温泉の素
「師匠、頼みがあるんですけど」
そういってシェリーのもとへやってきたのはイーオスである。今まで警戒心をむき出しにしていたイーオスだが、あの一件からすっかりシェリーになついていた。
「どうされたんです?」
「最近、新しい魔法の訓練にチャレンジしてるんですけど、そしたら疲れが全然とれなくなっちゃったんすよ。なんかいい薬ないですか」
すると二人の会話を聞いていたシャルトルーズが話に入ってきた。
「若いのに何言うとる。ちゃんと食ってちゃんと寝ろ。基礎ができとらんのだろう」
「俺、生活習慣はきちんとしてますよ。でもやっぱ新しい訓練はじめるといつもこうなるんすよね」
「どうせまた無茶な訓練をやっとるんじゃないか。やりすぎは何でもよくない」
「分かってるんですけどね。やっぱやるなら限界ギリギリまで自分の身体を追い込みたくなるっていうか」
「そこまで言うなら『回復の泉』にでも行ってこい。まずたどり着くだけで相当な訓練になるわい」
『回復の泉』とは、そこから湧いてくる水に浸かるだけで魔力が回復するという不思議な泉のことだ。世界中に点在しているが、泉の周りには妖精が棲みついていて基本的には彼らの縄張りにある。だから簡単には近づけないものだった。
「そりゃ毎日『回復の泉』に入れたらいいっすけどね。さすがに『回復の泉』なんて近づけないっすよ。だから師匠に頼みに来たんです。師匠なら、こう疲労回復に効く薬とかも作ってくれるかなって」
「うーん、残念ですが、疲労回復に効く薬というのはないんです。やっぱりシャルトルーズさんの言うとおり、栄養のあるものをしっかり食べてしっかり休息をとるのがいいと思います」
「そっかあ。しかたないっすね。相談に乗ってくれてありがとうございます」
イーオスは頭を下げると帰っていった。
夜、シェリーの部屋にクロムが訪ねてきた。最近では、クロムはこうして時々夜のお茶にやってくるようになっていた。
「今日、イーオス様に疲労に効く薬を頼まれたのですが、疲労に効く薬というものはなくて。何もしてあげられませんでした」
「イーオスはまだ加減がよく分かってないからな。身体を酷使しすぎるんだ」
「シャルトルーズさんが『回復の泉』に行けとおっしゃっていましたが、妖精は簡単には使わせてくれないでしょうね」
「私が頼めば、少しくらいは泉の水を分けてくれるかもしれないけれどな」
「え、本当ですか?」
「我が国の王族は代々、妖精族と交流をもってきているからな」
「妖精族とですか。そんなことができるのですね。あまり話の通じない相手だと思っていましたが」
「気まぐれなものたちだからな。だがそれなりに友好関係は保っている」
そういえば、森で助けてくれたときも妖精が騒がしかったから、という話をしていた。
「もし可能でしたら少しでも分けていただけないでしょうか」
「今度頼んでみよう」
後日、クロムは本当に『回復の泉』の水をもらってきてくれた。ただ、量はワインの瓶一本分くらいで、とても人間が浸かれる量ではない。
「すまない。これだけしか譲ってもらえなかった」
「十分です。ありがとうございます」
シェリーは『回復の泉』の水が入った瓶を抱えてさっそく医務室に向かった。
「すばらしいわ。まさか『回復の泉』の水が手に入るなんて」
シェリーは『回復の泉』がどんな魔力成分でできているのかとても興味があった。しかも、今のシェリーには古代魔法がある。古代魔法を使えば、成分を抽出・分析することもおそらく可能だ。
「まずは泉の水に含まれる魔力成分だけを抽出しないといけないわね」
普通は、魔力を含む物体から魔力を分離することはできない。だけど古代魔法を使って魔力を臨界状態に持っていくことができればそれが可能となる。
シェリーは空中に光の球体を作り出した。その中に、泉の水を注ぐ。そして、古代魔法の詠唱をはじめた。すると泉の水から蒸気のようなものが立ち昇る。やがて水が完全に消え、光の球体の中は濃い霧のようなものが立ち込めていた。
