3-2 いくらなんでも失礼すぎない?
羽澤勝正は前当主、響の父親の弟にあたる。響の代は跡継ぎ問題で揉めたが、その前はすんなり響の父親で決まったらしい。
そのため弟である勝正は早くから自由を許された。趣味のキャンプと旅行を楽しみ、趣味の延長戦でキャンプ用品を取り扱う会社を設立。事業は成功し、羽澤家の資金と人脈を支える一角へと成長した。
羽澤家は土地や株の運用の他、手広く会社を運営している。羽澤家の人間の多くはグループ内の企業に就職するが、中には独立して成功を収めるものもいる。その内の一人が勝正だった。
一から企業を創りあげ成功まで導いた実績、人当たりがよく、器の広い人柄。前当主の弟という血筋。それらの全てが羽澤内での勝正の地位を高いものとした。羽澤外でも強い影響力を持ち、事業を後任に引き継いだ後も相談役として活躍していたほどだ。
甥っ子として小さい頃から可愛がられていた響も時折相談にいっており、夷月も響についていっては遊んでもらった。親戚の退屈な集まりの中、勝正の姿を見かけると嬉しくなったものだ。
「勝正おじさん、死んじゃったのか……」
家に戻った夷月はリビングのソファの上、膝を抱えて呟いた。目の前には壁を覆う巨大なテレビがあるが、今は見る気にならない。
咲は夷月に簡単に事情を説明すると、慌ただしくリビングを出て行った。今頃響も大慌てで葬式の準備を進めていることだろう。影響力も知人も多かった勝正だ。関係各社への連絡だけでも大変なことは想像できた。
「夷月って、人の死を悼む心をちゃんと持ってたんだね」
「いくらなんでも失礼すぎない?」
斜め上から聞こえた、本気で驚いているという反応に夷月は顔をしかめた。夷月を宙から見下ろしていたトキアに顔を向け、不満ですと全身でアピールする。
トキアも酷いことを言っているという自覚はあったのか、すぐに「ごめん、ごめん」と軽い調子で謝られた。もっと誠心誠意謝ってほしいところだが、それを口に出すほど元気はない。
「一ヶ月前くらいに会ったけど、元気だったのに。エベレスト挑戦するっていってた」
「いや、七十歳だったんでしょ。大人しくしなよ」
トキアの呆れた視線に夷月は同意する。八十歳で登頂した人もいるんだから不可能じゃないと本人は笑っていたが、こうして急に死んでしまったのだから年には勝てなかったのだ。
「いくら羽澤の人間が老いにくいっていっても、全く老いないわけじゃないんだからさ」
一ヶ月前にみた勝正の姿を思い出し、夷月はぎゅっと自分の体を抱きしめた。
老いにくい羽澤家の中でもさらに若く、アグレッシブだった勝正は一般的な四十代に混ざっても違和感がないほどだった。キャンプや旅行を趣味にしていただけあって、体は引き締まり夷月には羨ましい長身だった。
豪快に笑っていた姿を思い出すと、死んだというのが嘘のように思えてくる。いますぐドアをあけて、「ドッキリ」の札を持って入ってきてくれないものか。そう思いながらリビングのドアを見たが、慌ただしく動き回るお手伝いさんの気配がするだけだった。
「僕はあんまり知らないんだよね。夷月が懐くほどいい人だったの」
トキアが夷月の隣に移動し、ソファに座る。といってもトキアは物をすり抜けるので、座ったフリだ。
宙にういている方が楽なトキアがわざわざ隣に座るのは、夷月を慰めようとしているから。そう好意的に受け取って、夷月は勝正に遊んで貰った日々のことを思い出す。
「俺を子ども扱いして遊んでくれる、貴重な人」
「君、微妙な立場だもんねえ」
誰のせいだよ。と口から出かかったが、なんとか飲み込んだ。それでもじろりと恨めしげな視線は向けてしまう。トキアにはバッチリ伝わったらしく、無言で肩をすくめられた。
トキアの言うとおり、羽澤内での夷月の立場は微妙だ。外では当主の息子イコール次期当主と持てはやされているが、実はそう単純なものでもない。
