4-1 最後の一言で台無しなんだよなあ……
お堂の中は重苦しい空気で満ちていた。胃の中に鉛が入っているような感覚に、夷月はお腹をさする。
「それで? なんでこんな無謀なことしたわけ?」
トキアは棺の上にどっかりと腰を下ろし、足を組んでいた。八歳の子供とは思えない威圧的な態度に、夷月たちは身をすくませる。
夷月の隣には響、慎司、鎮の順番で大人たちが正座。夷月も当然正座である。座ることを意識して作られていない板間は、ゴツゴツとした感触を伝えてきて、芯から冷えていくような気がする。
じわりと纏わりつくような熱気を感じる夜だったが、お堂の中は妙に寒い。これだけ炎が燃えているというのに。
トキアを見上げるとニッコリ微笑まれた。瞬間、さらに温度が下がった気がする。
理屈は分からないが、この寒気の原因はトキアらしい。夷月は慌てて視線をそらした。
「それで? 僕の質問には、いつになったら答えてもらえるのかな?」
恐ろしくて顔をあげられないが、表面上だけは美しい笑みを浮かべていることはわかった。
「勝正さんの死因を特定したかったんだ」
響が意を決したように答える。そろりと顔を上げると、真剣な顔をした響の横顔が視界に映った。そっとトキアの様子をうかがうと、冷めきった目で響を見下ろしている。その顔は子供が父親に向けるものでは到底なく、夷月は理由のわからない恐ろしさを感じた。
「特定してどうするつもりだったの?」
「雅美さんの罪を暴く」
「暴いてどうするの? 他殺だって分かったところで死んだ人間は帰ってこない。娘に殺された哀れな父親よりも、突然の病気で亡くなった不運な人の方が、本人の名誉も守られるんじゃない?」
トキアは優しく微笑んだ。響の心を揺さぶって、自分の意見を通そうとしているのだと分かった。周囲に知られると不味いことには蓋をして、当人のためだと甘い言葉で惑わして、本当のところはトキアが隠したいだけだ。
羽澤家の人間は呪われている。その事実を誰よりも隠したいのは、トキアなのだと夷月は理解した。
「勝正おじさんの名誉は守れても、おじさんの守りたかったものは守れない」
夷月は拳を握りしめ、トキアを見上げた。先程までの優しい微笑みを消し去って、トキアは道端のゴミでも見るような顔で夷月を見下ろしている。冷めきった瞳に怖気づきそうになるが、なんとか拳を握りしめることで堪える。
「おじさんは雅美おばさんの子どもと、その奥さんを匿ってた。だからおばさんに殺されたんだ」
トキアはそれがどうしたという冷たい目で、夷月を見下ろし続けている。
挫けそうになるが目をそらさなかった。そんな夷月の様子に、トキアはかすかに目を細める。
「つまり夷月は、亡き叔父さんの意思を継いで、接点もほとんどない人間を守りたいって? 君、そんなお人好しだった?」
トキアはバカにするような、嫌な笑みを浮かべた。それだけの動作に身がすくむ。
「クラスメイトの名前すら覚えてもいなかった。僕に記憶を抜かれても、転校することになっても気にしなかった。一緒に森に入った渡辺ちゃんと太田くん。彼女らのその後にも興味なかったよね。二人とも君と一緒に森に入っただけで、可哀想なことになったのに」
気づけばトキアが目の前に迫っていた。光のない瞳が夷月を見下ろす。自分の怯えた顔が瞳に映り込んでいることに気づいて、夷月は喉がカラカラに乾くのを感じた。
「君は薄情な人間だ。自分以外はどうでもいい人間だ。それは悪いことじゃない。みんな自分が一番可愛い。自分が世界の中心だ。だから気にすることはない。これからも自分のことだけ考えて、他人のことなんて気にしなければいい」
トキアは微笑む。顔は笑っているけれど目は笑っていない。頷けという無言のプレッシャーが、夷月の頭を無理矢理縦に降らせようとする。
トキアの手が頬に触れる。ヒヤリとした小さな手。すでに死んでいる人間の手だと、急に夷月は強く感じた。