「今ね」
シェリーはぱちんと指を鳴らす。と同時に光の球体は消え失せ、中からサラサラと砂粒のようなものが流れ落ちた。シェリーはその砂粒をつまみあげる。
「できた!」
それは泉の水に含まれる魔力成分だけを抽出し、結晶化させたものだった。
「よし。ここに含まれる成分を分析して」
何が含まれているのかその構成が分かれば、全く同じものは無理でも似せたものは作れるだろう。
シェリーは夢中でその砂粒の解析にいそしんだ。
数日後、シェリーはイーオスに医務室まで来てもらった。
「師匠が俺のこと呼んでるって聞いてきたんすけど」
「ええ、疲れを取る薬ができたので、イーオスさんに差し上げようと思ってお呼びしました」
「ほんとですか! じゃあさっそく飲んでみます!」
「いえ、これは飲むものではなくて、お風呂に入れるものです」
「風呂に?」
「イーオス様は大浴場を使っているんですよね。この粉を浴槽に入れてゆっくり浸かってみてください。あと続けた方が効果が高いと思います」
「わかりました! 今日からさっそくやってみます」
一週間後、その日シェリーはラセットの講義を受けていた。ひと段落着いたところでベキアがお茶を淹れてくれたので休憩していたところ、イーオスが駆け込んできた。
「師匠! あの粉! すごいです! ほんとうに疲れがとれました。というか疲れにくくなりました」
「そうですか。それはよかったです」
二人の話を聞いていたラセットとベキアが顔を見合わせる。
「何の話ですか?」
シェリーはラセットとベキアに、『回復の泉』の成分を解析したこと、そして疲れをとる入浴剤を作ったことを話した。
「これはまた、シェリー様にはいつも驚かされますね。『回復の泉』の成分を解析して、作ってしまうなんて」
「でも完全に『回復の泉』と同じものが作れたわけではないんです。『回復の泉』の成分はかなり特殊なものも含まれていましたから。いくつか似たような成分を組み合わせて、疲れに効く入浴剤を作ってみたんです」
シェリーの説明が終わるや否やイーオスが興奮気味に言う。
「ほんとにすごいんだよ師匠が作ってくれた粉。俺だけじゃなくて、他に大浴場を使ってるやつらもみんな効果を実感してた」
「ほう、それは僕も試してみたいですね」
「よければラセット様にも差し上げます。解析は大変でしたが、材料は身近なもので作れるようにしましたから」
「それは嬉しいです。して、その粉はなんと名前をつけられたんですか?」
「名前……考えていませんでしたが、そうですね。温かいお風呂で使う、泉の素ですから……温泉の素、とでもしましょうか」
「それはいい。ぜひ温泉の素、使わせてもらいます」
「ええ、医務室で準備しておきますね。あ、殿下にも差し上げたら使ってくださるでしょうか。『回復の泉』の水をもらってきてくださったのは殿下なのでお返しに」
「きっと喜ばれると思いますよ……ただ、効果は他の方より感じにくいとは思いますが」
「なぜです?」
「殿下が疲れてらっしゃるところって、見たことがないんですよ」
「そうそう、同じ人間とは思えないよな。俺たちとは体力が違いすぎる」
「これは僕たちが大げさに言っているわけではなく、本当に体力お化けなんですよ殿下は。だから…………シェリー様、ご結婚されたら大変ですね」
「大変?」
「ああ、そうっすよ。師匠も今から温泉の素使って体力つけといたほうがいいんじゃないですか」
「えっと……」
「それはいいかもしれない。殿下は体力底なしですから」
ラセットとイーオスが頷き合っているところに、ベキアまでもが同調する。
「シェリー様、朝まで眠れなかったときは、お寝坊されても大丈夫ですからね」
「あのみなさん、いったい何の話をされてるんです?」
しかし三人はニヤニヤするばかりでシェリーの問いかけには答えてくれなかった。
三人の真意をシェリーが理解するのは、まだ先のことである。
次回はいよいよアイリスとのお茶会です。




