きみの温かさを知る
タイトルはお題サイト「確かに恋だった」様よりお借りしました。
今年の2月14日は平日ど真ん中の水曜日だった。つまり、今日はいつもと変わらず授業もあったし、部活もあった。
「本日の練習はここまで。解散!」
監督の号令と、部員の言葉になっていない「ありがとうございました」を聞き流しながら、私も片付けに取り掛かる。日没が遅くなるにつれて、練習時間も徐々に伸びていくのは気のせいではない。
だけど、皆で必死に掴んだチャンスを、ふいにするわけにはいかないから。
水勢高校野球部は、春の選抜大会行きの切符を獲得した。その喜びに浸りつつも浮かれているわけにはいかず、今まで以上に厳しい練習が連日続く。春の選抜まで残すところ約一ヶ月半。学生の本分は勉強と言えど、練習は一日も欠かす事が出来ない。
部員もさることながら、当然マネージャーも息をつく暇もない。いつも以上に洗濯物は多く、準備するお茶やドリンクの量も半端な数では足りない。心なしかこのところ、疲れが溜まっている気がする。
「よいしょっと」
しかし私だけ弱音を吐いているわけにもいかない。練習用のボールが山のように入った籠を持ち上げる。入部当初は籠の重さに腰痛持ちになるかと思ったぐらいだったけど、今ではこれも慣れっこだ。
「お疲れさん」
「あ、お疲れ」
倉庫に向かう途中、おそらく倉庫からの帰りだと思われる皆川と鉢合わせた。あの夏の日、部室で他意はなく二人きりになった時から、何となく会話が増えた気がする。お互いに声をかける回数も増えたような。あれから半年が過ぎて、皆川も部内でとても頼もしくなった。今や、彼の牽引力は部にとって欠かせない存在だ。
「お前もいつも大変だな。それ重いだろ?」
「今更だよ。とっくの昔に馴れた」
「持とうか?」
「大丈夫。一人で運べる」
歩きながら会話を続ける。気づけば彼も隣を歩いており、さっき倉庫から戻って来ていなかったっけ、と首を傾げた。
「そんなにあっさり断られたら、俺の立つ瀬がねえじゃん」
「キャプテンにはキャプテンの仕事があるでしょ。これはマネージャーの仕事だから」
それに、体育倉庫はもう目の前だ。籠を持ったままドアを開け、定位置に降ろす。振り返れば、皆川は倉庫の入り口に立ったまま、私を見ている。
「何か用?」
「えっ、あ、いやあ、用事というか、何と言うか……」
不審に思って尋ねてみれば、皆川はしどろもどろな受け答えを返してきた。何だか今日はいつにも増して構ってきている。彼がここまでついて来るのは初めてだ。
「……皆川、あんた、もしかして」
「ん?」
今日が何の日か分かって、私に構ってる?
「…………いや、やっぱりいいや。それじゃ、本当にお疲れ様。私もう着替えるから」
「お、おう……」
そんな質問をするのも馬鹿らしくなって、私は更衣室に直行する。暗に「ついて来るな」と言ったのを察したのか、それとも単純に私の行先が女子更衣室だからついて来ないだけなのか。皆川は立ち尽くしたまま私を見送った。
もし本当にあの質問を口にしたところで、私は一体どんな答えを期待していたんだろう。
「どうしたもんかなあ」
日が沈み、薄暗くなった空を見上げ、私はこの後どうするのかについて思案した。
* * *
着替えを終えて更衣室を出れば、辺りはすっかり暗くなっていた。さすがに冬は日没が早い。
マフラーをしっかり巻き、手を擦り合わせながら校門までの道のりを辿る。練習中は熱気でそれほどでもないけど、終わったあとは静けさも相まって更に寒く感じた。
全ての部活が終了したこの時間帯、残っている生徒はほとんどいない。きっと彼も帰ってしまっているだろう。
結局、渡せずに今日が終わってしまった。友達へは簡単に渡せたのに、彼にはとうとう声をかけないままだった。そもそも、何で彼にだけ特別に作ろうなどとおもったのか。自分でもよく分かっていないままだった。仕方がないので家に帰ったら自分で食べよう。少し切なく感じるけど。
