3-7 珍しい。夷月くんがそんな顔をするなんて
次の日、夷月がリビングに行くと両親と鎮、慎司がソファでぐったりしていた。
珍しい光景に、夷月は目を丸くする。もともと両親の様子を見に行く予定ではあったが、まさかの展開だ。
「みんな、大丈夫?」
リビングに足を踏み入れながら聞くと、四人がゆっくりとこちらへ顔を向けた。ホラー映画並みの緩慢な動きに、夷月はビクッと肩を震わせる。
怖がってもいられないので近付くと、テーブルの上には紙やファイル、ノートパソコン。休憩につまんでいたらしいお菓子に紅茶と、雑多な様子だった。
真面目な響と綺麗好きな咲らしくない光景は、二人がいかに疲れているかがうかがえる。常に優雅に微笑んでいる咲が、珍しくため息を付きながら肩に手をおき、揉む仕草を見せた。夷月は咲の後ろに回り込むと、お疲れの咲のかわりにその肩に触れる。
労わるようにゆっくり揉むと咲は驚いた顔で振り返り、続いて「ありがとう」と笑うので、夷月は嬉しくなった。
「夷月、私も……」
「母さんの次ね」
珍しく弱々しい声を出す響に返事をする。咲の体から少しとはいえ強張りが溶けたことに、夷月はホッとした。
「夷月くん、俺も……」
続いてよろよろと鎮が片手を上げた、隣の慎司がギョッとしたが、夷月は「いいよ」と返事をした。
岡倉家と羽澤家の関係はいろいろと複雑なので、他の者がいる場所ならこういうことは出来ない。幸いここには親しいものしかいないので、周囲から小言を言われる心配はないだろう。
「鎮、いくら疲れてるからって、次期当主にそんな無礼なこと……」
それでも真面目な慎司は気になったらしい。遠慮しなくていいのにと夷月は思いながら、真面目な顔をした。
「今の俺は次期当主じゃなくて、学校サボってる悪い子なので、これは罰なのです」
声と態度だけわざとらしく神妙な空気を作ると、咲がクスクス笑う。慎司は困った顔だが肩の力は抜けたようで、響や鎮の雰囲気も柔らかい。多少は気分転換できた様子に夷月は嬉しくなった。
「夷月くん、告別式まで学校サボるつもりなの?」
「行っても、お悔やみラッシュに巻き込まれるだけだし」
鎮の問いに答えながら咲の肩を強弱をつけて揉む。咲の肩に触れたのは久しぶりだが、子供の頃よりも小さくなったように思える。
幼稚園ぐらいの頃、おんぶとせがんだときはもっと大きかったはずだ。自分が大きくなったのだと思うと、不思議な気持ちになった。
夷月の返答に大人たちは微妙な反応をする。その光景が容易に想像できるというか、大人たちは現在進行系でお悔やみラッシュなのだろう。昨日からプライベート、仕事用にかかわらず、電話がひっきりなしなのは知っている。
「まだまだやることあるの?」
咲に「もういいわ。ありがとう」と微笑まれて得意げになった夷月は、響の後ろに回り込みながら聞いた。三人の反応は微妙だ。現在顔が見えない響も、似た反応だろうと想像できた。
「一通り終わったと言えば終わったし、まだまだあると言えばある」
「なんか、大変そうだね」
言いながら響の肩に手をおく。がっしりした、大人の男の肩だ。咲に比べると大きいという印象が強く、まだまだ自分は子供なんだなと夷月は実感した。
「勝正さんが事業を、後任に引き継いでくれていたのが幸いしたな。現役だったらって想像もしたくない」
鎮はそういうとため息を付いて、前髪をかきあげる。いつも明るい鎮だが、その顔には疲労の色が濃い。
「ただプライベートの交友に関しては、分からないことが多くて」
慎司がため息混じりに呟く。勝正のフットワークの軽さと交流の広さを思い出し、夷月は苦笑した。居酒屋で隣りに座った相手は友達と豪語するような人間だ。趣味が旅行だったこともあり、友達の輪は世界中に広がっている。
「死人に口なしを良いことに、生前の約束がどうこう、怪しいこと言ってくるやつもいるし」
「えー、そんなのいんの」
鎮の怒りを含んだ呟きに夷月は心底同情する。そんなのの相手をずっとしていたなら、疲れるに決まっている。
「勝正さん、最近は別荘の方で生活してたから、詳しいことがわからないのよね」
咲が困った様子でため息を付いた。
「勝正さんの性格から言って、記録はつけてると思うんだが……」
響の呟きを聞いて、勝正が旅の思い出をスクラップにまとめていることを思い出した。別荘に遊びに行ったとき、見せてもらったことがある。風景写真や現地の人に撮って貰ったという写真、食べ物の写真などがコメントとともに記録してあって、見ているだけでも楽しいスクラップ帳だった。
あのスクラップ帳の出来を見るに、大事なことを書き留めていても不思議じゃない。自由人に見えて、仕事はきっちりしていたという話も聞いている。
「雅美さんとの関係があんな感じだし、迷惑かけないように後始末はしとくって前に笑ってたんだよなあ」
鎮が天井を見上げながら呟いた。視線は上を向いていたが、きっと過去の記憶を思い出しているのだろう。
しんみりした空気が流れる。こんな唐突でなければ、葬式の手配まで自分で終わらせていたかもしれない。
「……別荘になにか残ってないの?」
響から離れ、鎮の肩に手を置く。背が高い鎮を見下ろすのは新鮮だった。
いつも華やかな雰囲気をまとっているから見逃していたが、すぐ近くで見た鎮の顔は、両親に比べれば年老いている。顔には生きた年月を感じさせるシワが刻まれ、夷月の肌に比べればハリもツヤもない。それでももうすぐ五十という年齢を考えれば、若いと言われる方だ。
