狼少女は嘘をつかない 3
河川敷についた。
日差しは柔らかく、沢山のススキを白く照らしている。球児達の声がグラウンドから響いていた。
のどかな昼下がりだった。散歩をする恰幅のよい女性やランニングに精を出す男性など思ったよりは人がいた。
「この河川敷をまっすぐいったら、右手側に古い神社があるの」
神社と聞いて一番最初に思い浮かべたのは、所属している部活の部長の実家だが、方角が全くもって逆となるので、どうやらそこを言っているのではなさそうだ。
しばらく考え込んでみてもわからなかったが、彼女の説明した地域は大体わかった。
「でもあの辺り再開発かかったんじゃなかったっけ」
「神社は取り壊されないよ。住宅に囲まれちゃったけどね。河川敷の神社だから火除けや厄除けが主なの。それに、今はもう廃れた文化だけど昔はオイヌサマといって、オオカミのお札を配っていたそうよ」
「へぇ。なんかおもしろいね」
「三峰系列の神社なの。昔、住んでいた近くに総本山があったわ」
「どこに住んでたの?」
「秩父」
埼玉県だっけ。自然豊かなイメージだ。一度も行ったことはないが。
「大上はこっちに越してきたんだ。お父さんの転勤かなんか?」
「去年、父が他界したの。いまは母子家庭」
不味いことを聞いてしまっただろうか。本人が感じるボーダーがわからないので、大上の目を見てみたが、特に気にした風はなかった。
「だけど最近お母さんが家に男を連れてくるようになってね。信じられる? 父さんが死んでまだ一回忌も迎えてないのに」
どこか憤慨したように呟いた。
「母って人間の方」
「そう」
今の質問は的はずれだっただろうか、と密かに反省する僕をそのままに大上は続けた。
「ありえなくない? 年頃の娘がいるのに男を連れ込むのよ。しかも、そいつまだ大学生なの。どう考えたって頭おかしいじゃない」
「お母さん、やるねぇ」
「はあ? なに言ってんの」
失言だった。
「職場のバイトらしいけどアタシはあの男大嫌い。高校生の娘がいる家に上がり込もうと思う?」
「さあ……僕にはわからないな」
「あーあ。秩父に帰りたい」
そういえば彼女からもらったお土産は秩父銘菓だった。最近行ったのだろうか。
ガタンゴトンとオモチャみたいな音をたてて高架橋の上を電車が通過していく。
「こんな風に菅野と話するなんて思わなかった」
それをぼんやりと眺めながら土手の石段に座り込む。
「僕もそうだよ」
同級生でクラスメートだけど、教室でする会話はどこかよそよそしく、一定の距離感を保ったものだった。
一昨日までの僕が今日のことを知ったら驚くだろう。
「菅野はさ。将来何になりたいの?」
脈絡もなく彼女は聞いてきた。意図が読み取れず怪訝な顔をしていたら、慌てたように、
「この間、進路志望調査あったじゃない」
と付け足した。
「あれになんて書いたのかなぁー、って思って」
「……大上はなんて書いたのさ」
「菅野が言ってくれたら言う。第一希望だけでも教えてよ」
ニタニタと少女は微笑んだ。
「いいけど、絶対言えよ」
先生には提出してるから、別に今さら恥ずかしがることじゃない。
「サラリーマンって書いたんだ」
「うわっ、夢ないね」
「バカだな。サラリーマンが今の時代一番難しいんだぞ」
「まあー、そうかもしれないけど。紙の上くらい夢見ればいいのに」
「人並みになれればそれが理想さ。上手くいかないことばかりが人生だからね」
「なんかあったの?」
「なんもないから、こうなったんだろうな」
自嘲ぎみに笑うと、哀れむような視線を送られた。
「さ。僕は言ったんだからキミも言えよ」
自分の膝小僧の上に顎を乗せて、少女は「いいよ」と言ってから続けた。
「アタシはね、『お嫁さん』って書いたのよ」
