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黄昏せまれば  作者: 上葵
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川風通ル。朝ガ来ル。 2

 包み込む疲労感は水を吸った制服のせいだけではないだろう。

 自転車を停めた位置まで戻ってきたが、そのまま跨がる気はせず、ハンドルにもたれるような感じでカラカラと車輪を回転させた。

 橋の中心で下を流れる珠川を見下ろしてみた。静かな河辺が広がるだけで、セオリの姿はどこにもない。

 あのあとの彼女は僕の質問をまともに取り合うことはなく、いつもの微笑みを浮かべるだけだった。

 痺れを切らして半ば強引にその場を辞したのだ。

 土台に支えられた橋梁はしっかりとしたコンクリートに支えられ、少しの風で揺れるなんてことは一切ない。秋の予感を全身で感じながら、ペダルに足をかけた。


「あらまぁ、そんな濡れ鼠でどうしたの?」

 老年の女性がすれ違いざま声をかけてきた。慌てて片足を地面につける。腰は曲がっていないが、けっこうな年齢だろう。白髪が風になびいている。

「川辺を散歩してたら、足を滑らせちゃったんです」

 適当なごまかしをし、へらへらと愛想笑いをする。

「あらまァ。昔は河童がいるなんて騒がれたもんだからねェ、無事で良かったわ」

 彼女は顔をしわくちゃにして微笑んだ。

「カッパですか?」

「事故が多かったからそんな迷信が生まれたのよ。それにしても、うふふ、川に落ちるなんてネェさんみたいだわ」

「ねぇさん?」

「あら、身内の話を出すなんてはしたなかったわね」

「あ、こちらこそすみません、言葉尻を捕まえてしまって」

「うふふ、ネェさんは川遊びが好きで昔から一人でチャプチャプやってたのよ。年をとってからはお地蔵様にお花を添えたりして、飽きずに川に通ってたみたいなの。なんだか懐かしいわ」