羽澤家は実力主義。分家の人間が当主になった例もあり、当主の息子だから確実というわけでもないのだ。
女性が当主になった例もあるため、現在海外にいる姉、なのかも十分に可能性がある。長男のアキラが生きていたという事実が広まれば、それも夷月の立場を不安定にさせる。
しかも夷月は後妻の子どもである。未だに男尊女卑の精神が根本にあるこの国では、当主はなるべく男がいいという理由で夷月は生まれた。
結果が残せなければ用済みなのだ。両親は絶対にそんな事言わないが、周囲はいつだって夷月の価値を値踏みしている。
そんな微妙な立場の子どもを、ただの子どもとして可愛がれる大人は少数だった。勝正は前当主の弟という立場だったから、夷月の置かれた状況が他人事ではなかったのかもしれない。
「兄さんが生きてたら、俺こんな面倒な立場じゃなかったのに」
「僕が生きてたら、君生まれてなかったでしょ」
さらりと告げられた事実に夷月は眉を寄せた。トキアはじっとこちらを見つめている。それはこちらの反応を観察する顔だ。嫌な顔だなと思いながら夷月は眉をつり上げ、トキアを睨み付けた。
「兄上が無謀にも死んでくださったお陰で、生まれることが出来ました。誠に感謝申し上げます」
「うわー刺々しい」
トキアは愉快そうに笑う。よくもまあ笑っていられるものだと夷月は鼻をならした。
「生きてるだけで儲けもんとか、生まれたことに感謝してとか、本人がいうことであって他人がいうことじゃないと思うんだよね」
苛立ちを隠さずにトキアを睨みつけると、トキアはとたんに気まずそうな顔をした。しばし視線を彷徨わせた後、夷月の頭に手を伸ばす。
「……君がそんな気にしてるとは思ってなかった。ごめんね」
トキアはそういいながら夷月の頭を撫でた。やっぱり手は冷たい。外だとちょうど良かったが、室内だとその手は冷たすぎる。それでも振り払う気にはなれなくて、夷月は不満だとトキアに伝わるように唇を尖らせた。
「兄さんはさ、俺のことロボットか何かだと思ってる?」
「感情学習中のAIだと思ってる」
「似たようなもんじゃん!!」
猫みたいに肩を怒らせながら騒ぐと、トキアは「ごめん、ごめん」と繰り返した。やはり謝罪が軽い気もするが、トキアからごめんの三文字を聞けるだけで貴重な気もする。
「夷月みたいな、捻くれ未学習AI少年が懐いてるってことはいい人だったんだね」
「兄さん、本気で謝る気ないでしょ」
半眼で夷月はトキアを睨み付けたが、トキアは涼しい顔をしていた。これ以上トキア相手に不安をいったところで無駄だと悟った夷月は、大きなため息をついてから頷いた。
「いい人だったよ。父さんも信頼してたし。羽澤の血が流れてるとは思えないほどいい人」
「たまに生まれるよね、こんな掃きだめの中でよく生まれたなみたいな良い子」
トキアは「なるほどねえ」と一人で納得していたが、夷月は「たまに生まれる」という言葉が気になった。それは誰かに聞いたというには実感のこもった言葉に聞こえたのだ。
「……兄さんは、勝正おじさんとは接点なかったの?」
「名前と噂は聞いたことあるよ。僕が生きてる間はほとんど羽澤家によりつかなかったね。当主を誰にするかで揉めてた時期だし、下手に甥っ子を可愛がると派閥争いに巻き込まれるから、出来なかったんだと思うよ」
現当主の弟という立場上、跡取り問題で揉めている時期は居心地が悪かったのだろう。地位も発言力もあったから、へたに甥っ子を可愛がると新たな火種になる。
単純に争いごとから逃げたい気持ちもあったと思う。勝正は平和主義だ。なにかと面倒な羽澤家が嫌で、学生時代からふらりと旅に出ていたという話を聞いたことがある。自分が当主に選ばれないように、わざとフラフラしていたのかもしれない。
「そもそもさあ、なんでそんなに揉めてたの? 父さん一択じゃない? 航おじさんは真面目だけど、真面目すぎて補佐の方が向いてるし、快斗おじさんは論外でしょ。羽澤家潰すよ」