「……」
「なに。その目」
「別に。人のこと散々言っといてなんだかなぁって思って」
「さっき自分で言ってたじゃん。普通が一番難しいって。そもそも普通がわかんないけどさ。人と人とが出会って愛し合うってすごい確率なんだよ」
「そうかもね」
「菅野は子ども欲しくないの?」
「飛躍しすぎじゃないか。そりゃ、いつか欲しいけど、でも僕らはまだ子どもだからさ」
「子どもと大人の間に明確な境界線なんてないと思う。それに思うんだけど、今地球上にいる生き物は脈々と遺伝子を受け継いで来た最終個体なんだよ。自分の代で血筋を絶やすのは先祖に申し訳がたたないって、思わない?」
「そればかりは仕方ないよ。孤独死だって生物進化における自然淘汰じゃないか」
「情がないのね。菅野にはがっかりだわ。イエローストーン公園の話知らないの?」
「なにそれ」
ふふん、と勝ち誇ったように少女は鼻をならした。
「アメリカの国立公園でね。人間の手によってそこにいたオオカミを駆除しつくしたら、今度は草食動物が増えすぎて、植物がなくなり、根によって支えられていた土壌は崩れ、河川は枯れ、生態系がボロボロになったのよ。それで慌てて他所からオオカミをつれてきたらもとの状態に戻ったの。つまりね、絶滅は仕方ないことかもしれないけど、一個の生命体がいなくなると積み木崩しのように生態系の崩壊に繋がる恐れがあるのよ」
「なんかどっかで聞いたことあるな」
ああ、近所の科学未来館に遠足で出掛けたときに書いてあったやつだ。
「命は慈しみ、保護するべきなの。自然淘汰という言葉で片付けるべきじゃない」
「そんな大それた話してたっけ」
「命を奪ってからじゃ取り返しがつかないのよ。例えばこんな話がある。送り狼といってね、昔、旅人のあとを付け狙うオオカミがいたんだって、で、これを殺したら今度は猪なんかに襲われるようになった。実はオオカミが旅人を見守ってたの」
「そんなバカな。おとぎ話だろ」
「でもオオカミの習性的に好奇心がつよいというのはあるからあながち間違いじゃないかもしれないんだって」
「ふぅん。なんかそれ、おもしろいね……ん?」
なんでこんな話してるんだっけ。
「てか、話変わってないか。お嫁さんになるって話で、お母さんになるって話じゃなかったじゃないか」
「……そーだねー」
とぼけた感じで相づちを打たれた。
どうやら彼女はただ単にオオカミの雑学を披露したかっただけらしい。
「結婚してても子供いない夫婦はいくらでもいるし、結婚してなくても子供いる人だってこの世にはたくさんいる」
「うん、確かにそうだね。じゃあ、アタシは進路志望調査表を書き替えなくちゃ」
「なんて?」
「アタシは『お母さん』になりたいのよ。たくさん子供を生んで育てたいの」
「少子高齢化を解決しようとするなんて見上げた根性だ」
「違うよ。一族の再興。ニホンオオカミのね」
目を細めて笑う少女の言葉は、なんとなく説得力があった。
その話のあとに、再度、真夜中一人素っ裸で徘徊していたことを忘れるように強要された。
影が揺れる河川敷で、誓いをたて、夕暮れを迎える前に僕らは別れた。
日々は流れる。
月曜日、学校で会った大上はいつも通りで、朝の挨拶を軽く交わす程度の存在に戻り、僕はと言えば教室の隅であくびをしながら、晴れ渡る空を眺めるだけの毎日を冗長ぎみに続けていた。
波風なんてない、平穏な一日がまた終わる。
退屈といえばそうだが、これこそが人が望む最大の幸福なのだろう。
出来事を無理やりドラマチックに書き起こすのならば、高石さんが僕と大上の仲を心配そうに訪ねて来たので「忘れ物を届けに来ただけだったよ」と誤魔化したぐらいだ。
つけてもいない日記の文面が容易く頭に浮かぶ。今日はなにもない素晴らしい一日でした。