「お地蔵様なんて、あるんですか?」

「えぇ、この先を真っ直ぐ行った十字路にね。小さなお地蔵さまが。あの辺りは川を埋め立てて出来た場所だから、昔はホタルがたくさん飛んでたのよ。懐かしいわ……」

 しんみりとした口調で呟いた彼女は、手に持った鞄からハンカチを取り出して僕に差し出してきた。

「髪だけでもぬぐいなさいな。いくら夏とはいえ、そのままじゃ風邪をひいてしまうじゃない」

「あ、いえ、大丈夫です。自転車に乗ればすぐに乾くと思いますし」

 申し出は有りがたかったが、借りたモノは返さなければならない。それを考えると億劫だった。

「返さなくていいから、遠慮しないで。風邪を甘くみてはダメよ。ネェサンはそれで……」

 老人がそんなこと言って、寂しさを滲ませたら、若者は首を縦にふるしかないだろう。

「はい……、あ、ありがとうございます」

 ハンカチを受け取って髪を拭った。

 おばあさんに頭を下げて、別れる。すっきりとした気持ちで自転車を家に走らせた。



 その晩、久しぶりに夢を見た。

 夢のなかの僕はセオリと同い年くらいになっていて、彼女と一緒に川ではしゃいでいた。

 しばらく水を掛け合っていると、青空は瞬く間に曇り、真っ黒になった雲から激しい雨が降り注いだ。

 セミは合唱を止め、弾ける雨音だけが彼女と僕の音楽だった。

 夕立のあと空に浮かんだ虹を見て、セオリがなにかを呟いた。何て言ったのかわからない。わからないけど、虹はスゴく綺麗だった。そういう夢。



 朝起きて学校に行き、授業を受けたら、いつも通り放課後を迎えた。早朝川に行ったがセオリに会うこともなく、至って平穏な日常だった。

 特に部活に入っているわけでもないので、僕はそうそうに花屋の息子の住吉と帰宅する。

 道中、彼はひたすらに僕が花束を欲しがるわけを聞きたがったが、説明するのが面倒なので、友達の退院祝いだと適当にごまかしておくことにした。

「最近お前なんか変だよな」

「変ってなにが」

「こないだは脚立を欲しがるし、意味わかんねぇよ」

「脚立は天井の警報器を変えるのに使って、花は友達の退院祝いだよ。なんかおかしなとこある?」

「おかしくはないが、んーと、なんていうか、……顔つきが変わったというか」

「なに言ってんだよ」

 苦笑いしか浮かばない。

 お店につくとすぐに住吉は仕事モードに切り替わり、準備を整え、僕に声をかけた。

「とりあえず夏の花束ってことで、ヒマワリな。千五百円になります」

 友達割引してもらっても、値段にお得感が出ることはない。

「どうでもいいけど花束って高いよね」

「俺もそう思う」

「同意するんだ……」

「まあ花も生き物だし、そう考えたら命は安くないってことじゃないのか」

「なるほどね。言われてみればたしかに」

 僕は財布からお金を出して、カウンターごしに住吉に手渡した。

「まいどあり。ほんとは高石に渡すんだろ。もうすぐアイツ誕生日だもんな。頑張れよ」

 まだ勘違いしてんのかよ。

 見当外れ応援を背に、僕は珠川に向かった。


 住吉の家から河川敷間を自転車で走っていると、緩やかな浅瀬でぼうっと突っ立っているセオリを見つけた。そよそよと吹く風が心地良さそうだ。

 自転車を停めて、かごにいれた鞄と花束を持ち、土手を降りる。

「セオリ」

「あ、ヘータ」

声をかけるとにこりと微笑んで、こちら を向いた。

「遅いのね。いっぱい待ったのよ」

 ぷくぅ、と頬を膨らませながら、ぱしゃぱしゃ音をたてて水際に立つ僕に近づいてくる。

「ごめんごめん。買ってきたからさ」

 僕は花束を差し出した。突き刺すような日差しを浴びたヒマワリは心なしか喜んでいるように見えた。

「うわぁ。とっーても、きれいなのねー!」

「うん。高かったんだよ」

「うふふ、ありがと」

 彼女は両手を一度大きく広げるオーバーリアクションをしてから、花束を受けとり頬を寄せた。それから「すぅー」と鼻で深呼吸をし「夏の匂いがするのねぇ」とニッコリと微笑んだ。

 花束の代金を請求する空気ではなかった。月五千円の小遣いで千円の出費は痛かったが、満開の笑顔が見れたのだから、良しとしよう。良しとしよう。……良しとしよう。

「ヘータ、ヘータ!」

「ん? なに?」

「うふふ」

 笑い声をあげたと思った一瞬あとに、

「えい!」

 セオリは両手を空にあげて、花束を夏の終わりの青い空に放り投げていた。

「……え?」

 すべての音が止まったかのような錯覚に捕らわれる。

「あー!」

 弧を描くように川下に落ちた花束は、パシャンと音をたて流されていった。少しずつ包装が溶けていき、沢山のヒマワリが放射線状に広がって下流へ下っていく。

「な、なにしてんだよ!」

「えへへ。これでもう大丈夫なのよ」

「なんであげたもんをすぐに捨てるんだ! 君は人をバカにしてるのか!?」

「? バカにしてないよ」

 あどけない瞳で見返されても、憎たらしさしか感じなかった。そもそも花がほしいといったのは彼女なのだ。わざわざ買って渡したら、川に投げ捨てられるなんて納得がいかない。

