2-9 お前、聞こえてないのか?
にこりと笑うトキアの姿に夷月の顔はひきつった。これはまずい。かつてないほどに怒っている。
ゆらゆらと重力に逆らって揺れる髪は、怒気をあらわすように広がっている。青い瞳は冷たそうな色に反して、火傷しそうなほどに煮えたぎっていた。無理やり笑顔の仮面に中身を押し込めたような、不自然な笑みを見て、夷月の体が震える。
「兄さん……」
言い訳の言葉を口にしようとして、慌てて口を閉じる。トキア一人だったら土下座でもしたところだが、ここには渡辺と太田がいる。突然なにもないところで土下座なんてはじめたら、頭がおかしくなったと思われるに違いない。
距離は離れているし、きっと聞こえていないはず。そう思い、何食わぬ顔で二人に向き直ったのだが、二人の顔は蒼白だった。太田はガタガタと震えている。
「いるのか?」
ふるえた声で太田が夷月に問いかける。視線が忙しなく動く。見えない何かを探すように、トキアがいる場所をいったり来たりと視線が動く。
その錯乱した様子から、太田に夷月にのつぶやきがバッチリ聞こえていたことがわかった。
トキアは眉を寄せ、太田の様子をうかがっている。一旦、怒りは保留にしたらしい。いまだピリピリとした刺すような空気は残っているが、先程に比べればマシだ。
このまま怒りを忘れてくれないかなと思いながら、夷月は太田に笑みを向けた。安心させようと笑いかけたのに、太田は失礼にも余計に怯え始めた。
「いるって何が?」
「誤魔化すなよ! 兄さんっていっただろ! お前にはなにか見えてるんだろ!」
太田は叫ぶ。なぜかは分からないが、太田はここにトキアがいることを確信しているようだった。
トキアは神妙な顔をして太田に近づく。今にも触れそうなほどに近づいて顔を覗き込むが、太田は反応しない。
トキアが見えているわけじゃない。気配を感じているわけでもない。それなのに、なぜか太田は怯えきっている。
「落ち着けよ。兄さんの幽霊でもいるって言うの? いるわけないだろ。幽霊なんて」
呆れた顔をしてみせると、トキアに同じ顔を返された。僕が見えるのに、僕の目の前でよくそれが言えたねという顔だが、この状況じゃ仕方ない。トキアだって分かっているだろうに、態度で告げてくるのは意地が悪い。
「太田くん、どうしたの? さっきからおかしいよ。魔女の森って呼ばれるだけで、魔女なんていないし。ただの森でしょ」
なにをそんなに怯えることがあるのかと問いかければ、太田は目を見開いた。それから信じられないという顔で、ワナワナと震えだす。
「お前、聞こえてないのか?」
その反応に夷月は首を傾げた。太田がいっていることがまるで分からない。その反応に、太田は後ずさった。力なく頭を左右に振る。それは現実を受け止めたくないという反応だった。
「可哀想に。敏感な子なんだね」
トキアが呟くのと同時、太田は叫ぶ。
「なんで聞こえないんだよ!! 森に入ってから、ずっと! 声が聞こえるだろ! 許さないって!」
興奮した様子で叫ぶ太田に夷月は眉を寄せた。意味がわからずに渡辺を見ると、渡辺は今にも倒れそうな顔でふるえている。
その反応を見て、太田の言葉は嘘でも錯乱でもなく、真実なのではないかと思い始めた。夷月にはまるで聞こえない声が、二人には聞こえているのだろうか。
「ここはおかしい! お前の家、本当に呪われてるんだ! なんでこんなところにいるのに、お前は平然としてるんだよ!」
太田は顔を歪めて叫ぶ。恐ろしい化け物でも見るような顔で夷月を見つめる。そんな太田をトキアは哀れみの目で見つめていた。
羽澤家には呪いに対する耐性がある。そうトキアは言っていた。普通の人間だったら死んでしまうような呪詛でも、羽澤の人間には通用しない。
だから呪われた土地でも生きていける。そういうことなのかと夷月は気がついた。
「もう嫌だ! こんなところ!!」
太田は夷月に背を向けて走り出す。渡辺は走り去る太田を見て、迷うように夷月を見て、最終的には太田を追っていった。
ガサガサと草木を掻き分ける音が遠ざかっていく。それを無言で夷月は見送った。
「振られちゃったねえ」
気づけばトキアが目の前にいた。にんまりと意地の悪い顔をしているが、青い瞳は相変わらずチリチリと燃えている。いい気味だと思っている様子に、舌打ちしそうになるが飲み込む。
トキアをこれ以上怒らせてはいけない。そう分かるほどには冷静だったし、トキアの怒気は消えていなかった。
「……兄さん、なんでこんなところにいるの」
「それはこっちのセリフなんだけど。なんで部外者を、よりにもよって森に入れてるの?」
