけて。そいつ自身も、相当強いわ」
「ヌィアーザが?」
隣にいたリリィがそう付け足してきた。
ヌィアーザが、相当強いって? まさか、そんな。こいつ自身はただの一国の王で、特別な力なんてものは持っていない、一般人だったはずだ。
けれど、ヌィアーザの今の様子を見ると、その言葉も真ではないかと疑ってしまう。この状況、強者でも負けてしまうかもしれないような。リリィは遠距離からの攻撃に秀でているし、俺はタネのない近接戦でならかなり有利に立ち回れる。
そんな状況でここまでの余裕を見せているヌィアーザは、果たして本当に一般人か?
「……仕方ない。ここは一度、退くとしよう」
そう言うヌィアーザの背後に、空間の歪みが発生する。現れた時と同じものだ。
突然現れて、突然消えるつもりか、こいつは。
させない。こいつだけは、ここで仕留めないといけない。じゃないと、次はどんな戦が起こるか、分かったもんじゃない。
去ろうとしたヌィアーザの背後に転移して、空間の歪みを膨大な魔力で無理やり消し去る。空間の歪みを、魔力の歪みで消し去る。出来るかは分からなかったけど、上手くいったようだ。
そのまま、ヌィアーザの後頭部を拳で狙う。このまま突き出せば、間違いなく仕留めることが出来るだろう。
「行かせるかよ。お前だけは、ここで仕留める」
「やめておけ。自殺に等しい行為だろう」
依然として余裕を崩さないヌィアーザ。
何か不気味さは残るが、これほどのチャンスだ。城では面倒な奴らが沢山いたが、ここではそんな奴らもいない。
目一杯の力を込めて、拳を引き、放った。渾身の重みが乗った右の拳は、けれども届くことはなかった。
「っ!」
「だから、言ったであろう」
突いた。いや、突こうとした。しかし、止めた。
拳が奴に届こうとしたその瞬間に、到達したその地点から、指が消え去っていくような感覚に襲われたからだ。急いで転移でリリィの隣へと舞い戻り、右手を握ったり開いたりして、無事を確かめる。
見れば、指の付け根辺り、殴りの時にまず真っ先に到達する部分が、少しだけ黒ずんでいた。触ると、ほんの少しの皮膚が、黒い灰のようになって、散っていった。
薄皮一枚で助かった。後数瞬、手を止めるのが遅ければ、手全体が今のような現象に見舞われていただろう。
恐らくそれを為したのであろうヌィアーザは、こちらを、ただ黙々と見据えていた。
その背後に、悪魔が見えた気がした。本当にそこにいたのではなく、奴の放つ殺気、威圧感が、そんな幻覚を見せているんだろうと、そう感じた。
「……お前、何なんだ?」
俺は今まで、これほど『強者』だと感じるような奴を、見たことがない。バリスも確かに強かったが、目の前のこいつとバリスとでは、何というか、格が違うような感じがした。
「……そうか。お前たちには、名乗っていなかったか」
何事かを考えていたようなヌィアーザは、何かに気付いたのか、そう呟いた。
そして、俺とリリィを交互に見回してから言い放った。
「ヌィアーザ・リジェクシア。『遣い』だ、と言えば、分かるか?」
「……!」
リリィの顔が、一瞬にして驚愕に染まった。
『遣い』。またそのワードだ。バリスもその内の1人だと言っていた。まず、遣いとは何なんだ。
それに、ヌィアーザ・リジェクシアだって? こいつの本名は、リンドナースだろう。初代から受け継いできた名前があるだろう。
一体、何がどうなっている。こいつが遣いで、途轍もなく強くて? 意味が分からない。
「ただの人間じゃないとは思っていたけれど、あいつと同類とはね……」
「遣いだとか言うのが何なのかは知らないけど、ここでこいつを殺さなきゃ……」
「よいのか? 厄災は既にそこまで迫っている。余を引き止めている余裕など、ないはずだが」
空を指差しながら言うヌィアーザ。
パンドラの箱改め、パンドラの穴は、着々のその大きさを広げている。中から一体何が飛び出すのかは分かったものではないが、もうじき出てくるのだろうという予測は立てられる。
……どうする。ヌィアーザがバリスと同格、それ以上の強さを所持していると言うのなら、ここで戦いを挑むのは、確かに無謀だ。最悪の場合、ヌィアーザには敗北し、パンドラの中身も暴れ回るという事態になる。
それだけは、避けなくてはならない事態だ。だがしかし、ヌィアーザをみすみす見逃すわけにも……。
