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だから僕らは大人になれない  作者: 黒月水羽
第一章 訳あり幽霊と呪われ少年
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4-10 アイツ、いろんな奴にそれいってるよ

 雅美がナイフを持っていることに気づいた参列者が悲鳴をあげる。夷月はなんとか快斗の体を雅美から遠ざけようとするが、相手は成人した男だ。中学生の夷月では限界がある。

 考えている間にも雅美はナイフを両手で握りしめた。いつでも刺せる態勢だ。

 そこでやっと快斗はナイフの存在に気づいて、嘘だろという顔をした。慌てて避けようとするが、覚悟を決めた雅美の方が早い。


 快斗が刺されると夷月が覚悟を決めた瞬間、長身の男が快斗と雅美の間に割り込んできた。その男、鎮は雅美の手を勢いよく叩く。聞いているだけでも痛い音が響いたかと思えば、雅美の顔が痛みで歪んだ。

 痛みでナイフを持つ手が緩んだのだろう。鎮はその隙を見逃さず、ナイフを持つ手をひねり上げる。雅美の手から滑り落ちたナイフは、いつの間にか側に来ていた慎司が回収して距離をとった。


「し、鎮おじさんカッコいい!! 好き!!」

「嬉しいけど、今はそのテンション正解?」


 思わず思いの丈をぶつけると鎮に微妙な顔をされる。困った顔をしながらも、雅美の腕を掴む手は緩まない。両手を背に回された状態の雅美は、「手を離しなさい! 岡倉風情が!!」と叫ぶ。


「うわぁ、こわっ。普通、刺すまでいくか?」


 状況に頭が追いついたのか、引きつった顔で快斗がつぶやき、雅美から距離をとった。その顔は不自然に歪んでいるし、引き寄せようとして掴んだ腕はかすかに震えている。態度はでかいが意外と気は小さいらしい。

 トラウマになった可能性はあるが、快斗は無事である。響、咲、航が慌てて近づいてきて、響と咲は夷月を、航は快斗の体を点検する。怪我がないことを確認すると三人とも安心したように息を吐いた。


「心臓止まるかと思った……。夷月、人を助けるためとはいえ、危ないことはやめて」

 咲が胸に手を当て、青い顔でそういった。声は咲にしては震えていて、本当に具合が悪そうだ。


「ごめん。前にも似たようなことあったから、とっさに体が動いて……」

「まて、前にもって何だ」


 響の追求に不味いと夷月は思ったが、タイミングがよく雅美のわめき声が響く。夷月は内心「ナイス!」と思いながら、真面目な顔をして雅美に向き直った。響の何か言いたげな視線は感じたが、雅美の方が優先なのは確かなのですぐに視線はそれた。

 抑えつけられた雅美は往生際悪く騒いでいる。


「前々から気に食わなかったのよ! バカのくせに! 当主の息子だからって大きい顔して」


 つばを飛ばしながら叫ぶ雅美の姿は醜いとしかいいようがなく、ナイフの登場に唖然としていた参列者は不快感で顔をしかめている。


「リン様は響のせいでおかしくなったの! 当主になるべきは深里様だったのに! リン様は誰よりも恐ろしくて尊い方だったのに! 響が生まれてから全ておかしくなった!」


 雅美の喚き声に響が顔を歪めた。大人たちは気遣うように響を見つめる。あの快斗ですら、響の様子をうかがう態度を見せた。


 噂には聞いたことがある。響が生まれる前、次期当主だと言われていたのは深里だった。悪魔に一番気に入られており、深里も悪魔に懐いていたのだという。

 だが響が生まれた瞬間、悪魔は深里へ対する興味を失った。響が次期当主だと宣言し、見たことがないくらい響を可愛がるようになった。


「お前が誑かしたんだろ! 呪われた双子まで産んだくせに!」


 双子という言葉に空気がざわめいた。羽澤の人間は慌てて雅美の口を封じようと動きだしたが、もう遅い。発した声は返ってこない。

 響の顔が歪み、空気は凍りつく。雅美は暴れたことで乱れた髪の隙間から、響を睨みつけていた。

 夢に出そうだと、夷月は近くにいた咲の服を掴む。


「誑かしたって酷いな。それは俺が、人間ごときに誑かされるような、アホだっていってんのか?」


 凍った空気の中、やけに軽い声が響いた。場違いすぎる声に会場中の視線が、声のした方に向けられる。

 

