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黄昏せまれば  作者: 上葵
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涙色キャットウォーク 1

 僕の妹はギャンブラーで、勝負事の度に、いつも賭けを持ち出してきた。

 その日はレースゲームで、負けたほうが近くのコンビニでアイスを買ってくるというしょうもない戦いだった。

 結果は僅差で僕の負け。仕方なしにゴーストタウンを歩き出したのである。


 眩しすぎる蛍光灯にくらくらしながら百円のアイスを二つ買い、ついでに購入した唐揚げ棒をくわえながら帰路についていた時だ。

 目の前を二匹の猫が横切った。

 野良猫はいつ眠るのだろう。

 何でもない好奇心に見舞われる。

 二匹は少しだけ駆け足に、四辻を右に曲がっていった。

 そういえば昔こんな映画があったなぁと苦笑いを浮かべながら、暇潰しがてら尾行を開始する。

 この世で一番暇なのは、童心を失い、勉学に励む意欲もない、中学二年生の夏休みに違いないのだ。

 蒸し暑い熱帯夜を二匹の猫が足音をたてず威風堂々と歩いていく。

 どうやら目的地はアスファルトで舗装された駐車場らしい。尾行がばれなかったのは奇跡に近い。

 時間賃と書かれた看板の脇から駐車場を覗き込んでみる。

 にゃあ。

 にゃあ。

 にゃあ。

 異様な光景だった。

 町明かりが数十匹のシルエットを映し出している。墓標のように車が並ぶ駐車場で開かれる猫の集会。

 意識しなきゃ、この一角に気づく人は少ないだろう。今日は半月だし、雲も多いから、暗闇にまみれて光る目玉に恐怖を感じる人もいるかもしれない。

 思わず感嘆に似たため息をついたときだった。

「お前……」

 猫の中心に誰かいた。その呟きを皮切りにたくさんの視線に射抜かれる。

 暗くて気づくのが遅れたが、全身黒づくめの人物が僕を睨み付けていた。

 雲が割れて、一筋の月明かりが射し込む。

 綺麗な瞳を持つ少女だった。僕と同い年くらいの、十四、五歳の女の子。

 彼女の短い髪が夜風に吹かれてふわりと揺れた。金色だ。地色は黒いので染めているのだろう。

「……」

 どれくらい僕らは見つめあっていただろう。

 お互いこんなところで会うなんて予想外、みたいな感じだ。

 少女は訝しむように瞳を細めて僕を見た。

「ヘータ……?」

「……」

「ヘータか?」

「……そうだけど」

「やっぱり!」

 彼女は嬉しそうに涙を流した。ぎょっとして少女を観察したが、やはりどう考えても初対面である。

 僕がわたわたとどんな反応をしようか考えていると、少女はまなじりを手首で拭い、

「久しぶりだなぁ!」

 にっこり微笑むと握手を求めるように右手を差し出してきた。

「さぁいこうぜ!」

「えっ」

「早くしろよ。遊びに行こうぜ!」

 なに言ってんだ、この人。

 沢山の猫が、彼女を見守るようにジッと見つめている。

 猫の中心に立つ髪を染めた少女。一言でいうなら不気味だった。

「はやく手を取れよ!」

 変な人に絡まれったっぽい。

 この世ならざる狂気を感じる。

「いや」

 お断りだ。

「あー、っと……」

「なんだ?」

「お構い無く」

「あ」

 僕は慌てて踵を返し、駆け出した。

 どこにでもヤバイ人はいるもんで、関係ないけどビニール袋のアイスは溶けていた。




 プールの授業に補修というシステムがあることを知ったのは、一学期の終わりのことだった。

「七月末まで毎日プールだぞ」

 渡されたプリントにペケが入っているのを横から覗きこんできた友達の由良がニタニタしながら教えてくれた。

「そりゃあ、あんだけ休めば出席点がたりなくなるわ」

 最悪だ。


 というわけで僕は今、照り返す日差しに吐き気を覚えながら、プールサイドでボウとしていた。

 不気味な猫の集会を目撃した翌日、呆けた気分を引きずったまま、知り合いが誰もいないプールで退屈をもて余す。

 そもそも僕は水泳という授業そのものが嫌いだ。

 人の体液と塩素が混じった水に浸かるなんて正気の沙汰ではない。だから定期的にお腹が痛くなる生活をしていたら、補修というシステムに襲われたのだ。

 生欠伸を噛み殺す。

 クロールや平泳ぎの強制が終わり、フリータイムに突入したはいいが、そんな時間にまで水と戯れるのは自由参加しているバカだけで、僕はゆったりとした気分のまま空を眺めるだけだった。

