パーティを抜け出して
パーティ会場に戻ったシェリーは、クロムの姿を探した。
(さすがにそろそろいらっしゃっているはず……)
すると壇上近くに人だかりができているのがみえた。頬を染めた女性たちが中心にいる人物を見上げている。
中心にいるのは正装したクロムだった。遠目で見てもその美貌は光り輝いている。毎日のようにその姿を見ているシェリーですら、つい見惚れてしまうほどだ。
クロムは目が合うと、焦った様子でシェリーの元へやってきた。
「遅くなってすまなかった。だけど、今までどこにいたんだ? 会場に姿が見えないから心配した」
「すみません。気分転換に外へ出たら、気の合うご令嬢と仲良くなりまして。話し込んでしまいました」
「そうか、そういうことならよかった。てっきり何かあったのかと」
「ご心配をおかけしました。今度お茶をしましょうと誘って頂いて嬉しくてつい」
「お茶か、それはいい。あなたは少し根を詰めすぎるところがある。たまには息抜きもした方がいい」
「ありがとうございます。それにしてもこの国のみなさんはご親切な方が多いように思います。こうしてお茶に誘ってくださったり、先ほども男性の方が一緒にお話しましょうと声をかけて下さって……」
といった瞬間、さあっと辺りの気温が下がった気がした。クロムの瞳に、ほの暗い光が見える。
「ほう……男性が声を?」
その声は落ち着いていながら何か感情を押し殺しているように聞こえた。
(あれ……私、余計なことを言ってしまった?)
もしかすると婚約者がいる身で男性に声をかけられたことは黙っておくべきことだっただろうか。しかし声をかけられただけだ。二人きりになったわけでもないし、しかもいつも冷静なクロムがこんなことを気にするなんて意外だった。
だが、目の前にいるクロムは明らかに不穏な空気を漂わせている。
「え、ええと、はい声をかけられましたが……あ、でも、みなさんきっと一人でいた私を気遣って下さっただけで変な意味はーー」
「ふうん。みなさん、ということは複数人の男性ということか。シェリー、その声をかけてきた男性たちの名は?」
そう言うクロムの目が、今にも男性たちを抹殺しそうな色を帯びている。
何でクロムがこんなに怒っているのかよく分からないが、何だかとてもマズいことになっていることだけは分かった。
「大勢いらっしゃたので、名前も顔もはっきりとは……」
「そうか。…………まあ、これはあなたを一人にした私の責任だな。今日のあなたは特に美しいから。みなが声をかけたくなったとしても責められまい」
ふう。
シェリーはクロムの隣でこっそり胸を撫で下ろす。
(クロム様も怒ることがあるのね)
その後、平静を取り戻したクロムと共に、シェリーはキンバリー公爵やその他ハイドレンジアの名だたる貴族たちにあいさつをして回った。
「みんな、あなたの優雅な振る舞いに見惚れていたな」
一通りのあいさつを終えたのち、クロムが飲み物をシェリーに手渡しながら言った。
ヘリオドールではあまりパーティに参加してこなかったシェリーだが、礼儀作法の修練だけはきっちりみっちりやってきた。何事も真面目にやっておいて損はなかったようだ。
「慣れない人の中で疲れただろう。少し外へ出よう」
シェリーはクロムに連れられ会場の外へ出る。外は日が沈んで暗くなりはじめていた。邸宅の玄関口には馬車が用意されていて、クロムがシェリーに乗るよう促す。
「もう屋敷へ戻るのですか?」
「いや、一緒に行きたいところがあるんだ」
パーティを抜け出していったいどこへ行くのだろう。不思議に思ったシェリーだが、ひとまず言われた通り馬車に乗り込んだ。
そして馬車に揺られること数分、目的地はすぐ近くだった。
「少し歩こう」
クロムに手をとってもらって馬車から降りたシェリーは、周りの景色に息を呑んだ。
「わあ……」
目の前には、一面のバラだ。そのなかを雪蛍が飛び交い、なんとも幻想的な光景がひろがっている。
「ここは王家の所有地の一つなんだ。さ、こちらへ」
クロムに導かれてバラ園の奥へ進むと、小高い丘の上にガラス張りの建物が見えてきた。中へ入ると、どうやら温室になっているようで暖かい。建物の中も草花がきれいに植えられていてとても素敵な空間だ。さらにガラス越しに外を見てみれば、美しいバラ園が一望できた。
「ありがとうございます。こんな素敵なところへ連れてきていただいて」
「ああ、私もここは好きな場所なんだ」
一番眺めの良い場所に、テーブルと椅子が用意されていた。
クロムに勧められシェリーは椅子に腰かける。すると、温室の入口付近で人の気配がした。シェリーが目を向けると、メイドと思しき女性たちが何か運んできている。
何が何やら分からぬうちに、テーブルの上にはおいしそうな料理が並べられた。
「あの……クロム殿下。これはいったい?」
「パーティではろくに食事もできなかっただろう」
確かに先ほどのパーティでは飲み物と少し果物を食べたくらいで食事らしい食事はしていない。しかしパーティとはそういうものだ。
