22 向かう先は
「ここからどうしようか。リオーネは、何処か行くあてでもあったりする?」
街と街の間にある、中継地点の休憩所で長椅子に腰掛けていた俺は、隣に座るリオーネに、無限収納室から取り出したパンと飲み物を渡しながら、聞いた。
「『妖精の樹』に帰ることが出来たら、一番安全です……けど、無理です……」
「『妖精の樹』?」
リオーネはそれを受け取り、コクンと一つ頷いてから、そう言った。
『妖精の樹』か……聞いたことがないな。城にあった地図は、かなり正確なもので、そこに書いてあった有名な土地は大体覚えてる。『妖精の樹』なんて言う名前、一度見たら忘れない。
ということは、地図には載ってない場所なのか。それとも、『妖精の樹』というのは妖精族独特の言い回しで、正式名称は別にあるのか。
俺が分からないと言うと、リオーネは何か思い出したような顔で言う。
「皆さんが、【世界樹ユグドラシル】と呼んでいるところ、です」
「うっそ、妖精族ってあの世界樹に住んでるのか?」
衝撃の事実だ。
【世界樹ユグドラシル】。天高く貫く大樹で、地上から見上げただけでは、果てまで見えないほどに大きい。俺の強化された視力を使っても、下の方に生えてる枝や葉っぱすら見えない。そもそも、本当に樹なのかどうかも怪しい。何せ、見かけではただ巨大な棒が立ってるだけに見えるんだから。
どうにも、その天辺は違う世界に繋がってるだとか、神々の住まうところへの唯一の道だとか、そんな風にも言われている。
世界樹って言うと、確か北の大陸に生えてたはず。地図にも大々的に書いてあったから。細かい位置までは覚えてないけど。
「秘密にして、ください……」
と、小声で言った。もしかすると、妖精族以外には言ってはいけない、秘密か何かだったのかもしれない。
「もちろん、言いふらしたりはしないけどさ。でも、世界樹……北の大陸か……」
安心して、と言うと同時に、昔覚えた地図を思い出す。
いや、待てよ、俺確か地図の模倣本、一冊持って来てる。
急いで無限収納室に手を突っ込んで、中のものを漁る。いてっ、何か尖ったものが刺さった。なんだよこれ、違うよ、これじゃない。俺が探してるのは、分厚い薄茶色の本で……。
……あった。これだ、この本。【ガルアース世界地図】。まんまのタイトルだけど、詳しいところまで描いてくれてる優れものだ。
俺がこれを取り出した理由は一つ、距離が知りたかったから。世界樹があるのが北の大陸【ニンブル】だってことは分かってる。問題はそこまでの距離だ。さすがにそこまでは覚えてなかったからな。
なになに、ここから北の大陸までは……うわぁ。
「遠いな……船なら出てるだろうけど、ガルアースの船じゃどれだけかかるかも分からないし……」
数万kmという単位で離れていた。海を越えて。行けるかななんていう淡い希望を打ち砕かれ、ガルアースの文明力の低さゆえに、船でもどれくらい期間がかかるか分からない。
「出てない、です」
「え?」
リオーネの言葉に、思わず聞き返してしまう。
出てない? 何が? 船が?
