媚薬にまつわる人間模様
初めての薬を作るときは、まず入念な下調べが大切である。
書庫へやってきたシェリーはさっそく媚薬関連の本を探す。
「媚薬、媚薬…………え? こんなに?」
媚薬の作り方に関する本は予想以上に多かった。これはつまり、それだけ媚薬を求める人が多いということだろう。
シェリーは媚薬について書かれている本を片っ端から取り、机に運んで一冊ずつ内容を確かめていく。
「……ふうん、なるほど。一口に媚薬と言っても、相手に使うものと自分に使うものがあるのね。興味深いわ」
媚薬というのは今まで学んだことのない分野だったが、だからこそ新しい発見があって面白い。
ぶつぶつ独り言ちながらシェリーは媚薬についての本を読み漁った。
*****
ラセットは調べ物をしようと書庫へ向かっていた。
(今日もシェリー様がいらっしゃるかもしれないな)
シェリー嬢は、たいてい書庫か医務室のどちらかにいる。
ラセットの予想どおり、シェリーは書庫の机に大量の資料を積み上げ何か調べ物をしているようだった。
(シェリー様は本当に勤勉な人だな)
すでに医術師としての腕は申し分ないように思われるが、努力を怠らない人である。
今日はいったい何を調べているのだろうと、ラセットがこっそり後ろから彼女の手元をのぞき込むとーー。
「び、媚薬……!?」
ラセットは思わず声を上げた。
その声にシェリー嬢がはっと後ろを振り返る。
「あ、ラセット様。ごきげんよう」
「シェリー様……媚薬を、作るおつもりなんですか……?」
「ええ、そうなんです。はじめて作るので、まずは種類や作り方を調べているところなんです」
「そ、そうですか……」
シェリー嬢が媚薬を作ろうとしている。でもいったいどうして……。
と理由を考えていたラセットはそこでハッとした。
(もしかして、いつまでも奥手なクロム殿下に欲求不満を募らせていらっしゃる……のか?)
ラセットが心配そうな顔をしているのをよそに、シェリー嬢はペラペラと語りはじめた。
「それにしても媚薬って本当に種類多くて、どんなものにすればよいか迷ってしまいますね。やっぱり相手に作用するものをこっそり使うというのは人道に反する気もしますので、自分を魅力的に見せるものがいいかと思うのですが、それもかなり種類があるんですよね」
(まずい)
シェリー嬢は一度興味のスイッチが入ると止まらなくなる傾向がある。もし本当に媚薬を完成させてしまって、クロム殿下に使ったりしたらえらいことだ。
(そんなものなくても、すでにクロム殿下は、シェリー嬢にぞっこんなんだから)
この上、媚薬まで使ったりしたら本当に殿下がどうなってしまうか想像もつかない。殿下自身も気づいていないかもしれないが、今までずっと殿下のことを見てきた自分にはわかる。殿下は今、おそらく理性でなんとか紳士的に振る舞っているが、たぶんいろんなことをギリギリ耐えている状態だ。だから媚薬なんて絶対にまずい。
「シェリー様、その……媚薬なんてなくても、何も問題ないと思いますよ?」
「私もそう思うのですが、まあお守りのようなものです」
「お守りですか……」
「はい。でも早く作成に取りかからないと。機を逃しては意味がありませんからね」
どうやらシェリー嬢はそんなに急ぐほど追い詰めているらしい。なんとか彼女を止める方法は……。
(いや待てよ)
シェリー嬢が早くクロム殿下と夫婦になりたいと思っているなら、一年の猶予期間はもはや必要なくなるのではないか。
ラセットは当初からクロムとシェリーの婚姻を早く進めるべきだと思っていた。せっかく見つかった番だ。クロムは一年の猶予くらいなんてことないように言うが、この先何がどうなるかなど分からない。シェリーが急に他の男を好きになったり、やっぱりヘリオドールに帰りたくなったりするかもしれないのだ。見守る部下の身としてはさっさと身を固めてもらいたかった。
(そうだ。これはむしろ良い兆候じゃないか)
そもそも一年の猶予というのは、シェリー嬢が心を整理するために設けられた時間だったのだ。シェリー嬢の心がもう準備万端なら、これ以上何を待つ必要がある?
