継承
雪は、あの日と同じように音もなく降り積もっていた。
村長室の重厚な革椅子に深く腰を下ろした健太は、窓の外を眺めていた。二十年という歳月は、村の景色をほとんど変えていない。古びた停留所も、共有林の深い緑も、そしてこの村を包む、耳が痛くなるほどの静寂も。
「失礼します、村長」
ノックの音とともに現れたのは、青年部長になったあの時のショウくんだ。彼の目には、かつての自分たちと同じ、一点の曇りもない光欲が宿っている。
「例の『環境保護団体』の男ですが……。やはり、北側の共有林を掘り返すと言い張っています。三十年前の地層を調べたいと」
健太は、机の上に置かれた古い村の地図に目を落とした。そこには、先代の村長が書き加えた「久保田」の名と、さらにその数年後、都会の病院で謎の衰弱死を遂げた「大滝」という刑事の名が、小さな印とともに記されている。
「そうか。困った人だね」
健太は穏やかに、しかし断固とした口調で応えた。
「この村の土は、もう十分に肥えている。これ以上、余計なものを混ぜる必要はないんだ。ショウくん、庭の手入れが必要だね」
「承知いたしました。商店の女将さんも、新しいお茶の葉が手に入ったと喜んでおられましたよ」
ショウくんが頭を下げて退室すると、健太は引き出しから一冊の手帳を取り出した。かつて久保田が持ち込み、大滝が奪い返せなかった、あの黒い手帳だ。
健太は万年筆を執り、新しい頁にその「環境保護団体」の男の名前を書き連ねた。そしてその横に、迷いのない筆致で一言、こう記した。
「継承」
窓の外では、学校帰りの子供たちが雪合戦をして笑い声を上げている。
あの子たちの瞳を曇らせてはいけない。この清らかな白銀の世界を、一滴の泥も混ぜずに渡してやるのが、自分の義務なのだ。
健太はふっと口角を上げ、窓ガラスに映る自分の顔を見た。
そこには、かつての村長と同じ、慈愛に満ちた、そして凍りつくほどに澄んだ「善人」の顔があった。
村は今日も、どこまでも正しく、静かだった。




