新しい婚約
クロムはシェリーからハイドレンジアにやってきた経緯を聞いたのち、部下に調査をさせていた。
「どうだったラセット。何かわかったか」
「はい。密偵の調査によると、シェリー様の予想はおおむね正しかったと思われます」
「やはりベルゼーヌ家とオーキッド家は結託してシェリーを亡き者にしようとしていたのか」
「はい。ベルゼーヌ家がオーキッド家に話を持ちかけ、金を支払う代わりに娘を穏便に処理してくれと申し出たようです。そしてオーキッド家は偽装婚約を装い、シェリー様を我が国の森へ放置したようです。その方が足がつかないと思ったのでしょう」
「聞いているだけでも虫唾が走る話だな」
「ええ、ベルゼーヌ家での扱いも酷かったようです。ヘリオドールでは黒髪は不吉の象徴。昔は、生まれてすぐに殺されていたくらいですから、今でも黒髪の女性に対する侮蔑の意識が強いのでしょう。シェリー様は令嬢というよりは召使のような扱いを受けていたそうです」
「いくら黒髪が不吉だからといって、我が子を手にかけるなど気が知れん」
「シェリー様へのご説明はどういたしましょう。調査結果をお伝えしますか?」
「いや、すでに本人もわかっていたことだ。わざわざ再度事実を突きつける必要はない」
「ではこのまま、ご婚約の儀の準備に入らせていただきますね。ですが、別途契約の件は本当によろしいのですか? せっかく『王の番』が見つかったのですから、一年待たずとも、多少強引にでも今すぐ婚姻を結んでしまってよい気もしますが」
「いや、彼女の気持ちが整理できるまで待つ。彼女はまだ相当に混乱しているようだった。ここで焦らせるのはよくない。私は生涯彼女と添い遂げるつもりだ。それを思えば一年待つくらいなんてことはない」
ラセットはあまり納得いっていないようだったが、クロムの意志は固かった。一度こうと決めたら譲らない。それがクロムという男なのである。
*****
シェリーはクロムと正式に婚約の儀を交わした。同時に以前約束した婚約破棄の権利についても別途、契約をした。
さらにシェリーは、ハイドレンジア貴族のエヴァレット家の養女となり、姓をエヴァレットに改めた。ベルゼーヌ家のシェリーは森で亡くなったことにしたのだ。そうすればオーキッド家ともベルゼーヌ家とも縁を切れる。
「おめでとうございます! シェリー様」
婚約に際して一番喜んでくれたのはベキアだった。
「ありがとう。でもまだ婚約しただけですから」
「そうでしたそうでした。クロム様からもまだあまり騒ぎ立てるなと言われていたのでした。でもわたくしは嬉しくて嬉しくて」
ベキアは赤切れのたくさんある手を合わせて少女のように飛び跳ねる。
こうして喜んでくれる人がいるというのは素直に嬉しいことだ。
ただ、式は一年後。それまで何があるか分からない。
もし婚約破棄しなければならないような状況になったときのことを考えて、シェリーは一人でも生きていける力を身につけておこうと思っていた。
それにもしクロムとの婚姻を選ぶとしても、一人で生きられないから婚姻を選ぶ、というようなことはしたくなかった。それはクロムにも失礼であるし、そんな妥協で婚姻を受け入れたところできっとクロムは納得しないだろう。だからたとえどんな道を選ぶとしても、自立する術を身につけておくことは重要なことなのだ。
そしてそんなシェリーが一人で生き抜くすべとして選んだのは――。
シェリーは医務室に来ていた。この訪問はラセットに連れてきてもらってから、すでに八回目のことである。
「あんたもしつこいなあ。お嬢ちゃん」
「はい。弟子にしていただけるまで諦めません」
シェリーは本格的に一人前の医術師になろうと決めた。医術師ならもし屋敷を出ることになっても食いっぱぐれることはない。
ただ医術師として一人前になるにはやはり師事する人間は必要だった。
「何度来たってダメなもんはダメだ。貴族のお嬢様に何ができる。興味本位で首を突っ込むな」
シャルトルーズはなかなかに頑固だった。シェリーは毎度この調子で追い返され、その後シャルトルーズの弟子であるポーネルにぺこぺこ頭を下げられるのが恒例になっていた。
「シェリー様、すみません。シャルトルーズさんどうにも口が悪くて」
「大丈夫です。罵詈雑言を浴びせられるのは慣れていますので」
「な、慣れ……? ええ?」
「それにシャルトルーズさんのは悪意があって言っているわけではないでしょうから」
今まで散々悪意を持った人間に関わってきたから分かる。シャルトルーズは何も憎しみや悪意を持って自分を追い返しているわけではない。むしろその逆だ。
医療魔法の使用には危険が伴う。治療していた医術師の方が逆に呪いを受けたりケガをするのはよくあることだ。特に経験の浅い見習いは危険予測の判断が甘くなりやすく事故に巻き込まれることが多い。ヘリオドールの医術師の中には多くの弟子をとっている者もいるが、指導が行き届かずよく事故を起こしている。一方、シャルトルーズの弟子はポーネル一人だけだ。確実に面倒をみられるようにあえて一人しか弟子をとっていないのだろう。シャルトルーズはこれ以上弟子が増えても十分な指導ができないと判断し、シェリーを拒否しているのだ。
ただシェリーは素人ではない。少なくとも何が危険で何が危険でないかは自分で判断できるレベルだ。だから知識と技術をみせる機会さえ与えてくれれば、ある程度使いものになることを証明できるのだが。
(こう門前払いされては、どうしようもないわね)
このくらいで諦めるシェリーではなかったが、このままでは頭を下げるだけで一年が過ぎてしまいそうだ。こうなったらシャルトルーズ攻略と同時に、独学での修行も並行して行っていくのがいいかもしれない。せっかく大きな書庫もあるのだ。独学でも以前よりはいろんなことができるはず。
ということで、まずは復習がてら、今まで作ってきた薬作りをやってみることにした。
シェリーはさっそく庭に向かう。
この屋敷の庭は広大だ。きれいに整えられた花壇や温室に加え、少し離れたところに林や池もある。
(さて、薬草探しに行きますか)
本当は薬草園に行きたいところだが、シャルトルーズの許可を得ずに勝手に入るわけにもいかない。それに観賞用の草花や雑草でも案外、薬草になるものもあるのでそういったものを狙うことにする。
(でもせっかく作るなら誰かのために役立つものを作りたいわね……)
ただやみくもに薬草を探して薬品を作るというのもいまいちモチベーションが上がらない。やはり医術師は治療する患者がいてこそ成長するというものだ。今までだって妹のためという目的があったからこそ、医療魔法についていろいろ調べたり学んだりして知識をつけられたのだ。
とはいえここにはワガママを言ってくる妹はいないし、治療が必要な患者もみなシャルトルーズのところだ。
(そういえば、クロム様には助けてもらったお礼がまだできていないし、何か恩返しがしたいけれど……)
彼のことは正直まだよくわからない。何に困っているのか、そもそも困っていることがあるのかすら知らない。
(私ってクロム様のこと何も知らないのね)
せっかく一年の猶予をもらったのだ。こちらからもクロムのことを知る努力はしたいところである。ただそれも今すぐにというわけにはいかない。時間が必要なことだ。
(そうだわ)
シェリーの頭の中に一つ作りたいものが浮かんだ。これなら今までも作ってきたものであるし、書庫の本に書かれていたことを応用してブラッシュアップすることも可能だ。
次回は楽しいお薬づくりです。