「北の大陸を取り囲む海には、恐ろしい化け物がいて……船は出てないんです」
「……知らなかった」
そんなの初耳だ。海を挟んでるのに船で行けないんじゃ、空を飛ぶ技術が確定されてないこの世界では、行く手段なんてないじゃないか。
試しにパラパラと本のページを見ると、確かに小さく注意書きがしてあった。『【ニンブル】近海には化け物が棲息しており、船で渡るのは不可能』……と。
どうやら、全国共通の知識らしい。知らなかった俺は馬鹿か。
「でも、なら北の大陸にはどうやって行ってるんだ? 人だって行き来してるんだろ?」
「してない、です。北の大陸には、世界樹様以外には、雪原が広がるだけです。妖精族以外の種族があそこを訪れるのは、大抵世界樹様の調査のときだけで、その時も物凄い大きな道具を使って来てるんです」
「物凄い大きい道具ってのは?」
「それは分からないです……」
それも初耳なんだけど。本には載ってるし、俺、本当に世界地図覚えてるだけじゃないか。詳しいところ、全然見てない。
しかしまあ、船じゃ無理、空も飛べないってなると、必然的に向こうに行くには転移石か他の何かでしかないわけだ。大きな道具ってのが何か気になるけど、古代の空間魔法を再現するための道具っていう線もある。十分にあり得そうな話だ。
申し訳なさそうにするリオーネの頭を撫でながら、少し頭に引っかかりを覚える。
北の大陸には妖精族が住んでて、調査なんか以外じゃ、まず行く用事もない。となると、あそことここを頻繁に行き来しているのは、妖精族だけになる。
その妖精族は、一体どうやって行き来しているんだろう。リオーネなら知ってるのではないか。
「じゃあ、リオーネなら何か向かう方法を知って……って、まさか、そのための魔法があったりするのか?」
「……っ」
途中まで言ってから、リオーネの顔が険しくなっていくのを感じて、事情を察する。少し傷口に触れてしまったか。
要は、魔法が使える『通常』の妖精族なら行き来も簡単なんだ。そのための魔法があるから。
でも、リオーネは魔法が『使えない』。だから、戻る事も出来ない。
「……因みに、こっちにはどうやって?」
傷口を塗り潰そうと、話題を変える。魔法が行き来をするなら、向こうからこっちに来た時にも、何か本来とは違う手段を取っているはず。
「妖精王様のお力です。外の世界で何か大切なものを見つければ、魔法も使えるようになるかも、と……」
「一人で来させたのか、戦う力もないのに……」
「人の姿なら、バレることはないって……」
「バレとるがな」
妖精王、余計なことしやがって。普通に妖精だってバレてんだよ。そのバレないって確信は一体、どこから来たんだよ。
「空でも飛んでいけたらな……」
俺の場合、飛べなくても『跳べる』から、ある程度の距離ならリオーネを抱えて跳んでいくことも出来る。
が、それが数万kmとなれば話は別だ。ここからだと、北の大陸は離れすぎている。せめて、もう少しこっちに近かったらな。
叶わない理想を考えるのはやめろ、俺。何か、向こうまで行く方法があるはずだ。
そうだ、そのたまに来るっていう調査団体の奴らに、その道具を借りて……は無理だ。常識で考えて、見ず知らずの男に貸与するほど、この世界は甘くない。
となると、その道具がどうやって向こうに行っているのかが分かればいいんだ。飛んでいる……なら打つ手がない。空間魔法の再現……空間転移……。
空間転移、か。確かに、あれなら北の大陸までは行くことが可能だ。どれだけ距離が開いていても、転移することは出来るから。
でもそれは、『理論上』は転移が『可能なだけ』であって、簡単に行くことが出来るというわけではない。距離が伸びれば伸びるほど、制御が難しくなっていくんだ。数万kmも離れれば、それこそ、現地の風景を見ながらでもないと厳しいだろう。頭の中でぼんやりとしたイメージで転移出来るのは、精々十数km程度だ。
「……いや」
頭の中で、ある『アーティファクト』のことが浮かぶ。
『アーティファクト』。古代の産物。マジックアイテムが小さな魚、魔道具が養殖された同じ魚たちだとすれば、『アーティファクト』はさしずめ、大海を駆け回るマグロだ。それも一級品の。
古代の産物と言っても、失われているわけではない。まだ存在している。ランクの高いダンジョンならば、最下層クラスまで行けば幾つかは掘り出せるはず。そして、大国ならばそれを幾つかは所有している。
それは、人族の大国である【リンドナース】にも言えることだった。
「リオーネ、今は何も聞かずに付いてきてくれ」
「え……?」
立ち上がり、座って呆然としていたリオーネの肩に手を置く。
「行けるかもしれない、北の大陸まで」
迫ってくる狼型の魔物を殴り飛ばし、その後ろから来ていた同型モンスターに蹴りを浴びせる。
「ふっ」
一発ごとに敵の体が塵となって消える。これが魔物の最期。野生動物とは違って、体構造が異なる魔物は、死ねばその体ごと消滅してしまう。
「そいっと」
最後に迫って来ていた一匹を首根っこを掴んでそのまま回転し、数m先の木の幹に投げつけると、木は折れ、そのまま魔物も消滅した。
かけていた身体硬化と強化を解き、下がってもらっていたリオーネのところまで戻る。
彼女は手頃な太さの木に隠れ、こちらの様子を窺っていたが、俺が戻ってくるのを確認すると、こちらに走り寄ってきた。
「お怪我はないですか!?」
「大丈夫だよ、そんなに慌てなくても」
来るなり手や足や胴体をペタペタと触られ、無事を確認される。少しくすぐったい。
それを指摘すると、慌ててリオーネは離れ、頭を下げて謝った。
そんなに謝ることはない。むしろ、続けて欲しかった。誰かに心配されるのがこんなに嬉しいことなんて、思ってなかったから。これが変なおっさんとかだったら、絶対に、こっちから願い下げだったけど。いや、心配されるのは良いんだけど、体を触られるのとかはさ……?