「君、ほんっと遠慮ないね」
トキアはそういって呆れてみせたが、そういうトキアも夷月の言葉を否定しない。
響と当主の座を争っていた響の兄、航と快斗は夷月から言わせれば当主の器ではない。間違いなく野菜を育てている現状の方が、性に合っている。
トキアを刺殺した疑惑のある、現在行方不明の深里も夷月からすれば論外だ。
夷月はちらりとトキアを見た。事件の真相を聞いてみようかという考えが浮かんだが、すぐに振り払う。その問いを口にするには度胸と勇気が足りなかった。
代わりに夷月は別の疑問を口にした。
「当時は悪魔とか言われてた変な人、いたんでしょ?」
「っ……へ、変な人……!」
聞いた話を思い出しながら口に出すと、なぜかトキアが震えだした。口とお腹を抑えて、笑いを必死にこらえている。よくわからないがツボに刺さったらしい。
意味が分からず首を傾げていると、ドアの開く気配がした。お手伝いさんが呼びに来たのかなと思いながら顔を向ける。
トキアの姿は両親と夷月にしか見えないから、トキアがどんな奇行に走っていても問題ない。
「夷月くん、今回は突然のことで……」
そう言いながら入ってきたのは金髪に緑の目をした男性。年は響と同じ四十後半だが、年相応に顔に深みが増している。
年齢を感じさせない細身の体でスリーピーススーツを着こなす姿は、いかにもできる男といった雰囲気だ。
名は岡倉鎮。響の高校時代の同級生で、羽澤家とは何かと縁の深い岡倉家の人間である。プライベートでは普通のおじさんのように夷月と遊んでくれるので、岡倉家の人間で唯一夷月が懐いている人物だ。
その隣に並んで入ってきたのは鎮に比べると小柄な男性。年齢は鎮と同じで、メガネをかけた知的で柔和な雰囲気。こちらもシンプルではあるが高級品だとわかるシングルスーツに身を包んでいる。ベストが赤と派手な鎮に比べると控えめで嫌味がない。
川村慎司。多忙な響の補佐を務め、右腕とも評されている。羽澤家の人間ではなく、羽澤が経営する学校の卒業生であり、響との縁は鎮と同じく高校時代。
夷月をただの子供として扱ってくれる貴重な人間の一人で、誕生日や卒業式など、お祝いごとのたびにお祝いしてくれる第二の父のような人物だ。
そんな二人が訪れたのは不思議なことじゃない。勝正には二人もとてもお世話になっていた。とくに羽澤家の養子でもない慎司は後ろ盾になってもらっており、突然の訃報に慌てないはずもない。
葬式の準備を進めている両親を、手伝いにやってきたのだろうと夷月は察した。この状況で遊んでほしいというほど子供ではない。夷月の前に顔を見せてくれただけでも、十分気にかけてもらっている。
だから夷月は挨拶をしたらすぐに、響の元へ送り出そうと思っていた。一言、二言話せればいいと次に話す言葉を考えていたのだが、入ってきた二人は鎮の最初の一言を最後に固まっている。
なんなら、鎮の言葉すら中途半端に止まっていた。
夷月は首を傾げて二人を見て、二人の視線がある一点で止まっていることに気がついた。そこには未だにお腹を抑えて震えているトキアの姿がある。
気の所為ではない。二人の目はトキアの姿をしっかりとらえていた。
「えっ!? 兄さんが見えるの!?」
「うそだろ!? 夷月くん、トキア様が見えてるのか!?」
夷月の声を聞くやいなや、鎮が驚愕の反応を返してきた。完全に素の反応は、隙のない紳士然とした仕事上の顔とも、子供を見守る気のいいおじさんの顔とも違う。
慎司は目を見開いたまま固まっている。
驚きのあまり次の言葉が出てこない、奇妙な静寂の中、トキアはやっと顔を上げて固まる三人を順番に見渡した。
「そういえば言ってなかったね」
にっこり笑ったトキアに、夷月は思わずため息を付いた。我が兄は秘密ごとが多すぎる。