 そこには真っ黒な男がいた。色味だけは場にふさわしいが、歩くたびに鳴るシルバーアクセサリーはどう考えても葬式に参加する格好ではない。

 黒いジーンズはダメージ加工が施され、男にしては白い肌をさらす。よくわからない布やら、ポケットがついていて、どこで売ってるだろうと夷月は目を瞬かせた。


 場違いな男の登場に、参列者たちがざわめく。そんなざわめきが聞こえないかのように悠々と、男はブーツの音を響かせながら雅美の前まで歩み寄った。


「り、リン様……」


 雅美から漏れた声に夷月は目を見開く。男の正体に気づいたものは、夷月と同じくギョッとした顔をした。

 あれが? 嘘だろという声がいたるところから聞こえるが、その声は羽澤の人間以外か、若い声だ。羽澤の人間、特に響と同年代の者たちは声を出したら祟られると信じているかのように、青い顔で固まっていた。


「で、どういう状況? なんでお前は、勝手に俺がおかしくなったとか、失礼なこと喚き散らしてんの?」


 リンは雅美を見下ろして、口角を上げて笑う。口は笑みの形を作っているが、真っ赤な目は冷え切っている。

 その目を見た瞬間、騒いでいた人間も大人しくなった。本能的に悟ったのだ。眼の前の存在に逆らってはいけないと。


「り、リン様……私は……」


 震える雅美の顔をリンはじっと見下ろした。戻ってくることを望んでいたはずなのに、雅美の顔に浮かんでいるのは恐怖だ。

 その姿を見て、夷月はトキアが言っていた言葉を思い出す。


『悪魔を信仰する人たちはね、恐ろしいんだよ。恐ろしい存在が目の届く範囲にいないことが恐ろしい。知らない間に自分たちに牙をむくかもしれない事実が恐ろしい。だから帰ってきて欲しいんだ』


 聞いたときは分からなくもないと、ぼんやり納得していたのだが、本人を眼の前にした今なら分かる。

 こんな圧倒的な存在を一度でも目にしてしまえば、意識せずにはいられない。


 リンはうまく言葉を発せない雅美に緩い笑みを向けた。それは悪戯をした子どもに対し、仕方ないなと許す父親のような顔。夷月は意外すぎる反応に身を固くする。

 夷月からすると詐欺師が相手をたぶらかすための手段にしか見えないのだが、雅美は許されたと思ったのか、嬉しそうな顔をした。そんな雅美の頭をリンは撫でる。


「ほんっと深里の奴は、自分の手足を作るのが上手い。いなくなってもアイツの思い通りに動くんだから」


 唐突に出た名前に雅美はポカンと口を開けて固まった。そんな雅美のことは気にもせず、リンはおかしそうに笑いながら、雅美の頭をぽんぽんと軽く撫でる。

 仕草は優しいものなのに、そこには驚くほど感情が乗っていない。地面に落ちていた人形を、戯れに手にとって眺めているような、とても生きた人間に向けるものではない眼差しを雅美に向ける。


「俺は恐怖で強くなる。俺を恐れるものがいればいるほど、羽澤の悪魔は強くなる」


 リンは雅美の目を見て、言い聞かせるようにそう言った。雅美はか細い声で答える。


「だから……私は……」

「俺に怯えながら、ずっと俺を崇めていたんだろう。そうすれば深里がお前に羨望の目を向けるから。有難う。あなたは私にとって特別な存在ですって微笑むから」

 リンは愉快そうに口角を上げた。


「アイツ、いろんな奴にそれいってるよ」


 雅美の顔から表情が抜け落ちる。その姿を見て、リンは楽しげに声を上げて笑った。その姿は悪魔と呼ばれるのにふさわしく、一切の情を雅美に向けてはいなかった。


「アイツの常套句だよ。自分の言う事を聞きそうな人間を見つけては、魅了して、依存させて。自分の言う事を聞く便利な駒に育て上げる。そんで、用がなくなったらポイ捨てだ」


