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黄昏せまれば  作者: 上葵
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静寂の街に鈴の音響く2



 次の日の朝、悶々とした気持ちを引きずったまま、日課の通り珠川に行く。澄んだ空気と水音が僕の心に平穏をもたらしてくれた。

 土手の石段に座り込んで、川風に揺れる夏草や、せせらぎに羽ばたく水鳥を眺める。

 柔らかな日差しの下で僕は思いっきり息を吸い込んで吐き出した。

「……」

 出来るだけ、高石さんの力になろう。

 声に出さず誓いをたてる。

 結局僕は無力だけど、彼女が望む限りのことはやってみよう。もしかしたら、失った声を取り戻すきっかけにはなるかもしれないし。

「そのためにも憂い事を早々に片付けよう」

 大敵に挑む前に目下の敵を処理しなくては。

 いつもより早い時間に川をあとにした僕は、そのままの足で図書室に向かった。


「よぉ、平太。進捗はどうだ?」

 精神的に安定した状態で勉強に臨む僕に図書委員の朝の仕事を相方に押し付けた住吉が話しかけてきた。

 ペンを止めて顔を上げる。

「あぉ、ボチボチだよ。やっぱり英語は難しいね」

「国語は得意なくせにわけわかんねぇな」

「日本語が得意でも英語は苦手ってそんなおかしなことかな」

「おんなじ言葉じゃねぇか」

 住吉は眼鏡をおでこまであげ、目もとを親指で揉みほぐした。

 思えば住吉が始まりだった。

 コイツが壁新聞とかいう企画を思い付かなきゃ、僕は高石さんと顔を付き合わせることもなかったのだ。

「まあ、どうでもいいや」

 彼は椅子を引いて腰かけ、そのまま頬杖ついて僕を見やる。

「ところで平太、昨日コエナシと一緒に帰ったらしいな。わざわざ待ち合わせまでして」

「コエナシが誰かは知らないけど、高石さんとなら一緒にいたね」

「ふーん、あいつとは同じ小学校だったから知ってんだけどよ」

「和巣小?」

「別に仲良くなかったけど、そんときは普通に喋ってたぞ」

「色々と事情があるんでしょ」

 再びペンを走らせる。前置詞が未だに理解しきれないので、書いて覚えることにしたのだ。

 僕の勉強を邪魔するように彼は続けた。

「あいつ今じゃ考えられないけど、小学生の時は男勝りな性格でさ、しょっちゅう男子と喧嘩してたっけ。1回頬にスゲェ青アザこしらえてきてさ、担任が朝の会の時に『どうしたんだそれは!』って怒鳴り付けたんだ、シレっとした無表情で『転びました』だとよ。ほんとは絶対喧嘩だよ」

「……」

「そんで、なんか知らないけど俺の親がコエナシとはあまり付き合うなって言うんだ。もとからそんな仲良くねぇってのに。まああんまり素行がいいやつじゃなかったからな」

 住吉は肩をすくめた。

「低学年の時はドッチボールとかキックベースとかは男子と混じって遊んでたぜ。そんときは別のクラスだったからあんまり知らないけど」

「あのさ」

「ん? あー、ちょっとまてもうちょいで思い出せるから」

「なんでそんなに高石さんのこと、僕に話すの?」

「え? だって好きなんだろ、コエナシのこと」

 やっぱり勘違いしてた。

「別に好きとか嫌いとかじゃないよ」

「めんどくさいのが好きなんだな。まあ確かに美人だし。応援するよ、一応は友達だからよ」

「……どうも」

「他に俺にできることがあれば何でも言ってくれ」

「じゃあ、さ。一つお願いがあるんだけど」

「おう、何だよ」

「勉強したいから黙っててくれないか」

「……」

「悪いね。中間が酷かったから気合いいれないとまずいんだ」

「つまんねーの」

 ふてくされたように眼鏡の位置を直すと退屈そうに立ち上がった。

「なんか進展あったら教えろよ」

 進展、ね。

「あぁ、そうだ。一つお願いがあった」

「なんだ?」

 嬉しそうに輝くレンズに僕は訊ねる。

「脚立持ってる?」

「は?」

 一瞬の沈黙のあと住吉は答えた。

「脚立って……あの脚立か? 店にならあるけど、……それがどうかしたか?」

 彼の実家は生花店を営んでいる。脚立くらい持ってるだろうと踏んで、どうやら正解だったらしい。

「僕と高石さんの仲を応援してくれるなら、脚立を貸してくれないか?」

 心底意味がわからないといった目で見られた。


 無事にテストを終え、解放感に酔いしれながら放課後を迎えた。とはいえ、いつまでも喜びに浸っているわけにはいかない。テスト返却という憂鬱イベントの前にこなさないといけない課題がある。

