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黄昏せまれば  作者: 上葵
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涙色キャットウォーク 2

 次の願いは予想の範疇外から飛び出した。

「小学校にいきたい」

「なんでさ」

「教室でもう一度授業を受けたい」

「いや、無理だよ。ネネは髪を染めてるし目立つよ。そもそも授業って言ったって今は夏休み中だし、僕ら今年で十四才だよ」

「雰囲気だけでいい。小ニで転校したから、そのあとの世界を見てみたいんだ」

 そう言われると断りづらい。中学二年生の小学校巡りなんてギャグにもならないと思ったが、回顧にはいい機会かもしれない。

「わかったよ……無理だと思うけど」

 セミの死骸がアリの行列に解体されていくのを、僕は視界の隅で捉えた。


 折角の夏休みを無駄に過ごしているような気がして、正直あまり気乗りしなかった。

 何が悲しくて、二年前に卒業した母校を訪れなければならないのか。

「すごい久しぶりだなぁ」

「ネネは転校しちゃったからね。でも僕はきっちり卒業したから今さら懐かしさなんて感じないよ」

 いやいやながらも、小学校を訪れる。

 校庭では子どもたちが砂煙をあげてサッカーボールを追いかけていた。こんなに暑いのによくやるな。

 花壇に植えられたヒマワリの日光浴を眺めながら正面玄関に向かう。

 防犯カメラ作動中の文字にビクビクしながら、エントランスのドアを開けようとしたら、ガタンと音がするだけで開くことはなかった。鍵が閉まっているらしい。

 僕は目線だけでそれをネネに知らせる。

「閉まっているのか。どうしようか」

「職員室に行くしかなさそうだね。鍵を開けるくらいなら、なんとかなると思う。……だけど、やっぱり教室に足を踏み入れるのは難しいんじゃないかな」

「そうか……」

「ネネ?」

「ひとまずさ。職員室に行こうぜ」

「ああ。うん」

 一瞬ネネが見せた悲しげな瞳の輝き。

 なにも言えないし、聞けなかった。


 体育館へ通じる渡り廊下から職員室に行くことができる。

 職員室にたどり着いた僕らは、ドアの前で声を潜めて計画を練った。

「ヘータ、頼むぞ。うまい言い訳して、教室に行けるようにしてくれ」

「……なかなか難しい願い事だね」

「私はここで待ってるから、まかせた!」

「ひどい話だ」

 他人任せな作戦に吹き出してから、僕は深呼吸をし、職員室の引き戸をノックした。

 中にいたのは五、六人ほどの若い教師で、幸い見知った先生は出勤していなかった。

 コーヒーの香りがクーラーの風に運ばれて、僕の鼻孔をくすぐった。

「すみません」

 声をかけると一番手前に座っていた眼鏡をかけた女の先生が、何事か、と顔をあげた。

「すみません。あの」

 再度呼び掛けると、少しだけ億劫そうな表情を浮かべて、彼女は席を立ち、応じてくれた。

「どうしたの?」

 さて。

 深呼吸しているときに思い付いた言い訳を、舌の上にセットする。

「六年ニ組の菅野平太ですが、妹が教室に夏休みの宿題を忘れてしまって取りに来ました」

「あら、そうなの。妹さんは何年何組?」

「二年三組の菅野真奈です」

「二年三組ね。鍵をとってくるからちょっとまってて」

 思った以上に上手くいった。

 変なノートに貸し出しの記帳をさせられたが、全部デタラメで誤魔化した。

 まあべつに泥棒じゃないし、ちょっとした嘘くらい許されるだろう。僕らはただ、自分たちが巣立った学舎をもう一度見たいだけだ。

「忘れ物を取ったら、すぐに返して先生に言うのよ。はい鍵」

「ありがとうございます」

 ザルな管理に感謝だ。

 二歳の鯖読みだが卒業生だし、なにか悪いことを考えている訳じゃない。だから大目に見てください。


「上手くいったか?」

 戻るとネネが瞳を輝かせて聞いてきた。僕は受け取ったばかりの鍵を指でつまんで掲げて見せる。

「おぉー、さすがだな」

「あんまり時間はとれないけどね。急ごうか」

 二年三組は僕らが同じ空間で授業を受けた唯一の教室だ。

 幼馴染みが同じクラスなのは凄く嬉しかったが、性別の違いが思った以上にあって、友達の視線を恐れた僕はまともに話しかけることさえできなかった。

 放課後一緒になったときはお互いバラバラで帰って、帰宅してから遊びに行ったもんだ。

