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屋敷散策

 屋敷はシェリーが思っていたよりもずっと広かった。

 長い廊下を歩いていると、どこかから嗅ぎ慣れた匂いがしてくる。


(薬草の匂いだわ)


 シェリーは少し前を歩くラセットに話しかけた。


「どこかで薬草を調合していらっしゃるのでしょうか。かすかに薬草の香りがする気がするのですが」

「薬草? ああ、それなら医務室ですね。この先にありますから。ついでなので寄ってみましょうか」

「ええ、ぜひ。私、医療魔法について勉強していましたので、こちらにいらっしゃる医術師の方のお話を聞いてみたいです」

「貴族のご令嬢が医療魔法を学んでらっしゃったのですか。珍しいですね」

「身体の弱い妹がいたので、その看病のためにいろいろ調べていくうちに、興味がわいて独学で勉強していたんです」

「そうでしたか。独学で医療魔法を勉強されるのは大変だったでしょう」

「はい。でも興味のあることを勉強するのは楽しいことでもありました」

「くくっ。シェリー様とは気が合いそうだ」


 とそんな話をしていると、医務室と札の掲げられた部屋の前にやってきた。


「入る前に言っておきますが、中にいる医術師は少々気難しい人ですので、そのおつもりで」


 言いながらラセットは医務室の扉を開ける。


「こんにちは。シャルトルーズさんはいますか?」


 ラセットの問いかけにひょっこり顔を出したのは、シェリーより年下と思われる小柄な青年だ。


「あ、ラセット様。すみません、今シャルトルーズさん薬の調合中で」

「ご紹介したい方がいるので、少し出てきてもらえませんか?」

「ご紹介、ですか。ええっと……うーん……大丈夫かなぁ」


 青年は困った様子で奥に引っ込んだ。その直後、大きな声が奥から聞こえてくる。


「ああ? ラセット? ラセットがなんだって!?」

「だから、ご紹介したい人がいるとかで」

「紹介? 患者か?」


 最後の声が聞こえたかと思うと今度は大きな物音が聞こえてくる。どうやら何か床に落ちたり転がったりしているようだ。


「患者はどこじゃ? おぅい、ラセット!」

「はいはい、ここにおりますよ」


 ラセットが返事をするとほぼ同時に、初老の男性が出てきた。眼鏡をかけ、白いひげを生やした小柄な男性だ。


「ラセットがここに来るとは珍しい。どうした誰か本棚の下敷きにでもしたか」

「そんなことしませんよ。それに連れてきたのは患者じゃありません。クロム様のお客人です」

「客?」

「シェリー・ベルゼーヌと申します」

「ベルゼーヌ……? はんっ。他所者が何しにきた。患者でないならさっさと帰れ」

「シャルトルーズさんお客人なんですから、もうちょっと――」

「ラセットさん大丈夫です。お忙しそうですから今日はごあいさつだけで」


 シェリーが言い終わる前にシャルトルーズはまた奥へと引っ込んでいった。


「すみません、シェリー様。シャルトルーズさん誰に対してもあんな感じなんです。どうか気を悪くしないでください」

「気にしていません。むしろお仕事中にお邪魔したのはこちらです。また改めてお話をうかがってみます」


 そういうとラセットはキョトンと目を丸くした。


「すごい。正直、あんな対応をされてもう二度と会いたくないかと思いましたが」

「あれくらいなんてことありません。それにあの方は相当優秀な医術師とお見受けしました。ぜひ彼から学ばせてもらいたいです」

「ん? 確かにシャルトルーズさんは優秀な方ですが、いったい今のどのあたりで彼が優秀だと思ったんです?」

「それは薬の管理方法です。薬は保管の仕方によって効果がなくなったり、ものによっては毒に変質してしまうこともあります。きちんと薬の管理ができない医術師も案外多いのですが、ここの薬はどれもきっちり正しく保管されています」


 シェリーの話を聞いていたラセットは急に嬉しそうな笑い声をあげた。


「ははは! これは予想以上です。あなたは実に聡明で面白い。僕も陰ながら応援しています」


 二人は医務室をあとにし、屋敷散策を再開した。



「ここから庭に出ることができます」


 ラセットがガラスのはめ込まれた扉を開けると、その先は広い庭につながっていた。


「庭では季節ごとに様々な草花を楽しむことができます。今日のように天気の良い日は、外でお茶などされても気持ちいいですよ。メイドに声をかけて下されば、いつでもお茶やお菓子をご用意します」

「ありがとうございます。とても素敵なお庭ですね」


 シェリーは広々とした庭を見渡した。

 昨日、外から見たとき屋敷は森の中にあったはずだが、この庭からあの恐ろしい森は全く見えない。やはりここは森にあった屋敷とは全く別の場所なのだ。それを空間操作魔法でつなげている。