 泣けるくらい晴れていた。

 ザバッ。

 僕の正面の水面が盛り上がり、水滴を滴ながら水泳キャップとゴーグルをつけた女の子が浜に打ち上げられたイルカのように上陸してきた。紺色のスクール水着が太陽に反射して鱗のように光っている。

 彼女はそのままベンチにかけられたタオルを取ると、自らの身体をごしごしと拭き始めた。

「管野平太」

「はい?」

 正面に立った女の子が僕の名前を呼んだ。何で知っているんだろ。

「お願いがある」

「はあ」

「10個もある」

「そうなんですか」

「叶えてくれないか」

「……」

 何で僕が?

 断ろうと思って彼女を見つめた時だった。

 タオルで水気を取っていた少女は、ゴーグルと水泳キャップも外してベンチに置いた。

 金色の髪と澄んだ相貌。昨日の晩に会った少女だった。

「お願いにゃ」

 彼女のスクール水着には『3-2 猫柳』と印字されていた。



「昨日の晩は焦ったぞ。秘密の集会を見られたと思ったからな。でも相手がヘータで良かった」

 猫柳さんはくしゃりと笑みを浮かべると僕の隣に腰かけた。

「しかし久しぶりだな」

「え?」

「ヘータも同じ学校だとは思わなかったぜ」

「あ、あの」

「ん?」

「知り合い、だったけ、僕ら」

「……」

 信じられない物でもみるように彼女は目を丸くした。

「忘れたのか? 忘れたのか、このアタシを」

「ご、ごめん。見当もつかない。ねこ、やなぎさんだよね?」

「あ、ああ、そうか。親が離婚して名字が変わったんだ。ほら、アタシだよ、倉田ネネ!」

「……」

 クラタ、ネネ?

 愛くるしい丸い瞳とすっきりとした二重瞼。ほんの少し上向きな鼻に細い顎。

 裸足の少女の足元には水溜まりが出来ていた。

「昔家が近所だったろ!」

「僕の知り合いに金髪の人なんかいなかったと思うけど……」

「染めてんだよ! これはよぉー!」

 パシりと肩を軽く殴られた。

 ああ、なんて……。

「冗談。冗談だよ。ネネだったんだ。ビックリしたよ。久しぶりだね」

 なんて、懐かしいのだろう。

「ちょっと見ないうちに様変わりしたね」

「気分転換で髪くらい染めるわ」

 唇を尖らせて毛先を摘まむ少女に、かつての面影を確かに見た。

 倉田ネネ。

 幼馴染みだ。冗談を言い合う時は粗暴で男勝りの口調だったが、学校ではとことん内気な性格で、隅でジッと本を読んでいるような子だった。引っ越して以来会っていないが、まさか戻ってきていたとは。