「今日あなたをパーティに誘ったのは、もちろんみなに紹介したかったというのもあるが、あなたを屋敷から連れ出したかったからなんだ」
「連れ出す?」
「最近あなたは古代魔法の習得に明け暮れているだろう? もちろん古代魔法に興味をもってくれたことは私も嬉しいが、それに集中しすぎてまともに食事もとっていないと聞いた。だから、今日は無理やりにでもあなたを連れ出してゆっくり過ごしてもらいたかった」
確かに最近のシェリーは古代魔法の勉強に夢中になるあまり、食事も簡単なもので済ますことが増えていた。サンドイッチを食べればまだいいほうで、ひどい日はポテトやドライフルーツをつまむ程度のこともある。実際体重も減ってきていた。だけどまさかクロムが自分のことをそこまで気にしてくれているとは思っていなかった。
「殿下……。ありがとうございます。私の体調まで気遣って頂いて」
「といってもパーティでは長く連れまわしてしまったから、むしろ疲れさせてしまったかもしれないが。この後はパーティには戻らないと公爵にも伝えてある。一緒にゆっくり食事をしよう」
用意された食事はとても豪華だった。普段屋敷で食べている料理もおいしいが、今テーブルに並べられているものは味も見た目もこの美しい景色に負けぬ出来栄えだ。近くに調理場があったようには思えないが、料理は温かくパンも焼きたてのようだ。
(転移魔法を使ったのかしら)
だとしたら、クロムが古代魔法を使ってくれたということだろう。自分を連れ出して休ませるためにそこまでしてくれたのだ。彼だって忙しい身であるはずなのに、わざわざ自分のためにそこまでしてくれた。そう考えるとシェリーはなんだか少し申し訳ない気分になってきた。クロムには森で助けてもらってから良くしてもらうばかりで何も返せていない。婚姻のことも、一年も猶予をもらって待たせることになってしまった。よく考えてみれば、自分が『王の番』の条件に適合しているなら、早く婚姻を結んだほうがクロムとしてもメリットが大きいはずだ。だったら、自分の気持ちがどうあれ、早くクロムの妻になった方が彼のためになるのではないだろうか。
「クロム殿下。今さらですが、本当に婚姻を一年も待って頂いてよろしいのでしょうか。私は別に――」
「シェリー」
シェリーの言葉はクロムに遮られた。
「その話はまだ早い。あなたにはもっと私のことを知ってほしいし、私もあなたのことを知りたい。大丈夫、私は逃げも隠れもしない」
「…………はい」
「不満かな?」
「いえっ、そういうことでは……ただ、こんなに良くしていただいて、なのにずっとクロム殿下をお待たせしているのが……申し訳なく思えてしまって」
「そんなに堅く考える必要はない。焦らずゆっくり考えてくれていいんだ。それで一年後、あなたの気持ちを聞かせてほしい。私はそれを楽しみにしている」
クロムの言うとおり、婚姻を早めてもいいと思ったのは焦りからだ。今自分に差し出せるものがそれ以外になかったから。
(だけどクロム殿下には全部見透かされていたのね)
自分はまだ、クロムに対してどういう思いを持っているのか正直、整理できていない。それをクロムは感じ取っているのだ。
つまるところシェリーは、男性に対してどんな感情を抱けばいいのかよくわからなかった。互いを知ることが大切なのは分かるが、その先に芽生えるものはいったい何なのだろう。世の中の男女は、どんなふうに惹かれ合い結ばれるのか。それが全く分からない。
焦りが出たのは、シェリーにとって目的地の分からない旅をしているようで、それが不安だったということもある。だから、もういっそ男女の感情など分からぬままに婚姻を結んでしまった方が楽だと思ってしまったところもあった。
(私、先のことで不安になって自分のことばかり考えていたわ)
せっかくクロムがこんな素敵なところへ連れてきてくれて、自分を労わろうと苦心してくれたのに、その気持ちを無視して、自分の焦りを彼にぶつけてしまった。
未来に目を向けて備えることも大事だが、まずは相手の気持ちをしっかり受け取ることも大切だ。今はだた、自分の心に素直に従って、この場をこの時間を思いっきり楽しんでみよう。
「殿下……」
「どうした?」
「私……実は、バラ大好きなんです。だから、後でまた一緒にバラ園を見て回って頂けますか」
「もちろん」
「でも、まずはこのお料理をゆっくり頂きますね。早く食べてしまってはもったいないですから」
「はは、あなたがそんなに食い意地がはっていたとは驚きだな」
「く、食い意地ではありません。こんなに素敵な場所で殿下と食事できるんです。すぐに終わってしまってはもったいないと思ったんです」
「そうか、それほど喜んでくれたなら私も嬉しい」
そのとき、普段表情を変えないクロムが朗らかに笑った。まるで暖かいお日様のような笑顔。その笑顔を見た瞬間、シェリーはふいに胸の奥が締めつけらるような、不思議な感覚を覚えたのだった。
次回は、シェリーが古代魔法の実践に挑みます。