チラリと夷月は、鎮と同い年の響を見た。二十代といっても通じる若々しい容姿を見て、羽澤の人間がおかしいのだと再認識する。
羽澤家の人間は老いにくい。どういうメカニズムかは分からない。遺伝子的にそうなのか、血筋的にそうなのか。研究に協力してほしいという依頼は多いが、羽澤家は全て断っている。研究の道、医療の道に進んだ者も自身の一族の謎については、触れたがらない。
きっと怖いからだ。羨ましいと言われる体質が、異常なことであると羽澤の人間は年を重ねるごとに自覚する。同い年の他の人間がどんどん老いて行くなか、自分だけは若々しいままでいる。
そして思い出すのだ。自分たちの血筋が呪われているという事実を。そして怯え始める。もしかしたら老いないという体質は神が与えたギフトではなく、呪いなのではないかと。
だから調べない。呪いだと証明されてしまうことが恐ろしいから。遺体を外部に持ち出さないのも、そういう理由なのかもしれない。
「珍しい。夷月くんがそんな顔をするなんて。勝正さんには夷月くんも懐いていたもんな」
鎮にそういわれて、夷月は自分が顔をしかめていたことに気がついた。考え事に集中していたらしい。
あわてて夷月は表情を取り繕った。鎮と響の顔を見比べて、呪いについて考えていたなんて言えるはずもない。
「……やっぱり、おじさんが突然死っていうのがしっくりこなくて」
話題をそらしたかったのもあるが、口から出た言葉も本心だ。夷月は未だに勝正の死に納得できていない。
それは大人たちも同じだったようで、四人とも難しい顔をする。
「夷月くんの言うとおり、なにか残ってるなら別荘だと思うんだよな」
鎮はそういってため息をついた。分かっているなら見に行けばいいじゃないかと思ったのだが、それをしていないということは問題があるらしい。
「別荘の鍵を持っているのが、雅美さんだけなんですよ」
夷月の疑問に答えてくれたのは慎司だった。夷月は数秒固まってから「えぇ!?」と声をあげる。四人とも大人だから騒がないだけで、内心は夷月と同じ気持ちだというように深いため息を吐く。
「様子を見に行った時にはすでに鍵がかかっていて、雅美さんとの連絡もとれなくなっていました。自宅にもいないようですし、今どこにいるかはわかりません」
「警察は? そういえば検視とかしなかったの?」
自宅で人が死んでいた場合、事件性がないかどうか警察が調査することになっている。ドラマで見たぼんやりした知識だが、間違っていなかったはずだ。
夷月の問いに大人たちは顔をしかめた。
「いつからかは知らないが、警察は羽澤家の問題には口を出さないし、調べない方針になっているらしい」
夷月は目を瞬かせた。親戚のどれかがもみ消しているのだろうと思っていたが、それ以前の問題だったとは思わなかった。
「どれだけ不審なことが起ころうと、組織的には調べない。個人的に調べるものはたまにいるが、まあ長続きしないな」
「それは誰かが口封じしてるってこと?」
「おそらくな。だが、それが誰なのかは私も詳しいことは知らない」
響の告白に、夷月は固まった。そんなことあるのか。しかしながら他の大人たちも全員、難しい顔をしている。
「羽澤家の問題が表沙汰になるのを恐れているのは、私たちだけじゃないということだ。むしろ、私たちよりも恐れている者がいる。私も何度か双子に対する虐待について告発しようとしたが、止められた。世間に与える影響が大きすぎるとな」
響がため息混じりにそういった。いつかは告発するかもしれないと思っていたが、すでにしようとしていたことに驚く。咲たちは知っていたのか、苦い顔をしていた。
「羽澤家はあらゆるところに根を張りすぎた。人脈も財力も。潰れたら一族だけですまない。様々な企業を巻き込み、経済問題にまで発展しかねない」
大げさとは言えない。羽澤家が経営する企業は多岐にわたり、支援を行っている企業や団体も多い。羽澤グループとしても多いのに、羽澤の人間が個人で行っていることに関しては把握すらできていない。
それがスキャンダルによって一斉に止まるとなれば、後ろ暗い部分があったとしても見逃す他ないのだろう。
多くの幸福のために少数の不幸はなかったことにされる。社会はそういうものだと夷月も知っている。
「俺達、悪の組織みたいだね……」
思わず鎮の肩をぎゅっと掴んでしまう。鎮は無言で顔を上げ、夷月の表情を見た。それからぐしゃぐしゃと夷月の頭をかき混ぜる。
「心配しなくとも、夷月くんが代替わりするときにはクリーンな一族になってるよ」
無理でしょと口から出かかったが飲み込んだ。これだけ肥大化してしまったのだ。膿を絞り出すのにどれほどの時間と労力がかかるか。そんなの子どもの夷月でもわかる。
それでも静かに頷いた。夷月を見る大人たちの顔が優しかったから。子どもたちにはきれいな環境を用意するのだと、決意の滲んだ顔をしていたから。
そんな視線を一身に受けて、夷月はどうしていいか分からず、鎮の肩から手を離す。
こんな優しい人たちが身を削ってまで、この家は残さなければいけないのだろうか。悪の組織は悪らしく、多大に迷惑をかけながら華々しく散ればいいのではないか。
そんな考えが頭に浮かんだが、そうなったときに矢面に立たされるのは眼の前にいる大人たちなのだ。だから夷月は口をつぐむ。
みんなおかしいと気づいている。それでも目を逸らし続けているのは、今の夷月と同じ気持ちだからだろう。
正義や大多数の幸福よりも親しい人間の幸福が優先する。そのためになら悪と言われても構わない。きっと羽澤家はそういう一族なのだ。