「さてさて、アタシの10個のお願い聞きたいか?」

「暇だし、聞くだけならしてあげるよ」

「髪を染めたい」

「叶ったじゃん」

「プールで思いっきり泳ぎたい」

「叶ったじゃん」

「大人になりたい」

「あと6年待てよ」

「ばっか、男と女で大人になるっていったら、それは、ほら、お前……」

「いきなり下ネタぶっこんでくんなよ!」

「あ、いまのは冗談ね」

「う、うん。本気でも困るしね」

「でー、四つ目がぁ、カレシが欲しい。優しくて理解のあるカレシが」

「そうなんだ。でもネネくらいならすぐできそうなもんなのにね」

「そこがなかなか難しいところなのだよ。ヘータ、ちょっと付き合ってくれない?」

「告白のノリが軽すぎて反応に困るよ」

「これは冗談じゃないよ。本気」

「え? まじ?」

「……一日限定でいいからさ。お願いできない? 恋人ね」

「一日? ……それなら、いいけど」

 僕の返事を受けて、ネネはヒマワリのような笑顔を見せた。

「オーケー。じゃあ次の願い事ね。ズバリ、デートがしたいです!」

 ぴーーーー。

 彼女が立ち上がり拳をぐっと握りしめると同時に、先生の休憩時間終了のホイッスルが響いた。

「ちぇ。なんだよ」

 ベンチの上に置かれた水泳帽とゴーグルを荒らげに鷲掴みにすると、それを素早く装着する。飛んできた飛沫が僕の腕で弾けた。

 彼女は肩口までの髪を無理矢理キャップのなかに詰め込むと、

「それじゃあまたあとでな!」

 そう元気に告げてプールに飛び込んでしまった。白い波がたち、すぐに見えなくなる。

「はーい、集合! 補習組はいまからクロールの実技テストを行うぞぉー!」

 下卑た提案に夢中な体育教師の塚井は飛び込みを注意するでもなく、プールサイドに生徒を集めた。


 陸上生物たる人間が水上で生活できるわけがなく、摂理に反した行動をとった僕の全身は味わったことのない疲労感にとらわれ、高まる気温と対称的に身体は冷えきっていた。

 更衣室で着替え、ぎゃあぎゃあ騒がしい他クラスの隙間を縫うように帰宅の途につく。午後は期末テストがダメだったやつの座学が控えているから、水泳の補習は午前中だけだった。

 へとへとに疲れはてた僕は、家に帰って二度寝と行きたいところだったが、

「遅いぞヘータ。アタシを待たせるとは何事だ」

 ネネがそれを許さなかった。


 チュニックと水色のショートパンツ姿のネネは、妙に大人びて見えて、中学二年生の僕の心をくすぐった。

 昔から尖ったところはあったが、それを見せるのは身内だけで、毛染という大それた行動をとるなんて、彼女の性格上あまり考えられないことだった。五年会わないと人は変わるらしい。思春期なら尚更だ。