そんな風にして過ごしていたある日の放課後、近所に住む中学生に誘われて真夜中にユーフォー探索に出掛けることになった。断っておくが僕の趣味ではない。オカルト趣味を拗らせた可哀想な子なのだ。
テキトーに相手をしてあげるのはいつも通りだったが、帰りが思った以上に遅くなってしまった。
真夜中と言っても差し支えない時刻だ。
町中歩き回ってへとへとだった。
ベッドタウンの僕の住む町は、八時を過ぎたらすっかりゴーストタウンに生まれ変わる。
早く自室でリラックスしたくて、知らず知らずのうちに歩調が早まっていく。
月は陰り、夜道は暗い。オレンジ色の街灯は、節電のためか一定間隔で消されていて、間の闇は深かった。
ふと、背後に気配を感じた。
振り返って見てみるが、特になにもない。
まさか宇宙人か、とバカみたいな考えが浮かんだが、首を横に振って、妄想を振り払う。
建物はたくさんあるのに、夜道にいるのは僕だけだ。
正面を向き直そうとしたとき、ふとブロック塀に二つの点が浮かんでいることに気づいた。
「……あっ」
いや、これは動物の虹彩だ。
肌が粟立つ。
茂みで奏でられていた鈴虫の鳴き声がいつの間にか聞こえなくなっていることに気がついた。冷や水を浴びたような恐怖心が心の奥底からわいてくる。心臓の音だけが静寂に響く。
きっと、のら猫に違いない。僕は好奇心を鎮めるため、一生懸命に思考を回転させた。
「グルルル……」
喉を鳴らす音がした。
一歩後ずさると、ソイツは躊躇することなく一歩分僕に近づいてきた。
街灯の明かりがゆっくりと獣を照らし出す。
薄茶色の毛並みを持った尻尾の長い犬だった。
犬?
ほんとにそうか?
「あ……」
首輪はつけていない。町中にこんな野生生物がいるなんて、大問題だろう。小柄とはいえ、柴犬ぐらいの大きさだ。子どもを噛むかもしれない。あばらが浮き出ていて、ろくな食事をしていないことが想像できた。
飢えている。
ゾッとした。一刻も早く逃げ出したかったが、僕の足で逃げ切れるとは思えなかった。
睨み付けるようにソイツの目を見て、ゆっくりと後退りする。
熊と出会った時は、こうやって逃げればいいと昔テレビで見た。野犬に対して有効かどうかはわからなかったが、なにもしないよりはマシだろう。
生きた心地がしない中、河川敷での大上との会話を思い出す。
正直に言えば、僕は頭のどこかでこの犬がオオカミなんじゃないかと疑っている。そんな事あるはずがないのに。
送り狼と少女は言っていた。少しだけ興味が出て、調べてみたら、妖怪の名前で登録されていた。
旅人をつけ回し、転んだ瞬間に食い殺す怪異だ。
対処法として「一休み」などと言って転んだことを誤魔せばいいとネットに書いてあったが、そんなバカな話が通用するとは思えなかった。
自分よりも弱い獲物を容易く逃がすほど肉食動物は甘くない。
悲鳴をあげて駆け出したかったが、刺激するのは不味いだろう。安全地帯にたどり着き、保健所に電話するのだ。……あれ。保健所って、この時間やってるっけ。やってるわけないよな。警察だよ。110番。
混乱する僕を嘲るように野良犬は大きく鼻を鳴らした。それはひどく人間じみた動作だった。
「わっ」
驚いて小さな悲鳴をあげてしまう。
野良犬はちらりと僕の方を見てからくるりと背を向けた。
助かった。
どうやら僕に対する興味を失ったらしい。昼間のワイドショーの山登り特集に助けられるとは思わなかったが、ホッと旨を撫で下ろす。
このまま去るのを待つだけだ、と背骨が浮き出た野良犬を見るが、一向に動く気配が無かった。
誰かにマテでも命令されているのだろうか。
疑問符を浮かべていたら、野良犬は首だけを回して僕を見てきた。