 結局学校で面と向かって会話したのはお別れ会の時だけだった。

『また会えるよね』

 たしか僕はそう聞いて、

『当たり前だろ』

 彼女は偉そうに腕を組んで応えたんだ。

「また会えたね」

 目の前の小さな背中にそっと呟いてみた。

「当たり前だろ」

 あっけらかんと返された。聞こえないように呟いたつもりが聞こえていたらしい。

 恥ずかしい。


 二年三組の鍵を開けて中に入る。

 ミニチュアみたいな机と椅子が約二十ほど、夏休み前に大掃除をしたのだろう、理路整然と並べられていた。

 幼い頃は大きく感じた教室も、今じゃトリックアートみたいに小さく感じる。

「……」

「ネネ?」

「なんかあんまり……」

 彼女は寂しそうに窓側の席に腰かけた。

 一番奥の前から三番目。

 席替えは定期的に行われたが、なんだかんだで学期の最初は出席番号順に戻され、だから誰しも定位置というものがあった。

「なんでだろうなぁ……。あんまり思い出に浸れない……」

 身の丈に合わない椅子と机をもて余すように、ネネはうつ伏せになった。窓から差し込む日差しが彼女の金色を輝かせている。

「そりゃ、今は別の子たちのクラスだからね。僕らの二年三組は五年以上前に終わってるんだよ」

「かもしれないけど!」

 ガバッと顔をあげたネネは、

「自分がいた軌跡が残っていないのは寂しいじゃないか……」

 眉を逆立ていたのは一瞬、すぐに項垂れた。電気をつけていないので、薄暗い教室の空気がキンと震える。

「探そうと思えば見つかると思うけど」

 僕は固い床に這う一本の傷を指差した。

「由良が付けた傷」

 天井を見上げる。

「中原が投げて付けた上履きの跡」

 黒板の磁石を指差す。

「あとそれ宮田が自宅から持ってきた磁石だよ」

 きょとんと目を丸くするネネ。

「……案外、あるもんだな」

「それにさ。なにも軌跡ってのは物理的にしか残らないものじゃないと思うよ。少しクサイ言い方かもしれないけど、僕はネネの事を絶対忘れないし」

 言ってから自分の耳が赤くなっていくのがわかった。なんて恥ずかしい台詞を吐いてしまったのだろう。

「ふぅん。ほんとかよ。最初忘れてたくせに」

「それはネネが髪を染めてたから……」

 僕をからかうようにネネはイタズラな笑みを浮かべた。


 職員室に鍵を返し、小学校をあとにした僕らは真夏の住宅街をとぼとぼと歩き出した。

 景色さえ霞む白い夏。心のなかで日影を求めていた。

 もしかしたらネネには目的地があったのかもしれないが、無表情の彼女から察することは不可能で、ただ歩調が一定のリズムを刻んでいるだけのように思えた。

「アタシの両親は去年離婚したんだ」

 いつもの雑談のように彼女はぼんやりと呟いた。

「……そう、なんだ」

 反応に困る。

 名字が倉田から猫柳になっていた時点で、おおよその予想は出来ていたし、再会して一番最初に彼女はたしかにそう言っていた。

「子はカスガイとは言うけどさ、アタシはカスガイにはなれなかったよ」

 僕は額を流れる汗を拭い、蝉時雨に身を任せる。

 かすがいは木材を繋ぎ止める金具のことだ。

 子はカスガイ。

 子供がいれば夫婦円満。

 子はカスガイ。

 呪文のように単語が脳を巡る。ああ、日本語に聞こえない。

「アタシはパパとママの仲を繋ぎ止めるどころか、引き裂く要因になってしまった、のだよ」

「考えすぎじゃないかな」

 近所だったので彼女の親の顔は知っている。父親とはあまり会話したことないが、母親はさっぱりとした優しい人だった。

「いーや、ヘータ。原因がハッキリしているときほど空しいものはないぞ」

 生暖かい風が彼女の髪を撫でた。

「自分の今後で両親が喧嘩しているのを見て、やさぐれたくなったアタシの気持ちがわかるのか?」

「でも、それはネネの事を思ってのことじゃん」

「綺麗事だよ。そんなもの。アタシは悔しいんだ。悔しくてしょうがないんだ」

 飄々とした口調だが、実際彼女が感じているであろう憤りをなんとなく僕は言葉の節々から感じることができた。

「……アタシが……」

「……ネネ?」

「アタシは二人の期待に応えることが出来なかった。上手く行ってたら、アタシはカスガイになれたのに」

「僕には事情が飲み込めないけど、なるべくしてなったんだと思うよ。未来のことはわからないけど、後悔して変わろうと足掻いたなら、いつかは必ず上手く行くはずだ」

「そういうもんだろうか」

「人生そんなもんだって。たぶん」

