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ぼろ屋敷の中は

 屋敷の中は、別世界が広がっていた。顔が映るほど磨き上げられた大理石の床に、天井には見事な装飾のシャンデリア。壁や柱の趣向も品があって思わずため息が出るほどだ。貴族の家で生まれ育ったシェリーでも、これほど見事な屋敷は見たことがない。


(ハイドレンジアの王族というのは本当だったのかしら)


 これほど立派な屋敷を所有しているというなら、王族という話も信憑性が出てきた気はする。


(でも屋敷の外はあんなに廃れていいて小さく見えたのに、どうして中はこんなに広いの?)


 外から見たときはほったて小屋かと思えるほど見窄らしく小さかった。なのに中はずいぶんと広い。いや広く感じるという程度ではなく、完全に屋敷の大きさが中と外でかけ離れている。


「まさか……これは。空間操作魔法……?」

「ほう、この魔法に気づくとは驚いたな」


 だってそれしか考えられない。魔法で屋敷の中を別の空間に繋げているのだ。だから、外からはちっぽけな建物だったのに、中はこんなにも広くなっている。しかし、空間操作魔法はすでに廃れた魔法で現代で使える者はいないはず。シェリーも教養としてその魔法の存在は知っているが見るのはもちろん初めてである。


(さっきの詠唱といい、この人いったい何者なの)


 シェリーが呆然としていると、どこからともなく侍女らしき女性が現れた。シェリーの母よりさらに歳上と思われる、落ち着いた雰囲気の女性だ。


「お帰りなさいませ。クロム様」

「ああ。彼女の世話を頼む。ヘリオドールの令嬢だそうだが、森で魔物に襲われていたんだ」

「まあ、こんな夜の森で?」

「ケガは無さそうだが、丁重にみてやってほしい」


 クロムはそう侍女に言うと、シェリーが声をかける暇もなく、さっさと屋敷の奥へ消えてしまった。

 侍女はクロムの背中に向かって頭を下げると、シェリーに向き直った。


「私は侍女のベキアと申します。不躾ながらお名前をお聞きしてもよろしいですか?」

「……シェリー・ベルゼーヌと申します」

「シェリー様ですね。森で魔物に襲われていらしたとは……それは怖い思いをされたでしょう。まずは温かい湯に入ってお身体を癒しましょう」


 ベキアはそう言ってにっこり微笑んだ。その優しい声と表情に、シェリーの張りつめた心が思わず緩む。聞いていたハイドレンジアの人間とはずいぶん印象が違う。


(なんにしても、今は彼らの言うとおりにするしかないわね)


 シェリーはベキアについて屋敷の奥へと進んだ。



 案内されたのは、これまた見たこともないほど大きくて豪華な浴場だった。

 中央にある大きな浴槽から湯気がたちのぼり、桃のような良い香りが浴場にたちこめている。


「さあ、ここで衣服を脱いでいただいて、まずはゆっくりと湯につかってくださいませ」


 よく知らない人間の屋敷で裸になるなど不用心かもしれない。だけどシェリーの身体は長旅と思いがけない出来事の連続でくたくたになっていた。


(少なくともこのベキアさんに敵意はなさそうだし)


 正直、風呂を勧めてくれたのはありがたい。

 シェリーは着ていたドレスを脱ぎ捨て、良い香りのする湯に入り、浴槽にそっと体を預けた。


「はあぁ。気持ちいい」


 つい声が漏れる。石鹸やタオルを用意していたベキアがふふっと笑った。

 はしたないと思われたかもしれないが、そんなことはどうでも良くなるくらい、気持ちのいいお湯だった。身体中に温もりがじんわり広がっていく。湯からたちのぼる香りも、すっと胸の中に入ってきて疲れた心を解きほぐしてくれる。


「それでは髪を洗わせて頂きますね」


 ベキアは湯船につかっているシェリーの髪をそっと梳き、良い匂いのするクリームを頭皮に馴染ませていく。

 シェリーはあまりの心地よさに夢を見ているような気分だった。

 ベルゼーヌ家にもそれなりの風呂があったし、もちろんメイドいたが、シェリーにはこんなにゆっくりと風呂に入る時間はなかった。妹や母にすぐ呼びつけられるからである。

 だからこんなにゆっくりと風呂に入って、丁寧にケアしてもらえるなんて初めてのことだ。


「シェリー様の髪はとても美しいですね」


 その言葉にシェリーは思わず後ろを振り返った。


「……ベキアさんは優しい人なのね。私なんかに気を遣わなくてもいいのに」

「? もしかしてお世辞で申し上げたとお思いですか?」

「だってこんな真っ黒な髪を美しいだなんて。私がかわいそうだと思って慰めてくれたのでしょう?」

「どうして黒髪がかわいそうなのです? 最上の髪色ではありませんか」


 シェリーは首を傾げた。

 最上? 最低の間違いではないか。

 シェリーに首を傾げられてベキアも困った顔をしていたが、何か思い当たるところがあったらしい。彼女は一人納得した様子でうんうんと頷いた。


「ああ、そうでした。シェリー様はヘリオドールの方ですものね。我が国、ハイドレンジアに来られるのは初めてですか?」

「はい」

「それならご存じないかもしれませんが、ハイドレンジアで女性の黒髪はとても貴重で誉れ高い色とされています」

「……そうなのですか。ヘリオドールでは全く逆でした。不吉で忌まわしい髪色だと」

「ハイドレンジアとヘリオドールはお隣同士の国ですから似ている文化も多いですが、やっぱりそれぞれ人の気風や好みは違いますからね」

「私、ヘリオドールの王都から出たことがなくて。外の世界のこと何も知らないんです」

「まだお若いのですからこれから知っていかれればいいのです」


 なんだろう。このベキアという人は本当に人の心にすっと馴染むような人だ。シェリーはついでに気になっていたことをベキアに質問してみることにした。


「その……先ほどの、クロム様がハイドレンジアの王族というのは本当なのですか?」

「ええもちろん。正真正銘、ハイドレンジア王国の第一王子でいらっしゃいます。今日はお疲れでしょうから詳しくはお話ししませんが、また明日にでもハイドレンジアのことをご紹介いたしましょう」

「ありがとうございます。あ、そういえば……もう一つだけ聞いてもいいかしら。王の番というのはどういう意味なのですか?」


 今度はベキアが驚いた様子でシェリーの顔を覗きこんだ。


「もしかして、クロム様がそのお話をされたのですか?」

「え、ええ。私がその番? だとかなんとか……」

「まあ!」


 ベキアははっと両手で口を押さえた。


「先ほどあなた様を連れ帰られたときから、もしやとは思っておりましたが。そうですか。番のお話を……!」


 よく分からないがベキアはひどく嬉しそうだ。


「このお話は、私の口から申し上げることはできません。クロム様に直接お尋ねください。でも……そうですか。クロム様も二十一にして、やっと……」


 ベキアはぶつぶつ独りごちながら満足そうな表情を浮かべている。


「ふふふ。それではお身体の方もしっかり磨きあげなくてはなりませんわね」


 シェリーは、今や浮き足だってスキップしそうなベキアに身体の隅々まで洗われ、服を着せられ髪を整えられたのだった。


「さあさ、お風呂の後はお食事にいたしましょう。今日はお部屋にお持ちしておりますから、このままシェリー様のお部屋にご案内します」

どうやらクロムは本物の王子だったようですね。不審者じゃなくてよかった。

さて次回は、シェリーが美味しいご飯を食べて、また食べるお話です。

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