 自宅に鞄を放り投げ、即刻私服に着替えると、僕は住吉の家に向かった。

「まじで何に使うの?」

「秘密」

「……まあ、いいけど」

 ジワジワと立ち上る熱気に息を切らせて、三転町に急ぐ。脚立を肩にかついで歩く中学生なんて、どうやったって人目をひいた。恥ずかしさに負けないよう真っ直ぐ正面を向いて待ち合わせの公園に向かった。


 住宅街の路地のごみ捨て場に、カラスが数羽群がっているのを見つけた。生ゴミが散乱している。

 再開発がかかった地域でも、住民はごく少数いる。だけど、すれ違う人の顔には生気はなく、三転町は静けさに囚われていた。

 予定が組まれているのは、来年の四月以降らしい。再開発計画は二年前に発表された。オリンピックまでの開発が目標らしい。強引な話だ。


『ありがとうございます』

 私服姿の高石さんは僕を見やるとベンチから腰をあげ、直ぐにこちらに駆け寄ってノートのページを開いた。

 白いワンピースに長い黒髪がよく映えている。

「いいよ、思ったより簡単に借りられたからさ。鈴の音の原因がわかるといいね」

『はい』

 初夏の日射しのなか高石さんは微笑んだ。


「テストどうだった?」

 歩きながら話しかける。

 今日はテスト最終日なので、いつもより早く家に帰れた。だから一旦学校で解散し準備を整えてから公園に集合したのだ。

『ぼちぼちです』

「そっかー。僕もぼちぼちだったよ」

 高石さんはクラスの友達から授業内容を教えてもらっているらしく、テストは普通に受けている。中間はクラスの上位に名前を連ねていた。ただ、出席点は低いので内申は期待できない、らしい。

「……」

 お互い口数が少なくなる。

 僕らの間を通り抜ける風は初夏の爽やかさを届けてくれて、良くできたCDを自室で聞いているようなリラックスした気持ちになる。足音や衣擦れの音が静寂に溶けて町に命を与えているみたいだった。


 母子寮についた。

 所々ひび割れた壁が築年数を物語っている。

「鈴の音はしないね」

 それにしても、この違和感はなんだろう……。

 夜の学校と同じようなものだろうか。あるべき『子供の声』がないから不気味に感じてしまう。

「いこうか」

 彼女は力強く頷いた。


 昨日と同じ要領で門を開け、正面玄関までやって来た僕らは、割れた二階の窓を改めて見上げた。

「それじゃあ、行ってくるね」

 返事を聞く前に脚立を立てた。思った以上にしっかりとした脚立だ。銀色の段差に足をかけ、自身の倍の目線を味わいながら、割れ箇所に貼られたガムテープを再度確認した。

 これならなんとかなりそうだ。

 ポケットにいれておいたカッターを突き刺し、空いた穴に指を突っ込んで円状に広げる。腕が突っ込めるくらい穴を拡げ、そこから内側のサムターン錠を解除した。

「……」

 窓ががらがらと音をたてて開く。ミッションコンプリート。

「そこで待ってて」

 脚立の下の高石さんに声かける。

 彼女は地面に足をつけた状態でフルフルと首を横に振った。

「いや、待っててよ。一人も二人も、行く意味ないよ」

 フルフル。

「危ないしさ。すぐ戻ってくるから」

 フルフル。

「見張っててよ。僕らは結局不法侵入してるんだから」

「……」

 彼女は静かにうつ向いた。


 割れた窓は廊下に通じていた。少しためらったが土足のまま足をつける。

 締め切られた屋内廊下に空気の流れはなく、呼吸をする度に埃臭さを感じた。歩くと音が異様に響き、誰もいないということを再認識させられる。壁には等間隔にドアがあり、部屋番号がプレートに入れられていた。

