新しい生活の幕開け
ベキアに案内された部屋は、シェリーの実家の自室よりずっと広かった。部屋を彩る装飾も、どれも繊細なつくりで美しい。
「今日はお疲れでしょうから、滋養に良い食事を中心にご用意しました」
シェリーは席に着きさっそく食事をいただいた。まずは鶏肉と蕪のスープから。あっさりした味付けのスープに柔らかい肉が舌の上でホロホロ溶けていく。疲れ切った身体にそのおいしさがじんわり沁みた。
「突然やってきた私にここまでして頂いて、なんとお礼を言ったらいいか」
「お礼ならどうぞクロム様に。私どもはクロム様のご命令に従ったまでのことです。……ですが、私個人としてもシェリー様がこの屋敷に来てくださって本当に嬉しく思います。どうぞゆっくりなされてくださいね」
そう言ってほほ笑むベキアに、シェリーは心の奥が暖かくなるのを感じた。
シェリーは出された食事をすっかり完食してしまうと、与えられたベッドにもぐりこんだ。ふかふかのベッドと温かい布団が長旅で疲れた身体をやさしく包みこんでくれる。
横になってぼんやり部屋を見つめていると、サイドテーブルに一輪の花が活けてあるのに気が付いた。ピンク色のペーシェルフラワー。親愛を意味する花だ。
(きれい……)
シェリーはその花をぼんやり見つめながら思った。
(この屋敷に連れてこられたときはどうなることかと思ったけど)
クロムもベキアも悪い人ではなさそうだ。こんなに高待遇でいいのかと思うほど大事に扱ってくれている。彼らには感謝してもしきれないくらいだ。
ただ、まだ分からないことだらけでクロムのことや王の番のこと、知らなくてはならないことはたくさんある。今後の身の振り方も考えなくては、と思いながら、シェリーはいつの間にか夢の中へ落ちていった。
「ーー様。シェリー様」
シェリーはその声でハッと目を覚ました。急いで身体を起こす。窓の外を確認すると、太陽がすっかり昇ってしまっていた。
普段シェリーの起床時間は日の出とほぼ同時だ。妹のカナリアが朝から呼びつけるので自然とそれくらいの時間に起きるようになっている。
「いけない。寝坊してしまったわ」
「いえいえ、まだずいぶんお早い時間ですよ」
着替えを差し出しながらベキアが言った。
「もう少しゆっくりしていただきたいところでしたが、クロム様が外出前にお会いになりたいとおっしゃっていますので、声をかけさせていただいたのです」
(あ、そうか……ここはベルゼーヌ家ではないんだった)
「さあ、ハーブティーをご用意しましたから、これをお飲みになってからクロム様のところへ参りましょう」
「ありがとうございます」
ベキアの用意してくれたハーブティーは少し甘くてほっとする味だった。
シェリーは手早く寝間着からベキアの持ってきてくれたドレスに着替えると、クロムが待っているという部屋に向かった。
「シェリー様をお連れいたしました」
「入れ」
大きな扉の向こうは書斎になっていた。窓際に執務机があり、その向こうに座っていたクロムが立ち上がってシェリーの近くにやってくる。
シェリーはドレスの裾を持ち上げ頭を下げた。
「改めまして、シェリー・ベルゼーヌと申します。昨日は危ないところを助けていただき、また多大なお心配りに感謝いたします」
「身体は大丈夫か」
クロムがわずかに首をかしげると、少し長いプラチナブロンドの前髪がさらりと揺れた。その奥で、透き通るような琥珀の瞳がじっとシェリーを見つめている。その姿はやはり恐ろしいほどに美しかった。
シェリーは思わず目を伏せる。
「……はい。お陰様でずいぶんと回復いたしました」
「きっと聞きたいことがたくさんあるだろう。私もあなたに聞きたいことがある。なぜヘリオドールの令嬢が一人で我が国にやってきたのか、なぜ夜の森を彷徨っていたのか」
「それは……」
「いや。今すぐには答えなくていい。きっと何か事情があったのだろうということは分かっている。ゆっくり話を聞かせてもらいたいところだが、あいにく今日は時間を取れそうにない。それを伝えるために来てもらったんだ」
「それは、わざわざご丁寧にありがとうございます」
「今週中には時間を設けようと思っているが、私の時間がとれるまでこの国のことや屋敷のことは部下から話をさせよう」
シェリーが了承の意で頭を下げると、クロムはそのまま部屋を出て行った。
(クロム様って……なんだか不思議な人)
クロムの話し方は終始淡々としていた。表情もほとんど動かないし、その凄艶な見た目と相まって一見冷淡な人間に見える。一方で、こうしてわざわざ会って状況を伝えてくれた。忙しいならメイドに言付けを頼んでもよかっただろうに、案外律儀な性格なのかもしれない。
(どういう人なのかしら)
シェリーがぼんやりクロムのことを考えていると、ベキアが意気揚々と言った。
「さあさあ、シェリー様。クロム様へのごあいさつも無事終わりましたし、朝食にいたしましょう」
シェリーはベキアの案内で食堂に通された。食堂も、まるで王宮の広間のような豪華さだ。
大きなテーブルの席についたシェリーのところへ、次々に料理が運ばれてくる。香ばしく焼けたパン、彩り豊かでみずみずしいサラダにふわふわトロトロのオムレツ。熱々のスープに、ベーコンやソーセージ。デザートには数種類のヨーグルトやプリン、果物なども豊富に並んでいる。
(朝からこんな豪勢な食事を頂いていいのかしら)
普段のシェリーはゆっくり席について朝食をとることはほとんどなく、厨房で適当につまむ程度だった。貴族の令嬢としては本来ありえないことだが、シェリーは令嬢というよりはむしろ侍女に近い生活を送っていたのである。だから、こんなに豪勢でゆったりした朝食は新鮮だった。
「美味しい……」
シェリーの身体は栄養を欲していたらしい。提供された料理がどれもとってもおいしかったこともあって、シェリーは出された料理を残さず食べたのだった。
「ふふふ。たくさん召し上がっていただけて嬉しいですわ」
朝からこんなに食べ物にがっつくなんて自分でも恥ずかしい。実家でこんなことをしたらきっとキツく叱られていただろう。
(でも、もうベルゼーヌの者ではないのだもの)
辛いことはたくさんあったが、おかげで図太くなれた気がする。
シェリーはそんな自分が案外嫌いではなかった。家族に翻弄され良いように使われてきた自分よりずっといい。
「ではシェリー様、このあとは少しお部屋で休憩されていてください。じきにクロム様の部下が参りますので」
ホテル朝食食べたい……。
ということで、次回はハイドレンジア王国と古代魔法についてのお話になります。