まるで「ついてこい」といっているような雰囲気だった。
そこまでメルヘンチックな人間ではないが、シロウサギを追いかけたアリスのように僕は野良犬のあとに続いた。中学生のころ、野良猫を追いかけて猫集会に参加できたように、退屈な日常のスパイスになるのではないかという砂糖菓子のような甘い思考の果ての行動だ。
どうやら僕は獲物と認識されている訳ではないらしい。
そりゃそうだ。オオカミは群れで狩りをする。犬だってそうだろう。一匹で獲物を殺そうなんて思わない。
野良犬は僕がちゃんとついてきてるか確かめるように、何回か立ち止まりこっちを見てきた。
目が合うと、喉を鳴らして、再びズンズンと進んでいく。道中只の一人ともすれ違わなかったのが不思議でならないが、いつの間にか再開発地区に入っていた。
アスファルトと爪がぶつかる音が暗闇の町に響き渡る。
シンナーの匂い、ビニールシートがはためく音、工事中の看板に、オブジェのように並ぶ重機。
建設中の建物が多い。イビツな粘土細工に囲われるように、神社があった。
信じられなかった。河川敷で大上が言っていたところだろう。明かりがないので暗かった。
「ここ……」
僕が独り言を呟くよりも早く、野良犬は勢いよく鳥居をくぐるとそのまま走り去って行った。
「あ、おい!」
思わず叫んだが、石造りの鳥居の先へ消えた野良犬の姿は見えない。
「なんだよここ」
神社だ。犬のあとをつけたら神社にたどり着いた。
石碑のようなものがあった。スマホのライトをオンにして、かざしてみるが、苔むして、かすれているため書かれている文字は読めなかった。
唾を飲み込んでいた。
肝試しでもないのに、こんな時間に神社に来るなんて思わなかった。
進むべきか戻るべきか、悩む。さっさと帰るのが正解だってわかっているが、さっきの犬が気になった。
高鳴る心臓に鼓舞されるように、僕はゆっくり歩みを進ませた。
月明かりもない、石畳を慎重に進む。頭上の木々の枝に止まっていた鳥が羽ばたき、僕は小さな悲鳴をあげそうになった。三十メートルもない参拝路をドキドキしながら進み、狛犬の銅像の近くまで来た。奥には手水舎が見える。犬の姿は見当たらない。徒労だ。
せっかくだし、参拝でもしようかな、なんて思った時、雲の切れ間に月明かりが差し込んだ。幻想的な一筋の光に照らされた銅像の輪郭が明瞭になる。
「これ……」
それは狛犬ではなかった。犬、いや、オオカミの銅像だった。
「なんで……」
いや、なにも不思議なことはない。昔、部長に聞いたことがある。境内にある狛犬はその神社の系列によって変わってくると。現に部長の家の狛犬は稲荷神社だからキツネだ。
僕は懐中電灯代わりの頼りないスマホのライトで銅像を照らし観察してみた。たぶんオオカミの銅像で間違いないだろう。
変わったシンボルだな、と浅くため息をついたとき、ふと、草木が風に揺れる音に混じって、すすり泣きが聞こえてきた。
「っ!」
間違いない。鼻をすする音。
誰かいる。どこかにいる。
背筋が凍る。こんな夜中に誰だろう。神社の人だろうか。でも夜だぞ。
泣き声は近い。顔が熱くなる。
そのまま、逃げ出そうかと思ったが、先ほどの野良犬の不可解な行動が脳裏をよぎり、もしかしたら、飼い主のピンチを救うために僕を呼んだんじゃないだろうかと世界中に溢れる三面記事を想像してしまった。
スマホを力強く握っていた。前にかざして僕は慎重に歩き始める。鳴き声のする方に向かって。
境内の隅の分社に小さな人影があった。
ライトで照らし、それが実在の人物であることを認識する。少女が不愉快そうに眉間にシワを寄せた。
大上小夜子。
パジャマ姿の同級生が、三角座りでお社に背中を預けるように泣いていた。