 洗濯室の横の階段を下り、エントランス前までたどり着いた。退去前に掃除でもしたのだろう。エントランスのタイルに埃や砂などは一切なかった。

「開いたよ」

 ガラス戸の鍵を外し、ドアを開け、高石さんを中に招き入れる。

 靴抜きに立った高石さんは懐かしそうに辺りをキョロキョロと見渡し、小さく頷いた。

「じゃあ行こうか。高石さんは何号室にいたの?」

 声をかけると彼女はそっと僕の靴を指差した。

「ああ、迷ったけど、そのままにしちゃった」

「……」

 彼女は靴箱に目をやった。当然だが空っぽだ。もしかしたらいままではそこにスリッパがあったのかもしれない。

「これは言い訳だけど、この靴下は新品なんだ」

『はい』

 難しい顔で文字を指差しため息をついた。


 事務室と書かれたドアを開け、室内に入る。

 職員室のように長机がいくつか並べられていたが、上に物は一切置いてなく、人の気配も感じられなかった。

 目的地である高石さんが住んでいた部屋に行く前に寄り道したのには訳がある。

 入居者情報から母親の行方を調べてみようと試みたのだ。

 母親が失踪し、ひとりぼっちになった高石さんは、半ば強制的に施設を追い出され、遠い親戚に引き取られた。

 それが半年前の話。

 職員は母親の行方は知らないと口を揃えたが、彼女はそれを疑っているのだ。

「……」

 どんなのだろう。

 ある日突然家族がいなくなるのは。

 荷物も、なにもかも置いて、母親はいなくなった。

 理由はわからない。


 高石さんはロッカーを片っ端から開けているが、やっぱり中は空っぽだった。

 恐らくいまある家具類は建て壊しと共に処分しようと置いてあるだけで、個人情報などの書類は支援施設の本部に送っているはずだ。

 あるはずがないものを探すのは酷く空しい。

 無駄だと思うが一応奥の部屋も覗いてみることにした。

 寮といえど、施設はかなり大きいものだった。まるで学童みたいだ。少しここで生活してみたい気がする。

 ちりん……。

 僅かな音を鼓膜が捉えた。

「いまの……」

 ドアノブに手をかけ、ゆっくりとそれを引く。

 給湯室の奥の休憩室に足を踏み入れ、窓辺に風鈴がかけられているのを見つけた。

 ガラスをキラリと光らせている。

 風鈴には艶やかな装飾が施され、紐の先の短冊には『涼風』と書かれていた。

「……」

 人差し指を舐めて、風を確かめてみる。微かだが空気の流れがあった。

 窓が少し空いている。

 カーテンはないのに風鈴を外し忘れるとかとんだ間抜けだ。

 呆れより先に今回の発見にため息がでた。幽霊の正体みたり枯れ尾花とはよく言ったものだ。

 高石さんに何て伝えよう。

 拍子抜け。肩透かし。

 結局大抵の事象の正体は下らない事の積み重ねなんだ。

 ぼうと考えていたから、休憩室の入り口に立つ高石さんに気づくのが遅れた。

「あ、これさ……」

 無表情でこっちを見ている。

 僕は慌てて風鈴を指差し、出来るだけの笑顔を浮かべる。うまく表情が作れない。

「どうやら、風鈴だったみたいだよ。鈴の音に似てなくはないし」

「……」

「なんだか人騒がせ、だよね」

 彼女はふるふると首を横に振った。

「どうしたの?」

 訊ねるやいなや、直ぐにノートを取り出した。

『うわさ』

「噂? なにがどうしたの?」

『記事にあった噂に。風もないのになり続けたと』

「……でもさ、人間の記憶って結構あいまいだし、しかも鈴鳴り屋敷の噂を教えてくれたやつは又聞きだったからさ」

『きのう』

「昨日?」

『風はなかった』

「たしかに。でもさ、すきま風ってのは普通より流れるものだよ」

 僕は少しだけ開いたままだった窓を閉める。完全な密閉空間になった小会議室はとたんに息苦しいものになった。

『だけど』

「……」

 彼女のペンはそこで止まった。

 続きの文章が思い浮かばないらしい。

 眉間にシワを寄せている。端正な顔だちが台無しだ。

「そうだね」

「……」

「一回203号室も見ておこうか。もしかしたら別の原因があるかもしれないし」

『はい』

 困った顔で頷いた。


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