4-7 お姉ちゃんはずっと、リン様のことを怖がっていてね
雅美が初めて深里を意識したのは子供の頃。年に一度行われる、悪魔への面通りの儀での事だった。
それは儀式や集会に使われる屋敷の一角、広い座敷にて行われる。そこに本家とそれに近い血筋の者、その年に生まれた赤子とその両親が集まるのだ。
まだ二桁にも満たない雅美が参加させられたのは、本家の血を濃く継いでいるからだった。座敷の隅には、雅美と同じような子どもたちが並べられ、息をひそめて時間が過ぎるのを待っていた。
雅美の隣に並ぶのは当主の息子たち。一番年上の航は、ピンと背筋を伸ばして正座を崩さない。大人は儀式に夢中で、背後の子どもたちになんて視線すら向けない。それでも本家の子として気を抜けないという姿勢は、雅美からみれば息苦しく見えた。
その隣の快斗は兄とは正反対で、だらしなくあぐらで座り、腕組みをして壁に寄りかかっていた。そんな状況で器用に寝ているのだから、肝だけで言えば誰よりも太い。
その隣に座る三男の深里は、雅美より一つ下。航と同じく正座を崩さず、だからといって張り詰めた様子もなく、目を輝かせ、食い入るように大人達の背を見つめている。何が面白いのだろうと、雅美はこっそり顔をしかめた。
並ぶ大人達の背中で見えないが、儀式は順調に進んでいるらしい。入口付近に並んだ赤子を抱えた親たちは、進行役の大人に名を呼ばれると一人ずつ、悪魔が座っている小上がりの方へ進む。
悪魔の姿は正面からしか見えない構造になっているため、どんな表情をしているのかは分からない。声もよく聞こえない。しかし、順番を待つ親たちからはその姿がよく見える。あの真っ赤な瞳に値踏みされることを想像して、雅美は体を震わせる。
面通りの儀と大層に言うが、やることは悪魔に生まれた子どもの顔を見せるだけ。重要なのは顔を見せた後、悪魔が口にする評価だ。
たった一目顔を見ただけで、この子は賢いだとか、将来大物になるだとか。悪魔は生まれたばかりの子どもの性質を見抜く。これが恐ろしいほどに当たるため、親たちは期待と不安を抱えながらこの儀に挑む。
優秀だと言われれば喜び、期待外れと言われれば落胆する。悪魔からの評価は一生ついて回る。優秀と言われた子は一族総出で可愛がり、平凡の言われた子は優秀な子の影に追いやられる。兄弟であっても評価によって格差がつき、優秀な子を沢山産んだ親は賞賛される。
雅美は幸い一人っ子で、父は羽澤では珍しく評価を気にしない人だった。しかし、母は違った。外から鳴り物入りで嫁いできた母は、自分の子が平凡なことが許せなかったのだ。
寝ている快斗を睨みつける。快斗の評価はバカだった。雅美と航の普通よりも劣る。本家の血筋では久しぶりだと悪魔も笑っていたほどだ。
それでも快斗は他の者より優遇されている。いくらバカでも当主の子。羽澤の血が濃いのだ。濃い血を残すためにも大事にしろと悪魔に言われたために、蔑まれるバカなのに大きな顔ができる。
今だって、眠っているのが他の子だったら叱られた。悪魔の言葉があるから多目に見られているのだ。
自分よりも劣っているのにと雅美は拳を握りしめる。自分だって当主の弟の娘だ。血は濃いはずなのにと唇を噛みしめる。
親の顔に泥を塗るなんてと冷たい顔でいった母を思い出す。
普通。それが雅美の肩に重くのしかかっていた。本家の血筋なのに、普通なんてと周囲からのささやき声が聞こえる気がする。分家の人間にすら良い評価をされたものがいるのにと、クスクス笑う声がする。
幼すぎて覚えていないはずなのに、悪魔の声が時折耳に届く。それは興味がなさそうな平坦な声で「普通」と言い放つのだ。
ぎゅっと雅美は手を握りしめた。
大人達の向こう側で、今年生まれた子どもたちが品定めされている。どうか、私よりも優秀な子が生まれませんようにと雅美は祈る。優秀な子が生まれれば生まれるほど、母の機嫌は悪くなる。なんでお前は評価されなかったんだと責められる。
なんで悪魔なんているんだろうと、雅美は両手を握りしめた。あんなものがいなければ、自分がこんな惨めな目にあうこともなかったのにと。
だが、そんな文句を口に出せるほど、雅美は強くなかった。
悪魔と呼ばれる男は恐ろしい。真っ黒な髪に、帯まで黒い真っ黒な着物を身につけている。着物から覗く肌は死人のように白く、真っ赤な瞳は血を塗りたくったように不気味だ。あの目を見るたび、雅美の体は恐怖で震える。