そう、クロム殿下だって本心では早く婚姻を結びたいと思っている。そしてシェリー嬢も心の準備ができている。あとは二人の気持ちを互いが知れば、彼らの婚姻を妨げるものは何もなくなる。
(ここは僕の腕の見せどころですね)
「シェリー様の思いは十分に理解しました。このラセット、微力ながら協力させていただきます」
「? ……はい、それはありがとうございます」
「では、善は急げといいますから。失礼しますね」
ラセットはキョトンとしているシェリーを残し、書庫を出た。
ちょどこの後、クロム殿下と打ち合わせの予定がある。
(まずは殿下にシェリー嬢の気持ちをそれとなく伝えて……)
ラセットは不敵な笑みを浮かべながら、クロムの書斎へ向かった。
ラセットは殿下と打ち合わせの後、片づけをしながらクロム殿下に話しかけてみた。
「殿下、シェリー様とのご婚姻ですが、やはり少し前倒しにされてもよろしいのではないですか」
「なんだ藪から棒に」
「やはり一年も待つ必要はないのではないかと思うのです」
「私はシェリーを焦らせたくないんだ。ちゃんと私のことを知ってから、妻になることを受け入れてほしいと思っている」
「もちろん殿下のお心は理解しているつもりですし、すばらしいお心がけだと思います。しかし、シェリー様はそろそろ心の準備ができていらっしゃるのではないかなー、と感じまして」
むしろできすぎてあらぬ方向に走り出しているくらいだ。
「そうだろうか。私には、まだ彼女は義務感や助けてもらった恩義で私との婚姻を考えているようにしか思えないが」
「いやいやいや。そんなことは全くないですよ。むしろ、かなり情熱的に考えていらっしゃるというか……」
「情熱的……? まあ、婚姻は一生のことだからな。真剣に考えてくれているのは私も感じている」
(うーん、やっぱり)
クロム殿下は行動力があるわりにとても鈍い人間だ。特に女性からの好意についてはおそらく好意を向けられすぎていて、ちょっとやそっとのことでは気づけなくなっている。
ええい、こうなったら。
「クロム殿下。もう包み隠さずお話ししますが、実は先ほどシェリー様と書庫でお会いしまして。彼女、どうも媚薬を作るおつもりのようでしたよ」
「……媚薬?」
「きっとシェリー様はとっくに心の準備ができていらっしゃるのですよ。でも殿下との約束を守って、ご自分から婚姻を早めたいとは言い出せず。やきもきされているのではないですか?」
「……シェリーが? 確かに以前、改めて婚姻の話をしようとしたことはあったが……」
「やっぱり! シェリー様はもう一年も待たなくて良いと思ってらっしゃるんですよ」
「いやしかし……仮にそうだとして、シェリーが媚薬に手をだすような女には思えないが」
「ええ、私も驚きました。シェリー様のように奥ゆかしい方がまさかと。しかし確かに、シェリー様は『媚薬を作る』とおっしゃっていました。しかも相当思い詰めていらっしゃるのか、かなり焦っているご様子でしたよ」
まあ思い詰めているというよりはどちらかといえば嬉々としていたが、これくらいの誇張はご愛敬といえる範囲だろう。それにこれくらい言わないとこの鈍い王子様は気づいてくれない。
「シェリーがそんなに思い詰めて……? そうか。とにかく一度、彼女の気持ちを聞いてみるか……」
「ええ、その方がよろしいかと思います」
ここまで言えばクロム殿下もわかってくれたようだ。
よしよし。ラセットは一人、満足気にうなずいていた。
*****
シェリーは試行錯誤の末、媚薬を完成させた。
さっそくメイドに渡そうと例のメイドを自室に呼び出す。
「お待たせしましたが、媚薬が完成しました」
シェリーは小さな小瓶をメイドに手渡した。
「ありがとうございます! 本当に作ってくださったのですね」
「色々種類があって何を作るか迷ったのですが、香水タイプのものにしました。彼に会う前に自分に吹きかけて下さい。かけた者の魅力を向上させる効果があります。ただ、意中のお相手以外にも効果があるので気を付けてくださいね」
「はい! ありがとうございます。シェリー様」
「ではまた、デートが終わったら効果を教えてください」
数日後、メイドは再びシェリーの元へやってきた。
「シェリー様! シェリー様の媚薬のおかげで、彼から婚約の申し入れがありました!」
「それはおめでとう!」
「全てシェリー様のおかげです。なんとお礼を言っていいか」
「お礼などいりません。私は何もしていませんから」
「いえ、何をおっしゃるんですか。彼とうまくいったのは、シェリー様のおかげです。やっぱりシェリー様の作られる薬はすごいです!」
その言葉に、シェリーはふふっっと笑った。
「そう言ってくれるのは嬉しいのだけど、あなたは勘違いをしているわ。私は本当に何もしてないの。だってあなたに媚薬なんて渡していないんですもの」
「……え? でも……でも確かにこの前……」
「私があなたに渡したあれは、ただの香水よ。媚薬の成分なんて一滴も入っていない」
「……そんなまさか……だって、じゃあどうして彼は……?」
「百パーセントあなたの魅力で、彼はあなたに求婚したのよ」
「う……うそです……そんなこと、あるわけ……」
シェリーは本物の媚薬を完成させていたが、いろいろと考えた末、メイドには渡さなかった。もし彼女が媚薬を使えば、仮に求婚されたとしても彼女はこの先ずっと、媚薬のおかげで彼が求婚したのだとしか思えなくなるだろう。本当は媚薬なんてなくても彼は彼女のことが大好きだったのに、それを純粋に信じることは一生できなくなるのだ。だからシェリーは媚薬を彼女に渡さなかった。
「騙すようなことをしてごめんなさい。でもあなたは、媚薬なんて使わなくても十分魅力的だわ。それに気づいてほしかった」
「シェリー様……」
メイドはポロポロと泣き出した。
「すみません。私……怖かったんです。彼はとっても素敵だし優しいし、みんなに好かれてる。だから、こんな自分じゃ釣り合わないんじゃないかって……」
「媚薬で自信をつけたかったのよね。でもあなたは媚薬がなくても、とっても素敵よ」
「はい。ありがとうございます」
メイドは涙を拭うと、深々と礼をして帰っていった。
「さて、本物の媚薬の方はどうしようかしら」
夢中になって作ったはいいが、結局使い道がなくなってしまった。
とそこへ扉をノックする音が聞こえた。