生まれて初めて感じる恐怖だ。初めて通夜に参加した日も、自分が兄の代わりなのだと気づいた日も、今ほど怖くはなかった。
頷けば楽になれるのだろう。トキアはきっとそれで満足する。
けれど、それをしたら最後、トキアと前のように気安くは話せなくなる気がした。身に染み付いた恐怖はきっと消えない。
それは嫌だ。
「俺はトキア兄さんの言う通り、自分が一番可愛い。俺を可愛がってくれない人はどうなってもいいし、俺個人を見てくれないクラスメイトに興味なんてない」
夷月の返答にトキアは戸惑ったように目を見開いた。響を含めた大人からも戸惑いの視線を感じる。
我ながら最低な告白だと思うが、夷月の周囲の大人たちは夷月がこういう性格だと知っている。知ったうえで仕方がないなと見守ってくれていることを知っている。
「だから俺を可愛がってくれた、勝正おじさんが守りたかったものくらいは守りたい。俺は自分が一番だから、世間体とか一族がとかどうでもいい。大好きなおじさんにお礼がしたいだけ」
ハッキリそう告げてトキアを睨みつけた。トキアは目を見開いて固まっている。しばしの沈黙の後、トキアは額に手をあてて天を仰いだ。
「……響、息子の教育もっとしっかりして……」
「それに関しては、言い訳の仕様もなく……」
ため息混じりのトキアの声に響が小さな声で答える。見れば、いつもまっすぐに伸びた姿勢が丸くなっていた。鎮と慎司が慰めるような視線を向けている。鎮に至っては「あれは響の手に負えないって」と失礼な発言。
聞こえてるんだけどと言いかけて、今はそれどころじゃないかと夷月はトキアに向き直る。
トキアからは先程までのにプレッシャーが消えていた。許されたと言うよりは、怒るのが馬鹿らしくなったといった雰囲気だ。
「君はさあ、怖くないの? 自分の血が、呪いが」
トキアは呆れ半分で探るような視線を夷月に向けてくる。夷月はトキアの問いを飲み込んで、自分の手を見つめた。
何の変哲もない右手。そこには血が流れている。呪われた血は若々しさを与えてくれるが、死ねば異形のものとなる。夷月も将来、勝正と同じように送られる。響と咲だって同じだ。
夷月は響の隣に並ぶ慎司と鎮に顔を向けた。二人は年相応に老いている。羽澤の血が流れていないから当然だ。それが羨ましくなった。彼らは普通に生きて、普通に死ねるのだ。
「怖いっていうか、気味悪いっていうか、意味不明で不気味っていうか」
「プラスイメージ一つもないね」
「でも、そう生まれちゃったし。父さんと母さんの子供であることに、全く不満はないというか、むしろ勝ち組だと思ってるし」
夷月の言葉に響が顔を上げる。驚いている姿に、夷月は思わず笑ってしまった。
響は意外と自己評価が低い。最愛の妻を亡くし、息子を亡くしたことを未だに引きずっている。たしかに父親として問題点はあるのだろう。夷月はほとんど一人で、両親に甘えられる機会は貴重だ。
それでも自分の親は、響と咲以外考えられないのだ。
「ていうか、俺みたいなのが一般家庭に生まれた方が悲劇だと思う」
「全く持ってそのとおりだと思うけど、自覚があるなら自重を覚えなよ」
胸を張っての宣言にトキアはジト目を向けてきた。夷月はそれを華麗に流す。
「だから俺はこの家に生まれて良かったと思うし、この家に生まれなかったら俺じゃないし。気色悪いけどしょうがないよね!」
「最後の一言で台無しなんだよなあ……」
ついにはトキアは棺の上で大の字になってしまった。「もー、ほんとコイツ、どうにかして。どうしたらこんな生き物に育つの」と、手足をバタバタしながら不満をぶちまけていた。
さすが幽霊。トキアからすれば棺もベッドも大差ないらしい。
止めなくていいの? という気持ちを込めて、大人たちに顔を向けると、大人たちはなんとも言えない顔で夷月とトキアを見比べていた。
感動すればいいのか、笑えばいいのか、泣けばいいのか分からないという反応を見て、とりあえず夷月は代わりに笑っておいた。