「クロム様に空間操作魔法を使っているとお聞きしたのですが、ここはいったいどこなのですか?」

「具体的な場所はお伝え出来ませんが、離宮の一つです。シェリー様が入ってこられた入り口は辺境の森でしたね。このように離宮はいくつか辺境と通じています」

「どうしてそんなことを?」

「この国は魔物が多いので、すぐに魔物退治に行けるようにです。ハイドレンジアでは王が自ら魔物退治をするので、だったら離宮と辺境を繋いでしまった方が便利ということです。ただ、出入り口の存在や場所を口外すると首が飛びますので、ご注意を」

「……わかりました」

「ではそろそろ書庫に向かいましょうか」


 案内された書庫は、書庫というよりもはや大規模図書館だった。


「すごい本の数……」

「どの本でも自由にご覧になってください」

「今から見て回ってもいいですか?」

「もちろん。では僕はこれで失礼いたしますね。お部屋への道は覚えていらっしゃいますか?」

「はい、大丈夫だと思います」

「もし分からなくなったら、誰でも気軽にお声掛けください」


 シェリーは礼を言ってラセットと別れた。


「こんなにたくさんの本が読めるなんて。なんてありがたいのかしら」


 シェリーはさっそく医療魔法の本を探してみる。棚の標識を一つ一つ確かめながら、見てまわる。


「うそ……医療魔法の本だけでこんなにあるの」

 

 医療魔法の本が収納されている棚は何列にもわたっていた。

 シェリーはさっそく一冊、手に取ってみる。薬草についての本だ。


「こんなに詳しく書かれているものがあるのね」


 実家では、気になったことがあってもすぐに調べるということは難しかった。医術師が来てくれたときに尋ねるか本を借りるかしなくてはならなかったからだ。でもここなら知りたいことがあればすぐに調べられる。

 シェリーは夢中で書庫の本を読み漁った。


「まあまあ、シェリー様。こちらにいらしたのですか」


 シェリーが顔を上げると、机の向こうにベキアが心配そうな表情で立っていた。


「まさか今までずっと書庫におられたのですか? そろそろ夕食のお時間ですよ」

「もうそんな時間になっていたのですか。気づきませんでした」

「シェリー様は本がお好きなのですね。でも今日はこのくらいになさって、食堂へ参りましょう」


 シェリーは読んでいた本を棚に戻すと、ベキアについて書庫を出た。



 食堂にはすでに夕食の準備が整えられていた。


(クロム様は、まだ帰ってきていらっしゃらないのかしら)


 そんなシェリーの内心を察したのか、ベキアが口を開く。


「クロム様は今日はお帰りにならないかもしれません。少し遠くまで出ていらっしゃいますので」

「そうですか」


 今日の夕食も、栄養たっぷりでどれもとてもおいしく、シェリーは残さず完食した。




 部屋に戻ったシェリーは寝間着に着替えベッドに横になった。


「あ、また違うお花」


 サイドテーブルに昨日とは別の花が活けてあった。小さなことだが、こういう心配りは嬉しいものだ。


「ベキアさんてほんとに気配りが上手なのね」


 この屋敷では何から何まで本当によくしてもらっている。


(だけど、いつまでも甘えさせてもらうわけにもいかないわ)


 気になっているのは『王の番』の話である。


(番というはやっぱり伴侶ということよね)


 なら『王の番』と言われたということは、自分はクロムの妻に選ばれたということなのだろう。


(でもどうして私が……)


 理由はさっぱり分からない。何か番としての条件があるのかもしれないが、思い当たることは何もなかった。

 それでも一国の王の妻に選んでもらえたのだ。素直に喜ぶべきところなのかもしれない。恐いと思っていたハイドレンジアも、少なくとも今まで会った人はみんな良い人であったし、ラセットの話からしても悪い国ではないと思う。だったら第一王子であるというクロムの妻になるというのは、とても良い話にも思える。


 ただ、今のシェリーは婚姻というものについて前向きな気持ちになれないでいた。

 もともと愛のない婚約ではあったが、スピネルに婚約破棄され追い出されたのはやはりとても辛かった。そしてその婚約破棄について実の家族が裏で糸を引いていたことも、シェリーの心を深く傷つけた。


(あんな経験もう二度としたくない)


 人の心は分からない。そもそもクロムだって、今は自分のことを気に入ってくれているとしても、この先ずっと裏切らないとは限らない。

 だったら一人で生きていく力をつけて、誰にも頼らず生活する努力をした方がいいのではないか。


 そんなことを考えていたシェリーがクロムに呼び出されたのは、このちょうど三日後のことだった。

次回、いよいよクロムと王の番についてのお話です。

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