「ミナヅキさんは、強いですね……」
「そうか? 俺より強い奴なんて、ゴロゴロいると思うけど」
いや、勇者より強い奴がゴロゴロいたら、もうそいつらに任せれば良いとは思うんだけど、否定出来ない事実だからさ。戦争中に俺より強い奴と戦ったことなんて、幾度となくあるさ。剣が分裂したり、斬撃を飛ばしてきたり、特大の魔法を連発してきたり。
それに比べたら、ただ殴って蹴るだけの俺は、弱い部類に入ると思う。
「ボクは、あまり外の世界を知らないので……」
「大陸を出てからどれくらい経つんだ?」
「半年と少し、です」
「半年も一人で、か。辛いな、それは」
「はい……」
予想以上に長かった。ああいうハンターに狙われる危険があるのに、半年も一人でいたんだと言う。誰かに助けて貰えば良かったのに……とは思うが、妖精を売る奴がいるってことは、妖精を『買う』奴もいるってことだ。
まともな奴なら良いけど、もし、性奴隷なんかにするために買われたら、それはもう地獄と同等だ。助けを求めることが出来ないのも、分かる気がする。
それを考えると、無意識にリオーネの手を握っていた。小さな小さな左手。彼女も特に嫌がることなく、その手を握り返してくれた。
そうして、周りから見たら恋人のデートのように見えるかもしれない状況で歩いていた時、彼女は俺に聞いてきた。
「何処へ、向かってるんですか?」
そうだよな、聞くなって言っても、気になるよな。人間の性だ。
「【リンドナース】だ。知ってるか?」
「人族の大きな国……ですよね?」
そう。人族の国の中でもトップクラスの規模を持つ大国、【リンドナース】。俺を勇者として召喚し、酷使した国でもある。
今、俺はそこに向かって歩いている。そこから来たんだから、引き返す形になってしまっているが、そこは仕方がない。恐らく、可能性としては一番高く、近いのだ。俺が行きたくないっていうのはあるけど、リオーネを世界樹まで送り届けるためなら、是非も言っていられないだろう。
「そう。俺は元々、そこから来たんだ。そこになら、北まで行ける手段がある。使えるかどうかは別にして、だけど……」
声のトーンを少し下げてしまう。
【リンドナース】まで行けば、遠くまで転移するための手段が存在する。
けど、俺は窃盗罪と脅迫罪を犯しているんだ。今戻っても、大罪人扱いされている可能性がある。そうなれば引き返すしかないか。
いや、そうなったら強引に行こう。いずれは世界中に知られることだろう。今だけ逃げていても仕方がない。それなら、少しでもこの子の役に立ちたいから。
「いえ、何もないよりは、絶対に良いです」
俺の右手を握るリオーネは、力強くそう言ってくれた。初めに比べたら、もう殆ど恐怖なんてものは残っていないように思える。まだ少し言葉は片言だけど、怯えてるっていうよりは緊張しているだけか。
「そう言ってくれると助かるよ。さあ、また、あいつみたいな奴が来る前に行こう」
「はいっ!」
俺たちは【リンドナース】に向けて、足を早めた。