文句を言ってやろうと意気込んでも、あの目に捉えられた途端、恐怖で体が動かなくなる。それに平然と話しかける深里を見ると、たしかに自分は普通なのだと突きつけられる。
本当は同じ空間にいることすら怖いのだ。長く同じ場にいればいるほど、別次元の存在だと突きつけれ、自分はどうしようもなく無力なのだと思い知る。
そんな雅美を嘲笑うように、大人たちの歓声が響いた。
今年生まれた子は、良い評価を得られたのだろう。また母の機嫌が悪くなると、雅美はぎゅっと手を握りしめた。
早く終われと念じながら目を閉じ、両耳をふさぐ。怒られてもいいから眠ってしまいたい。そう思ったところで、肩にそっと誰かが触れた。
「怖いの?」
小さな声に雅美は閉じていた目をゆっくり開き、少しだけ両耳から手を離した。
雅美を見上げていたのは、隣に座っていた深里。悪魔からとても優秀だと評価された子どもだった。
黒い髪を女の子のように伸ばし、後ろで一つに結っている。目は羨ましいくらいパッチリしていて、青い瞳は宝石みたいに煌めいている。薄暗い部屋の中でも目を奪われるような瞳に雅美は息をのむ。
悪魔に認められる存在は、容姿までもが違うのか。
雅美はぎゅっと手を握りしめて、唇を噛みしめる。
顔のパーツはにているはずだ。本家の人間は血が濃いから、似た顔立ちをしている。それなのに、そのはずなのに、眼の前に座ると深里と自分は、まるで違う生き物に見えた。こんな子どもに産まれたら、母はきっと喜んでくれた。そう思ったら泣きわめきたくなる。
「お姉ちゃん、リン様が怖い?」
再び問いかけられて、雅美は固まった。何を問われているかよく分からず、驚いた顔のまま深里を見つめ返す。深里はそれを受け取ったのか、嬉しそうに微笑んだ。
「いいなあ。お姉ちゃんはリン様の糧になれるんだ」
「カテ?」
聞き馴染みのない言葉に雅美は眉を寄せた。深里はそんな雅美にお構いなしに、嬉しそうに話し続ける。
「怖がられれば怖がられるほど、リン様は強くなるんだって。今日みたいな儀式は、リン様が強くなるために必要なんだって」
深里は夢に浮かされたような顔でそういうと、大人達の背中……いや、その向こうにいる悪魔を見つめる。視界を塞ぐ大人の背など見えていないような、世界に悪魔と自分しかいないような。ただ一心に熱のこもった視線を向けている。
その姿は雅美には異様に見えて、深里から距離をとろうとしたが、すぐ隣には別な子がいる。後ろには壁がある。
航がチラリとこちらの様子をうかがったように見えたが、すぐに目をそらされた。あなたの弟でしょ。なんとかしてという言葉が出るよりも早く、深里が次の言葉を口にする。
「でもね、僕はリン様が怖くないんだ。尊い方だって思うんだけど、リン様は畏怖がいいんだって」
雅美には難しい言葉を深里はサラリと口にした。
「……悪魔様は怖がられたいの?」
なんとかつなぎ合わせた答えを口にすると、深里は頷いた。
意味が分からずに眉を寄せる。怖がられるより好かれた方がいいはずなのに。悪魔という存在は、やはり雅美には理解できない。
「怖いから敬うんだって。敬う心は力になるんだって。リン様を好きって僕の気持ちよりも、怖いって気持ちの方がずっと強いんだって。だからね、僕はお姉ちゃんが羨ましい」
深里はそういうと眉を下げ、悲しそうな顔をした。雅美が羨ましくて仕方がなかった選ばれた子が、雅美を羨ましいという。
その時、雅美が感じたのは歓喜だった。
「お姉ちゃんはずっと、リン様のことを怖がっていてね」
深里はそっと雅美の手を握りしめた。自分よりも小さな子どもの手だった。雅美を見上げて笑う姿は、とびきり可愛く見えてドキドキした。
「……私が怖がれば、悪魔様はずっと強くいられるの?」
「そうだよ。ずっと強くて、美しくて、尊いままで居られるんだ」
それが出来るのは選ばれた優秀な子ではなく、普通と言われた自分なのだ。その事実に雅美の心は満たされた。
深里の小さな手をぎゅっと握り返す。子どもとは思えない落ち着いた表情で笑う深里のことがもう怖くも、羨ましくもなかった。とても綺麗なこの子は、自分を羨ましいと思っているのだから。
それは傷ついた心を満たすには十分な、優越感だった。