 久しぶりに並んで歩く通学路は、夏の日差しに充ちていて、遠くの逃げ水が僕らの世界を霞ませていた。

「つるみ屋行くぞ!」

 五つ目の願い事はデートだったが、どうにもこうにもしょうもない。

 つるみ屋は幼い頃行きつけの駄菓子屋で、

「去年つぶれたよ」

 今はシャッターが降りている。

「むっ、なんだと。じゃあ何処にデートに行けばいいんだ」

「突然言われてもな……おしゃれなカフェとかなら駅前に行けばあると思うけど、今の時間だと混んでるし」

「やだ。そんなのつまらないじゃない。よしっ、海に行こう。海を見に行くんだ」

「どこの海?」

「そんなの知らない。リードすんのはヘータの役目!」

「ここから一番近い海だと東京湾かな。近いっていっても電車乗り継いで一時間くらいだけど」

「イヤだ。アタシは砂浜が見たいんだ。どこか別のところにしよう」

「ネネは他に行きたいとこないの? デートとかじゃなくてさ。君が行きたいところに付き合うよ」

「そうだな。それなら神社に行きたい」

「神社? お参りでも行くの?」

「べつにいいだろ! アタシが行きたいから行くの!」

「ふぅん。そう」

「さあ行こうぜヘータ。ここから一番近い神社はどこだ」

 桜観神社だ。


 僕ら二人はそのままの足で、名神神社に向かった。さほど時間はかからなかった。

 古ぼけた鳥居の前に立つ。

 石灯籠があり、申し訳程度の石段を上れば直ぐに参道だ。

 土の匂い、草の香り。石畳のひび割れに生える雑草。落ち葉は少なかったが、廃れた神社には変わりない。

 激しくなった蝉時雨がハウンドし、軽い目眩を覚えた。謎の浮遊感に囚われ、夢の中を歩いているような不安定な気持ちになる。

 本殿を覆うように繁った境内の樹々は、風に揺すられサワサワと音をたてていた。

「昔、二人でよくカクレンボしたな」

 ネネが目を細めて呟いた。

「標的は一人しかいないのに、なんでだろう、凄く楽しかった。ヘータは隠れるのがうまくて、毎回驚かされたよ」

「存在感を消すのが得意なんだ。ここと、あと……公園だったよね」

「なにが?」

「ほら、よくカクレンボした場所だよ。えーと、あの公園はどこだったっけ。広場の真ん中に変な銅像がある」

「……」

 僕ら二人とも友達が少なかった。

 もういいかい、まだだよ、なんて声を出したら直ぐに居場所がばれてしまう。

 同じ近所で育った顔見知り同士、小さなコミュティで男女の隔たりなく遊び回ったあの頃が懐かしい。

 いまは女の子と会話するのでさえ気恥ずかしいのに。なんとなく高石さんの顔が浮かんだ。

「さぁ、お参りをするぞ」

 神前にたった僕らはお互い神妙な顔になってまっすぐ前を見た。

「ニ礼ニ拍手一礼だよ」

「なんだそれは。アタシはやりたいように挨拶をするぞ」

「大事なのは信仰心だしそれでいいんじゃないかな。僕は礼儀に則るけど」

「ず、ずるいぞ、アタシもそれする!」

 賽銭箱に五円玉を二つを投げ入れる。

 鈴をならしてから、ニ礼ニ拍手の動作終え、熱心に手を合わせるネネの姿を横目で見た。

 金色の髪が木漏れ日を浴びて輝いていた。

 一礼が終わり、

「なんて願ったの?」

 と僕が尋ねると、

「毎日みんなが笑顔で暮らせますように」

 彼女は気恥ずかしそうに微笑んだ。


 一つの目的を終えたので、境内にある木製のベンチに腰掛け、汗ばむ季節にため息をついた。

「暑いね……」

 額の汗を拭う僕を涼しい顔のネネが軽く小突いた。

「しんとーめっきゃく! この程度の暑さで根を上げるとはだらしないぞ、ヘータ!」

「異常だよ異常。ジュース買ってこようかな。ネネも飲む?」

「……飲む」

 神社でネネと一時的に別れ、一人自動販売機を探して夏の日差しの下をゾンビのようにさ迷い歩く。

 ガタガタと大きな音をたててゴミ収集車が市街地を駆け抜けていった。排気ガスに軽く咳き込んでしまう

「おっ。すげぇ八十円だ」

 スーパードリンクコーナーとかいうふざけた看板の自動販売機を見つけた僕は、昔ネネがレモンティーが好きだと言っていたことを思いだし、投入口に百円を入れ、スイッチを押した。

 ガタンと落ちてきたアルミ缶を片手に、神社で待つネネの元に急ぐ。

 彼女は待つのが嫌いでせっかちな性格をしていたからだ。

 普段は内気だが僕にだけは偉そうで、その癖すこしでも批判をすると悲しそうな顔をして直ぐに折れるのだ。

 気付けば苦笑いが浮かんでいた。

 ああ、まったくネネは内弁慶な猫みたいだ。

 自分に買ったスポーツドリンクで喉を潤し、青い空を見上げる。

 抜けるように晴れ渡る空模様。

 燦々と輝く太陽に不思議と笑みがこぼれた。

 ネネと会話するのは、やっぱり楽しい。数年ぶりでも、それは変わらない。

 竹馬の友、というやつだろうか。

 親友を待たせるわけにはいかないな。焼けたアスファルトの上を小走りで神社に向かった。

 蝉時雨の境内に戻った僕は、ベンチに腰掛けうたた寝するネネを見つけた。

 こんなに暑いのに、なんて穏やかな表情だろう。そっと近づいて彼女の頬にアルミ缶をつけようとしたときだった。

「ネネ……?」

 彼女が一瞬半透明に見えた。

「あっ」

 二つの丸い瞳がカッと見開き、直ぐに僕を捉える。

 いまのは……。

 幻だろうか。暑さで意識が朦朧としたのだろう。

「遅いぞヘータ! 喉がカラカラだ!」

「ああ、うん、ごめん。はいこれ、レモンティーでよかったかな?」

「うん、わかってるじゃん。これこれ!」

 サンキュー、と缶を引ったくるように奪うや否やプルタブを引き上げ口をつける。

 ごくごくと喉を鳴らしながらネネはレモンティーを飲み干した。

「ぷはぁー!」

「おいおい、奢りなんだからもっと味わって飲んでよ」

「うまいものはうまい。十分に味わった」

「それならいいけどさ」

 僕も自分の手にあるスポーツドリンクをイッキ飲みし、

「ぷはぁー」

 大きな息をついてから彼女を見た。

「さて、次はどこいく?」

 ネネは目を丸くしていた。


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