トキアは笑顔で首を傾げる。さらりと長い髪が流れて、小さな唇が笑みの形を作る。だけど瞳だけはギラギラと夷月を射抜いていた。
返答によっては容赦しないぞという、本音が透けて見える。
「……勝手についてきたんだよ。兄さんが死んだ場所を調べるっていったら」
「部外者、しかも子どもに物騒な話聞いてるの。跡取り問題で子供が殺されたなんて話、噂話でも気分悪いだろうに」
トキアは呆れた顔で夷月を見た。たった一言で状況を察したらしい。超能力みたいな察しの良さだ。
「……兄さん、本当に刺されたの?」
夷月はトキアの顔をじっと見つめた。トキアは意外そうな顔をしてから、愉快そうに笑う。
「背中をグサっとね」
なんとも軽い口調だった。面白がってすらいる空気に、夷月は眉を寄せる。
「なんでそんな軽いの。刺された上に崖から突き落とされたんでしょ」
理解できないと顔をしかめる夷月を見て、トキアは驚いた様子で目を見開いた。
「崖から落とされた?」
「増水した川に突き落とされて、流されたって」
「なにそれ。なんでそんな噂が広まってるの」
トキアは心底驚いた様子でそういった。いつになく困惑した様子に夷月まで混乱してくる。
「渡辺がそう聞いたって」
「僕の死因はナイフで刺されたことによる失血死。川になんか落ちてない。川に落ちたっていうか、川に僕が落としたのはアキラの方だよ」
「えっ!?」
意味がわからず、目を見開いて固まった。トキアは真剣な顔をして宙を睨みつけている。嘘をついている様子はない。
「落ちたのはアキラ兄さん? 落としたのはトキア兄さん?」
「そう」
トキアは真剣な顔で頷いた。
「なんでそんなことに?」
「殺されそうになったのは僕じゃなくて、アキラだったからだよ。僕はアキラをかばって刺されたんだ」
前提がくつがえる話に夷月は固まった。
トキアが死んだから、周囲は跡取り問題で殺されたのだと考えた。だが、最初に狙われたのはトキアではなく、羽澤家の風習によって隠された双子の上。兄のアキラだとしたら……。
「なんで、アキラ兄さん狙われたの?」
崖から落とされて、どうやって生き延びたの? という疑問は飲み込んだ。気にはなるが、今は口に出して聞いた方が重要だった。
トキアは口角を上げる。見開かれた青い瞳は、真っ暗な井戸の底を覗き込んだみたいに、底知れなかった。
「響への嫌がらせだよ。僕が死んだら大事になるけど、羽澤の悪習で隠されたアキラなら、殺されたってみんな気にしない。最初からいないものとして扱われてるんだから」
「……だから、アキラ兄さんを川に突き落とした……」
そのままアキラが羽澤家に残っても、先はない。響はかばうだろうが、当時の響はまだ当主じゃなかった。アキラをかばうほどの力はなかったのだ。
だからトキアが死んだあと、響は当主になったのだ。護るためには力がいる。同じ年にトキアとアキラの母親も病死している。最愛の妻と息子を失った響は、もう失わないために力を得ようとしたのだ。
だが、そうなるとおかしい。
「なんで、流されたのがトキア兄さんになってるの?」
アキラの存在は秘匿されていた。夷月も知らなかったくらいだ。羽澤家の人間は双子の上を隔離、監禁していたことをずっと隠していた。
アキラは生きていると響に聞いたが、それで噂を聞いたこともない。羽澤家との繋がりがバレないように、情報操作されていることは間違いないのだ。
トキアが表面上は事故死で片付けられていることは、少し探ればすぐわかる。羽澤家はこの事実を特に隠していないからだ。
そうなると、川に流されたという噂はどこから来たのかと疑問に思うものはいるだろう。そんな人間がアキラと偶然出会ってしまったら、勘のいい人間は気づく。
崖で殺されたのはトキアで、川に落ちて流されたのはアキラだと。
子供の渡辺が知っていたくらいだ。大人の中ではかなり広がっていると見ていい。
だが、羽澤家ではこんな噂聞いたことがない。誰かが隠れて、意図的に流しているとしか思えない。隠された双子の上、その存在に気づいてほしいと言わんばかりだ。
思いついた考えにゾッとする。双子の事実が明るみになれば、羽澤家の地盤が傾く。それがわかっているのに、噂を流したやつな何を考えているか。それとも、羽澤家の失脚が目的なのだろうか。
「トキア兄さん……」
思ったよりも不安そうな声が出た。夷月と同じく考えをまとめていたらしいトキアが、夷月へと視線を向ける。その顔は真剣で、トキアも夷月と同じ結論に至ったのだと察せられた。
次の言葉を口にしようとした瞬間、甲高い音が響き渡る。音に反応してバサバサと鳥が飛び立つ音を聞きながら、夷月は何事だと目を白黒させた。
「ブレーキ音?」
眉間にシワを寄せたトキアの一言に、嫌な予感がした。




