ダンスを踊って
シェリーはクロムに連れられ、裏路地に入る。後ろに意識を向けると、どうやら先ほどの者たちもついてきた気配があった。細い裏路地を足早に進み、何度か路地を曲がったところで、クロムが宙に手をかざした。すると、急にシェリーの目の前に壁が現れた。
「ひゃ、壁!?」
「しっ」
クロムに口を抑えられる。彼の目が静かにと言っていた。シェリーはそのままじっと息をひそめる。
直後、パタパタと複数の足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
「おいあいつらどこに行きやがった」
「さあ、こっちの方へ来たように見えたけどな」
「くそっ」
「なあ、本当に例のお嬢様だったのか?」
「間違いねえ。あの黒髪はベルゼーヌ家の令嬢だ。何でこんなところで生きてやがるんだ」
「おいおい、ちゃんと始末しろって言われたんだろ。バレたらやばいじゃねえか」
「だから追いかけてんだろうが。つべこべ言ってねえでさっさと探せ」
足音が遠ざかる。
「行ったようだな」
「あの男たち、もしかして私を森へ置き去りにした……」
「その可能性は高いな。ひとまず安全な所へ移動しよう」
シェリーはクロムについて裏路地を進み、とある店の前に来た。
『渇き鍋』
店の看板にはそう書かれている。なんだか外装からして不穏な空気が漂っている。クロムに促され、シェリーは恐る恐る店の中へ入る。
店内はずいぶん薄暗かった。
「いらっしゃいませ。おやこれはこれはクロム様。お久しゅうございます」
腰の曲がった老人が店の奥から現れた。
「ああ、久しいな鍋爺。さっそくだが護衛を集めてくれ。ごろつきに追われているんだ」
「承知いたしました。お二人はどうぞこちらでごゆっくりなされていて下さい」
鍋爺の案内で狭く薄暗い店内のソファに腰かけると、メイドがお茶を持ってきてくれた。
シェリーは一口そのお茶を口に含む。温かくてホッとする味だった。
「ここはクロム様の馴染みの店なのですか?」
「ああいや、ここは王室の情報収集のために置いている店なんだ」
「こんな街の中に」
「そんなことより、大丈夫かシェリー。恐い思いをさせてしまったな」
「いえ、驚きはしましたがクロム様と一緒でしたので恐くはありませんでした。でも、あの者たちはずっと私のことを探していたのでしょうか」
「いや、あの口ぶりからするとあなたが生きていたことは知らなかったようだ。おおかた祭であなたの姿を見かけて慌てて追いかけてきたというところだろう。心配する必要はない。今部下に追わせているから、じきに捕まるだろう」
その言葉のとおり、しばらくすると店にイーオスがやってきた。
「クロム殿下、お二人を追いかけていた男二人を捕らえました」
「他に仲間がいる様子はあったか?」
「いえ、エヴァレット嬢を追っていたのはハンチング帽をかぶった男だけのようです。もう一人は今日たまたま居合わせただけの連れで、他に仲間もいないようです」
「そうか。とりあえず二人とも牢へ入れておけ。詳しい尋問は後日行う」
「承知しました」
イーオスはクロムとシェリーに礼をすると店から出て行った。
「さて、私たちも戻ろうか」
「離宮にですか?」
「いいや、祭りにだ。これからダンスがはじまる頃だからな。最後のダンスを踊らずしてこのまま帰れないだろう?」
シェリーも、はじめて参加した祭りの思い出が、不審者に追い回されたもので締めくくられるのは嫌だ。
シェリーはクロムと一緒に店を出て、広場へ向かった。
広場にはすでに多くの人が集まっていて、その中央に、夜空へ高く上がる篝火が見える。その篝火を囲んで、多くの人が愉快気にダンスを踊っている。
「さあ、私たちも行こう」
「あのでも私、こういった踊りのステップははじめてで。どうすれば……」
社交界用のダンスのステップはきっちり身体にたたきこんであるのだが、ここで踊られているダンスは音楽もステップもシェリーの知っているものとは全く違う。
「ここは貴族の社交界ではないからな。ダンスに決まったステップはないよ」
クロムは何でもないことのように言うが、定められたステップがないなんて、シェリーには逆にとんでもなく難しく思えた。ずっと「決められたことを決められたとおりにやれ。自分の意志など不要。他人に合わせろ」と教えられてきたので、決まりがないとどうしていいか分からなくなる。
(とりあえず周りの方に合わせて……)
まずは他の人の踊りをよく見てみようとシェリーが周りに目を向けていると、クロムにぐいと手を引っ張っられた。そのままダンスをしている人たちの中へ連れ込まれてしまう。
「クロム様、まだ私踊り方が分かりません」
「そんなこと気にしなくていい。どんなふうに踊ったっていいんだから、好きなように踊ってごらん」
「……好きなように、ですか…………っわ!?」
クロムが腰に手をまわしてきたかと思えば、そのままふわりと身体が回転させられる。何が起こったか分からぬうちに、シェリーはクロムと一緒に踊っていた。
「そうそう。それでいい」
「えっと……は、はい」
本当にこんなめちゃくちゃなステップでいいのだろうか。自分のせいで一緒に踊ってくれているクロムまで笑われてしまうのではないだろうか。そんな不安がこみ上げてくる。
昔のシェリーなら、今すぐクロムの手を振り切って会場の隅に逃げていたかもしれない。自分だけならまだしも、自分の至らなさで殿下に迷惑をかけるなんて耐えられないことだから。でも、今のシェリーは、どうしてもクロムの手を放したくなかった。放してはいけないと思った。
(きっとこれは転換点)
ヘリオドールにいた頃は、自由に振舞うことなんて許されないと思っていた。あるがままの自分を受け入れてもらえるなんてあり得ない幻想だと思っていた。
だけど、ハイドレンジアで暮らすようになって、人の温かみに触れて、その考えが少しずつ溶けてきた。
好きなものを好きと言って、やりたいことをやりたいと言っていいのだと、そう思えるようになってきた。
だから今も、たとえうまく踊れなくても、迷惑をかけることになっても、クロムと一緒に踊りたいという自分の気持ちに素直になろうと思う。
殿下に恥をさらすなと誰かに言われるかもしれないけれど、きっとクロムはそんなこと言わない。彼がそんな矮小な人間でないことはもうとっくに知っている。彼は出会ってからずっと愛情深く見守っていてくれたのだから。
「クロム様のおかげです」
「ん?」
「クロム様はいつも私に自由を与えてくださいます」
「はは、大げさだな」
クロムは笑ったが、シェリーにとっては本当に大きなことなのである。いつだってクロムはシェリーがやりたいようにさせてくれていた。これは当たり前なことじゃない。クロムの懐の深さ、愛情の深さゆえなのだ。そのことにシェリーはやっと気づきはじめていた。
曲が終わる。だが、まだ祭りは終わらない。
「クロム様、もう一曲踊りたいです」
「ああ、私もそのつもりだ」
シェリーはずっと、この手を放したくないと思った。そして、自分もまた、クロムにとってそう思ってもらえる人間であろうと、強く思った。




