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甘くない婚約

 婚約が決まってからは早かった。

 シェリーは馬車に揺られながら窓の外に目を向ける。生まれ故郷の景色が足早に流れていく。

 馬車が向かっているのは、王都から遠く離れた隣国との国境近くであった。シェリーの嫁ぎ先はその一帯を領地としているオーキッド男爵家。今までオーキッド男爵家のことはあまり聞いたことがなかったが、母が言うには最近領地経営がうまくいっておらず資金繰りに難渋しているらしい。

 今から嫁ぐ身としてはかなり不安な話である。


「まあでも、こんな行き遅れの娘を受け入れてくれるんだから感謝しなきゃね」


 貴族の令嬢は十六歳で社交界への参加が許され、婚活を開始する。それなりの家の娘であれば、一年以内に誰かと婚約するのが普通だ。シェリーのように二十歳まで誰とも婚約していないというのは珍しく、売れ残り令嬢として陰口をたたかれることもしばしばだった。


(まだ商家なら嫁にいけたかもしれないけれど)


 商家なら貴族の娘というだけでもらってくれるところもあっただろう。しかしそれは父が断固として認めなかった。娘を平民に降らせるなど貴族の恥だというのだ。

こうしてシェリーは嫁のもらい手が見つからないまま、気づけば二十歳になっていた。ただでさえ黒髪で不吉なうえ歳を重ねたシェリーが結婚なんてもう無理だろう。周囲の者はみんなそう思っていた。

 そんななか、突然この婚約が決まった。周囲の者たちはもちろんシェリーが一番驚いた。


(きっとお父様が相当な額をオーキッド家に渡したのね。オーキッド家はおそらく金欲しさにこの婚約を受け入れたんだわ)


 そう考えれば、売れ残りの、不吉な見た目の令嬢とわざわざ婚約する理由としては納得がいく。

 ただ金のためだけに交わされた結婚だ。甘くとろけるような求婚も、祝福もなかった。けれどシェリーはそれでよかった。あの家にいるよりはずっとマシだ。少なくともこれでカナリアや母に搾取され続ける人生からは解放される。これからの人生はきっとよくなる。

 このときのシェリーはそう信じていた。のだがーー。


「婚約を……破棄したい? それは、どういう……」


 オーキッド家の屋敷につくなり、シェリーは婚約相手のスピネル・オーキッドから予想だにしなかった話を聞かされていた。


「婚約破棄。そのままの意味だよ、シェリー。はるばるこんな辺境まで来てもらってすまないが、僕が婚約したのは君ではなく、君の妹、カナリアのはずなんだ。なのに実際にやってきたのは姉の君だった。僕たちオーキッド家の者たちも混乱しているんだ」

「そんなまさか……本当にカナリアと婚約されていたのですか?」

「ああ、君のご両親からは妹のカナリアを嫁がせたいと相談があったんだ。病弱だがとてもいい子だからと、熱く説得されてね……」


 どういうことだろう。両親はいったい何を考えていたのだろうか。


(まさかオーキッド家をだまして、私を押し付けようと……?)


 しかしそんなことをしてもすぐにオーキッド家から苦情が来るのは必至だ。こうなることは最初から分かっていただろう。


「何にせよ、一度君のご両親に確認する必要がある。だからこの婚約は一旦なかったことにして、君は実家に戻ってもらえないだろうか」

「…………それは……」


 確かに、両親に真意を確認する必要はあるだろう。しかしシェリーとしてはあの家に戻るというのは気の進まないことであった。

 シェリーが返答に窮していると、スピネルは申し訳なさそうに言った。


「すまないね。すぐに馬車を用意させるから、今から王都へ向かってくれるかな」

「は……え? 今からですか?」

「長旅で疲れているところ申し訳ないが、できるだけ早く事実をはっきりさせたいんだ。それに婚約していない令嬢を屋敷に置いておくことは避けたくてね」


 スピネルの言い分はわからないでもないが、シェリーは今しがた王都からこの辺境の地にやってきたところだ。せめて一晩くらい休息の時間をもらいたい。


「あの……もう日もくれますし、今晩だけでも泊めていただくことはできないでしょうか。明日の朝、日の出とともに出発いたしますので」

「僕もそうさせてあげたいところだが、君が一晩屋敷で過ごしたことが噂になると僕の沽券に関わる。婚約者でもない女を連れ込んだとあっては、僕の社交界での印象はガタ落ちだ。それはオーキッド家としても避けたいんだ。それにこの話はそもそも君の家の問題だ。君もベルゼーヌ家の一員ならその責を負う義務があるだろう」


 そう言われてしまえば、シェリーはそれ以上反論することができなかった。

 シェリーは長旅で疲れた体を引きずるようにして再び馬車に乗り込む。

 ベルゼーヌ家から連れてきたメイドや荷物を載せた馬車が先に出発し、そのあとを追ってシェリーを乗せた馬車が発進した。


(あの子たちにも申し訳ないことをしたわね)


 実家から連れてきたメイド二人は、シェリーと一番付き合いの長いメイドたちで、シェリーにとってはベルゼーヌ家における数少ない味方だった。彼女たちも長旅で疲れているだろうに、また王都へ引き戻すことになってしまった。


(それにしてもお父様たちは何を考えているのかしら)


 父は現実主義者で無謀なことはしない人間だ。なのにこの婚約のことはあまりに荒唐無稽に思える。何か別の意図があったのだろうか。

 シェリーはしばらく考えを巡らせていたが、長くは続かなかった。ここへきて疲れがどっと出たのだ。シェリーは馬車に揺られながら、いつの間にか眠ってしまっていた。



 響き渡る馬のいななきでシェリーは目を覚ました。


「…………馬車が、止まってる?」


 どうしたのだろう、と不思議に思って窓の外を覗いてみるが、見えるのは暗い森の木々ばかり。シェリーはドアを開けて外に出てみた。


「何かあったのですか?」


 馬車をまわりこんで御者に問いかけてみる。と、シェリーは目を見開いた。

スピード婚約破棄されてしまったシェリー。

次回、いよいよヒーロー登場です。

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