「……」

「ネネ?」

「いや、少し驚いた。ヘータは考え方が大人だな」

「子供はいつか大人になるからね」

「……」

 ネネはなにも言わず空を見上げた。

 アブラゼミの鳴き声に気持ち良さそうに目を細め、

「……アタシはガキだよ」

 泣き出しそうな嗄れ声が照り返しの地面に染み込んだ。

「僕だってまだまだガキだ」

「アタシはこれ以上成長できる気がしない。下らない人生だった。あるのはわずかばかりの思い出だけ」

「君が生きてきたこれまでの十四年は、かけがえのない十四年だったし、少なくとも僕にとっては下らないものじゃなかった」

「慰めてくれるのか?」

「親友……いや、カレシだからね」

 一日限定の。

「それに子供の発想ができるのって凄く大事だと思う。僕は大人になりたくないよ。最近すごく疲れるんだ。同じ日々の繰り返しで、無味乾燥で砂を噛むような人生を過ごして、なんで生きてるのかわからなくなってきてさ。純粋無垢だった頃が懐かしいよ。これがあと何十年も続くかと思うと嫌気がさしてきた」

「それはヘータが人生を楽しもうとしていないからだよ。子供にならいつでも立ち返れるじゃないか」

「案外むずかしいよ。モラトリアムっていうのかな」

「バカだな、ヘータ。一度は子供だったんだ。経験してるなら、出来ないことはない」

 ネネはわざとらしい動作でゆっくりと、回れ右して僕を正面から見据えた。唇を三日月状にして微笑むと、人差し指を一本たてた。

「それじゃあ永遠の子供たるアタシがヘータに教えてあげよう。ついでにこれが最期のお願いだ」

「ああ。十個もあるって言ってたやつ?」

 いまのいままで忘れていた。

「うん。それじゃあ、発表するぞ、ズバリ!」

 彼女は直線上に小さく見える、遠くの電信柱を指差した。

「あそこまで競争だ!」

「え?」

「ヨーイドン!!」

 言うやいなやネネは駆け出した。


 合図を自分で決めて走り出す辺りネネらしい。

 真夏の直射日光の下、僕はあわてて彼女を追いかける。

 あの頃は大きく見えていたはずの少女の背中は、いまはとても華奢に見えて、少し押したら飛んでしまいそうなほどだ。

 腕をふって、足を早く前に出す。もつれそうになるのを必死でコントロールして、何とかネネより半身前に出る。男子の意地だ。いくらフライングに近いことをやられていたとしても、いまは僕の方が力が強いのだ。絶対に負けたくなかった。

 前で揺れていた金色が後ろに行き、足音が背後から響くようになったとき、ゴールである電信柱に到着した。

「勝っ……」

 見えないゴールテープを胸できって、これ見よがしなガッツポーズをしようとしたとき、僕の横を橙色した猫が走り去っていった。

 野良猫にしてはすごく、人に近づくやつだった。

 二メートルほど先で猫は立ち止まり、僕の方を振り向くと「にゃぁー」と一声鳴き、横の茂みに姿を消した。

「……」

 なんだ?

 すごく、変な言い方かもしれないが、神秘的な猫だった。

 呆気にとられていた僕は、現在競争中だったことを思い出して背後を振り返った。

 直線上に延びるアスファルト。遮蔽物がいっさいなく、消失点は蜃気楼で霞んで見える。

 ネネはいなかった。

 どこにも彼女の姿はなかった。

「ネネ?」

 いない。

 いなくなった。

 転校した時よりも、ひどい。前触れが一切なく、いなくなるなんて。

 洒落にならない。

「ネネ? どこにいったの?」

 僕は暑さにヤられた人のようにブツブツと空虚な問いかけを繰り返しながら、辺りを見渡してみた。

 駐車場がある。

「ここ、って」

 見覚えのある、ボロい一戸建て。

 へこんでベコベコなガードレール。

 斜めになったカーブミラー。

「玉沈公園?」

 昔。敷地の中心に変な銅像があった公園は猫の溜まり場となっていた。


 昨日の夜とはうって変わって明るい日差しのもと、時間賃の駐車場に足を踏み入れる。『空』の表示が示す通り、一台も駐車されていなかった。

 十年一昔、とはよくいったものだ。あまりに変わりすぎて気づかなかったが、ここはたしかに昔よくカクレンボをして遊んだ公園だ。

 いまは誰もいない。人も、猫も、……ネネも。

「もう、いいかい?」

 なんとなく、呟いてみたけど、返事があるはずもなく、僕はただ一人、真夏の駐車場で立ちすくんでいた。


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