「それに、捨ててもないのよ」

「なに言ってんだよ。投げ捨てただろ! ほら!」

 僕は怒りに任せて花束があるであろう位置を指差した。流れはそれほど急じゃないし、指差した方向に花束の残骸がある、はずだったのだ。

「え……」

 なかった。花なんて、一切そこにはなかった。

「なんで」

 数秒目を離しただけなのに。

「ど、どういうこと」

 昨日も似たようなことがあった。

 今日は花だが、昨日はセオリ自身だ。消えたと思ったら、別の場所からひょっこり顔をだした。

 彼女は消失マジックの達人なのだろうか。

「平太のお陰で慰められたのよ」

 昨日と同様、にっこり微笑むだけで質問には答えてくれない。

「セオリは、さ」

 せせらぎとセミのハーモニーに、原付バイクのエンジン音が飛び込んで、歪なバンドを結成していた。

「セオリは、なんなの?」

 声が震えている。

 これは核心に通じる質問なのか、……訊ねずにはいられなかった。

 川に落ちたのに僕の背後に立っていたセオリ、煙のように消えた花束……不可解なことが二日も続けば、疑心暗鬼にもなってくる。

「セオリはセオリだよ」

 彼女は至って平然と応えてみせた。

「そうじゃなくて、僕が訊きたいのは……」

 風が凪いで、僕らの間に静寂が訪れる。

「君は、人間なの?」

「にんげん?」

「……セオリは、さ。普通の、人?」

「人? んー」

 妙に頭の裏側は冴えてるが、自分でも何をいったらいいのか言葉がまとまらない。

「普通ってなぁに? よくわかんないけど、やっぱりセオリはセオリなのね」

 彼女の笑顔はたまらなく眩しかった。

当たり前だ。目の前の少女が、おどろおどろしい化け物のはずかない。

「……そう、だよな」

 その回答は予想以上に僕を落ち着かせた。

 普段なら絶対に食って掛かっているところだろうけど、辺りの穏やかな雰囲気に呑まれてしまったのだ。

「アッ! お花のお礼にヘータにセオリの宝物をあげるのねん」

 セオリは小さな手のひらを一度パンと打ち付けて、いたずらっ子のように瞳を輝かせた。

「宝物?」

「ついてきて!」

「え? あっ、おい!」

 僕が止める間もなくセオリはバシャバシャと上流に向かって歩き出した。

 昨日、制服をびしょ濡れにし親から顰蹙をかった身として気は進まなかったが、このまま放っておくわけにもいかず、しょうがなしに靴をぬいでから川にはいった。

 セオリの背中はすごく小さい。体が小さいのだから当たり前だ。いまはまだ幼く、その魅力を百パーセント出しきれていないが将来美人になるだろう

 そんな少女と特徴のない川はなんだか不釣り合い感じられた。

 やがて昨日の橋の下についた。

「こっちなのねん」

「ここ入るのか……」

「んふふー、たんけーん探検ー」

 橋の下に下水道があった。暗くてじめじめとしていて、人一人通れるのがやっとのスペースの穴がある。真ん中が流路となっていて、水質センターで濾過された水が川に流れ込んできているらしい。

セオリは一切臆することなくその中へ足を踏み入れた。慌てて後に続く。

 息苦しさとか、生臭さはあまりなかった。ただ閉塞感と暗闇だけが僕の心臓を早鐘にした。

 町の音が遠くになり水音がトンネルに響く。汗が額から落ちた。

「んふふー」

 セオリは路が狭くなって通れなくなる手前でなにか持って引き返してきた。お見合い状態になるのを避けるため中腰の状態のまま出口に向かう。

 なんだってんだ、一体。


「ほら! セオリの宝物!」

「これって……」

 彼女は太陽を浴びて赤色に光るなにかを、両手をお皿のようにして広げて見せてくれた。

「願いを叶える宝石だよ」

 丸くて透明なガラス片だった。小さな彼女の手のひらで、綺麗な赤い影を落としている。

「ヘータにあげる!」

「あ、ありがとう」

 ビーチグラスと言ったっけ。

 捨てられたガラスが、海や川の流れで削れて、美しい欠片になること。

 皮肉な話だが、不法投棄に厳しくなって、数が減っているはずだ。

「えへへ! 大事にしてね!」

「うん。大切にする」

 キラキラと耀くガラスの欠片。彼女の言った通りそれは研磨された宝石のようにも見えた。

 受け取って、太陽に透かすと、景色が一色に染められた。煩雑な世界が秩序ある赤に塗りつぶされて冷たい質感が親指と人差し指の熱を奪ってくれた。



 セオリと別れて、帰宅の途につく。

ポケットには彼女から受け取った赤いビーチグラス。

 片手でそっと触れてみるとひんやりとした固さを感じることが出来た。

 町を撃ち抜くように延びた夕日が、走る自転車の影を長くする。

 車道に落ちる影を横目で眺めながら、交差点で信号待ちをしていた時だった。

 チカッ、と瞳に光が飛び込んだ。

「?」

 首だけを動かし光の方向に視線をやってみる。

 なんだ?

 ここからじゃよくわからない。

 人気のない交差点は近くの幼稚園の園児たちが交通安全訓練をするためだけに作られた空間らしい。

 赤色に点灯する歩行社用信号機に足止めを食らっていた僕は光が反射した方向に車輪を滑らせた。


 茂みのなかに小さな祠があった。

 祠にはお供え物がしてあって、お菓子や花が並べて置いてあった。そのうちの一つが夕日を反射したらしい。

 それはビーチグラスだった。

 親指と人差し指とつまんで目の前に持ってくる。

 細部まで観察してみたが、これといって特色のない丸いガラス片だった。色は水色で空き瓶かなにかの破片らしい。

 ポケットから赤いビーチグラスを取り出して見比べてみる。セオリの宝物より少しだけ小さい。

 一日に二つもビーチグラスを見るなんて出来すぎた偶然だ。

 それにしても、

 この祠はなんだろう。

 僕は疑問に支配された。

 祠の観音開きの扉に手をかけて、慎重にゆっくり手前に引いてみる。

 錆びついた蝶番が耳障りな音をたてて軋んだ。


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