「って、あれ、何で?」
そんな事を考えていたはずなのに。
「……よう」
校門の端っこで、皆川は自転車に跨ったまま、まだ帰っていなかった。
「帰ったんじゃなかったの?」
「ん、いや。ちょっと用事あってさ」
何を待っていたんだろう。誰を待っていたんだろう。言いようのない不安や、もしかしたらという期待が、心の中で渦巻く。だけど、渡すなら、今だ。
「皆川」
「ん?」
「あの、さ、これ……」
思い切って彼に近付き、準備してきた黄色い包みを差し出す。いつもは普通に話せるような相手なのに、改まると顔をまともに見ることができない。
「え、これ……?」
おそるおそる視線を上に向ければ、皆川が目を丸く見開いて私に視線を向けていた。
「ほら、今日ってバレンタインじゃない? その、何ていうか、部活で日頃お世話になってるお礼もかねてっていうか……、友達に渡す分作ったら余っちゃったし、せっかくだからと思って。ブラウニー、嫌い?」
「い、いや? 割と好きだけど」
「よかった。じゃあ、これあげる」
渡しても問題のない理屈を考えてきたつもりだった。なのに、口に出してみれば取って付けたような、浮いた台詞になってしまった。それが余計に恥ずかしい。
「あ、あり、がとう…………」
驚いたまま顔が固まった皆川は、ゆっくりと私の手から包みを受け取る。
「それじゃあ、用事すんだから帰るね。バイバイ!」
受け取ってもらえたのを確認すると、居たたまれなくなった私は駅へ向かって走ろうとした。これ以上、彼の顔を見るのが恥ずかしい。明日からどんな顔をすればいいのだろう。
「待ってくれ」
「うわっ!」
二、三歩駆けたところで腕をぐいっと引っ張られ、私は再び皆川と相対する。引っ張られた力が強くて、思わず顔を顰めてしまう。
「ちょっと、痛い!」
「ごめん。いや、でも、俺も渡すものがあってさ、これ……」
謝罪もおざなりに彼が鞄から取り出したのは、黄緑色の袋でラッピングされたものだった。
「お前にやる。……一応、俺が作った」
「私に?」
今度はこちらが目を丸くする番だ。まさか皆川が、私に、しかも手作り?
「いや、なんかほら、最近男同士でも流行ってるんだよ、友チョコってやつ。でも時間なかったし、今までロクに菓子作りなんてした事ねえから、あれだぞ、本当にチョコを溶かして固めただけだぞ! 期待するなよ!」
「あ、うん。そっか……ありがとう…………」
何もそんなにムキになって叫ばなくても、と受け取りながら思う。確かに袋の上から触った感触は固くて、おそらくチョコレートなのだろうと推測できる。固めただけ、なんて強調しなくても、バレンタインのチョコって、質じゃなくて気持ちの問題だと思うんだけどな。そんな事を考える私は、まだまだお子様なのだろうか。
「…………あー、さすがにそろそろ帰らないとまずいかも」
少しの沈黙の後、時計を見て思ったよりも時間が経ってしまった事に気付く。今から帰れば、夕飯には間に合うだろう。名残惜しいし、もう少し余韻に浸っていたいけど、今度こそ本当に帰らなければ。
「それじゃあ、チョコありがとう。また明日ね」
「駅まで送る。暗いし一人じゃ危ないだろ」
私が歩きはじめると、皆川も同じ方向に自転車を走らせる。記憶違いでなければ、彼はいつも駅と反対の方向に帰っているはずなんだけど。
「えっ、だって、あんたの家って逆方向じゃん」
「そんなのチャリだしどうにでもなるって。ちょっとした運動にもなるし、気にすんなよ」
皆川は笑いながら頭を撫でてくる。その感触は、あの夏の日を思い起こし、直前までのやり取りとも相まって、私の体温は上昇した。
「……分かった。じゃあ、送ってもらう」
「ん、そうしとけ」
紅潮した顔を隠すため、マフラーに深く埋まる。だけど、もしかしたら隣で笑う彼にはバレバレなのかもしれないと思うと、ますます顔が熱くなった。