 リンはやれやれといった様子で肩をすくめてみせた。芝居がかったその動作に、その場にいる全員が目を離せなかった。


「お前ら、俺に帰ってきてほしいそうだが、それは本心か?」


 リンは周囲をぐるりと見回した。リンの視線に合わせて、人が後ずさる。それはとても、帰ってきてほしいと望む相手への態度ではなかった。


「お前らは怖いだけだ。判断してくれる俺がいなくなったから、自分たちの判断が正しいのか分からなくて怖い。俺がどうしていなくなったのか、どこで何をしているのか分からなくて怖い」


 ぐるりとリンは周囲を見渡すと、航に目を留める。一瞬怯んだ航は目尻を釣り上げ、挑むようにリンを見つめ返した。

 快斗に比べるとのんびりとした雰囲気をもつ航だが、今は別人のように凛々しく見えた。

 そんな航を見つめて、リンは笑う。雅美に向けたものよりも、情を感じる笑みだった。


「安心しろ。俺はもう戻らない。羽澤にもう用はない。呪いは解けた。俺達の遊びは終わったんだ」


 リンの言葉に、張り詰めていた空気が弛緩した。

 固唾をのんで状況を見守っていた周囲がざわめきだす。どういうことだという疑問の声を、リンは軽く無視した。


「だがまあ、少しぐらい俺も責任というものは取らなきゃいけねえか。深里の本性を知っていながら、放置してたのは俺だしなあ」


 そういうとリンは鎮に押さえつけられたままの雅美と目を合わせた。雅美の顔に浮かんだのは恐怖だ。あれだけリン様と騒いでいたのに、今すぐ逃げ出したいとばかりに体が震えている。

 夷月には全く理解できない。なんでそんなに恐ろしい存在を敬うのか。


 そんな雅美の様子を見てリンは嬉しそうに目を細めた。いたわるようにその体に手を回し、抱きしめる。雅美が驚きのあまり目を見開いた。


 そのとき、リンの手が雅美の体を突き刺すのが見えた。衝撃のあまり、夷月は声が出なかった。あんなにあっさり、人の体に手が入るはずがない。血も出ていなければ、雅美は悲鳴も上げない。

 角度的に見えているのは、夷月を含めたごく一部。


「リン!」


 響が焦ったように声を上げたときには、リンの手は雅美の体から抜けていた。その手には、青白い炎のようなものがある。

 なにあれと口に出す前に、雅美が絶叫した。鎮が驚きのあまり手を離す。雅美は逃げることもせずにその場にくずおれると、頭を抱えて叫んだ。


「なんてこと! 私はなんてことを! お父様!!」


 その目からは涙が溢れていた。

 状況についていけずに、周囲は動けない。咲が一拍の間をおいてから、雅美の隣にかけより、その背を撫でた。

 雅美は床に額をつけるようにして、身を小さくして泣き続ける。突然人が変わったような姿に、夷月は怖気を覚えた。


 アイツが、悪魔がなにかしたのだ。

 雅美から目を離し、その横に立っている悪魔を睨みつける。悪魔は夷月の視線に気づいてもいないようで、青白い炎のようなものをしばし眺め、ポイッと口の中に放り投げた。

 喉が動く。飲み込んだのが分かる。


 リンは顔をしかめると舌を出し、嫌そうな顔で吐き捨てた。

「まずっ」


 はあと大きなため息をついたリンは、そこでやっと夷月に気がついた。誰だか分からなかったようで、しばし目を瞬かせ、響の息子だと気づいたのか、途端に人懐っこい笑みを浮かべる。

 嫌悪で顔をしかめる夷月などものともせず、リンはひらりと手をふると、夷月たちに背を向けた。


 ブーツの音が反響する。人がこれだけ集まっているというのに、雅美の泣き声以外はなにも聞こえない。リンが進むと、人は逃げるように道を開ける。リンはそれが当然だと言わんばかりに、鼻歌を奏でながら悠々と歩きさっていった。


 その背を睨みつけながら、悪魔について聞いた話を思い出す。

 悪魔は感情を抜き、人を廃人にするのだという。ただの迷信だと思っていたが、それが真実ならば今の現状も、納得はいかないが推測はできる。


 悪魔はきっと雅美から、深里に対する信仰心を抜いたのだ。

 



「第四話 呪いは解けても消えはしない」 終

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