お茶の味
「寒いでしょう、刑事さん。これでも飲んで、温まってくださいな」
私は、湯気の立つ湯呑みを大滝さんの前に差し出した。都会で擦り切れたような顔をした男だ。久保田さんというあの不運な記者と同じ、土足で人の庭に入り込む「汚れ物」の目。
「ありがとうございます。……女将さん、本当に何も見ていないんですか? あの夜、青年部が通行止めにしていた道の近くで」
大滝さんが縋るような目で私を見る。私は、漬物を小皿に盛り付けながら、ふふ、と柔らかく笑った。
「あら。あんな雪の夜、外に出る人なんておりませんよ。山は静かでした。ただ、鹿の鳴き声が一度したくらいで」
嘘ではない。あの晩、久保田さんが崖っぷちで「助けてくれ、誰かいないのか!」と叫んでいた声は、私たちには鹿の鳴き声と同じ、ただの雑音にしか聞こえなかったのだから。
私は店に戻り、帳簿をめくる。
三十年前、この村を飢えから救ったのは、国や警察ではない。私たちが「処分」した、あの金貸しの男の遺産だった。あの時、村の大人全員で山へ入り、一晩かけて土を均した。その上に、今の豊かな共有林がある。
久保田さんは、その「土」を掘り返そうとした。
だから、みんなで相談したのだ。回覧板を回すのと同じくらい、ごく自然な手続きとして。
青年部は道を塞ぎ、医者は受話器を外し、私は彼に「崖の上から見る冬至の月は絶景ですよ」と嘘を教えた。役割分担は完璧だった。
「……そうですか。不思議ですね」
大滝さんが席を立つ。彼の靴裏に、共有林の防腐剤がついていることに気づいた時、私の指先が一瞬止まった。あら、うっかり。あそこにしか撒いていない特別な薬。久保田さんの靴にも、しっかり塗り込んでおいたのに。
でも、構わない。
警察の偉いさんには、もう村長が「寄付」を済ませてある。正義なんてものは、お腹が膨れている時にしか言えない贅沢品なのだから。
翌朝、去りゆく大滝さんの車を、村のみんなで見送った。
雪に洗われた村は、どこまでも白く、清らかだ。
隣に立つ健太くんが「バイバイ、汚れ物さん」と小さく呟いた。
「健太、そんなこと言っちゃダメよ」
私は優しく注意して、彼の頭を撫でた。
「お掃除が終わったら、お礼を言うのが礼儀でしょう?」
健太くんが「ありがとう!」と元気よく叫び、手を振った。
大滝さんの車が、怯えたようにスピードを上げて境界線を越えていく。
私は、彼が残していった空の湯呑みを思い出す。
中には、ほんの少し、この村にしか咲かない「しびれ草」の粉を混ぜておいた。今頃、彼の指先は少しずつ感覚を失っているはずだ。
「さあ、帰りましょう。今夜は温かいお鍋ですよ」
私たちは背を向け、美しい村の奥へと歩き出した。
一度も振り返ることなく。