「悔しいけど、その通りよ、ハクハ。まずはあれを止めないと……」
「くそっ……」
リリィが俺の肩に手を置きながら、諭してくる。
その目は決して、あいつを見逃せと言っているわけではない。許せない、という気持ちはリリィも一緒なんだろう。
けど、わざわざここで退いてくれる、その上でパンドラが開いている状態なんだから、優先順位を考えろと、そう言っているのだ。
見逃したくない。見逃したくはない、が……。
「ごめんね、ハクハ。でも、私としては、集落の皆も守らないといけないから……」
「いや、あれが最善の策だったよ。ヌィアーザのことは、また考えればいい」
俺たちは結局、ヌィアーザを見逃すこととなった。あそこで無駄な戦いを繰り広げるよりは、『厄災』を確実に止めることを選んだ。最善の策とは言うが、俺にもそれは分からない。けど、これを止めなきゃいけないのも事実だった。
もしかすれば、他の皆を呼んで、こちらを任せ、俺1人でヌィアーザを倒す、なんていう方法を取るのが正解だったのかもしれない。
が、それをするには、不確定要素が多すぎた。
「それにしても、大きいな……」
「成長の時間にしては、門が大きすぎる……?」
穴を目の前にして、様々な感想を抱いた。
遠くからでも感じられた、あの禍々しさは、近づけば近づくほどに肥大した。正直、ここにいるだけでもキツイ。こういう感覚には慣れていないから。
こいつは異空間で魔物を厄災まで成長させるものだと聞いたが、俺はどうにもそうだとは思えなかった。
こいつ自身が、既に厄災だ。中に何がいようが、こいつ本体が既に災いと化してしまっている。
これほどまでに大きな穴は珍しい、とリリィは言う。成長が進んでいればその限りではないが、彼女曰く、これはまだ成長途中にあるものらしい。なら、ここまで大きな穴が開くことも、普通はあり得ないと。
その穴が、ゆっくりと開いていく。元から開いているものが開くというのはおかしいだろうが、この穴を形成していた黒い魔力が、段々と、中心に穴を開けていったのだ。
「何だ、あれ……」
開いた穴から出てきたのは、頭から角を生やし、背中には翼があり、手には巨大な爪がある。大きさは俺2人分くらい。そんな、半分人の形をした真っ黒な魔物だった。見たことがない魔物だ。
目も鼻も口もない。そんな異形の頭部が、徐々にクパリと開いていき、これまた不気味な牙が姿を現す。
『クシャァァアアア!』という、鳴き声。叫び声。日本の神話、そこに出てくる悪魔のような姿。魔の権化。子どもが見れば泣き出してしまいそうだ。
「——人型の、魔物」
「ああ、見たことがない奴だ。人型ってのは見れば分かるけどな。それは分かってるけど……」
誰にも聞こえないような、リリィの小さな呟きを俺の耳は拾った。
ああ。完全な人型かと聞かれればまず違うが、近いと言われるものなら人だ。だから、人型と例えるのは間違っていない。
しかし、俺が驚いていたのは、そんなことではなかった。人型の、こんな悪魔みたいな魔物なんて、今更驚かない。
俺が驚いていたのは……。
「……この数は、何だよ……!」
……数百はいるのではないかと思わせるほどの、その数だった。
「ミナ、ヅキさん……!」
異変を感じ、【世界樹ユグドラシル】へと飛んで向かう少女がいた。空にあった圧倒的な恐怖が2つ。それが共に消え去り、向かう勇気が生まれたからである。
空には、そこにだけ何もないかのように、ぽっかりと穴が開いていた。真っ黒な、ただひたすらに虚無が広がる穴。
そこから、大量の『何か』が出てきたのを、この目でしっかりと確認した。黒い、黒い何か。
小さな翼を精一杯はためかせ、遠くに見える世界樹を目指す。
頭にあるのは、昨日出会ったばかりの少年のことばかりだった。自分よりも遥かに歳下なのであろう少年に助けられ、不思議な感情を抱いた。自分でも忘れようとした感情を。
その少年が、危機に面している。あの絶大な恐怖には立ち向かえなかったが、今ならば可能だ。
自分が行ったところで、何か出来るというわけではない。魔法が使えない自分では、足手まといになるだけだと分かっている。
それでも行きたい。彼の側に居たいと願った。
「あなただけは、助けたい……!」
彼ならば、もしかしたらもう解決寸前なのではないかと、そんなことを考えながらも、少女は世界樹へと急いだ。