2-8 楽しそうなことしてるね?
「羽澤ってなんで呪われたんだ?」
崖に向かって歩き始めて数分、変わらぬ景色と沈黙に耐えかねたようで、太田がしぶい声でそう聞いてきた。
聞きたくないが、聞かないのも怖いというような、絞り出したような声。夷月は足を止め、顔だけ振り返る。
太田は夷月を見ていない。足元に視線を向け、ただ怯えている。渡辺は不安そうな顔で太田と夷月の様子をうかがっていた。
「羽澤のご先祖様が、この森に入ったのが始まりって聞いたよ」
まさにこの場所が羽澤の長い歴史の始まり。それを知った太田はギョッとした。
「ここには魔女と呼ばれる存在が住んでいた。魔女は人間嫌いで、自分の庭に人が入るだけでも激怒するような、心のせまーい奴だったんだって」
「そんなこと言っていいのか?」
怯えた様子の太田に夷月は笑みを返した。
「ただの昔話だよ」
魔女なんていない。魔女が住んでいたと言われるお屋敷はたしかにあったが、そこには誰もいなかった。大人たちが何に怯えているのか、夷月にはわからない。
「羽澤のご先祖様は双子でね、ある日兄弟喧嘩をして弟がこの森に入った。当時から森に入ったら魔女に呪われると言われていたようだけど、ご先祖様は信じてなかった。ただ兄の方は信心深い方だったから、慌てるだろうっていう、ほんの冗談のつもりだったらしい」
だが、それが魔女を激怒させた。弟は信じないがゆえに迷いなく森の奥へ進み、ついには魔女が世話した美しい花を見つける。それを森に入った証明に兄へ持って帰ろう。そう思い、摘んでしまった。
「魔女は怒り狂った。人の庭に勝手に入っただけでは飽き足らず、花まで摘むとは。絶対に許さない。そういって、弟に呪いをかけようとした。そんな状況にかけつけたのは兄で、兄は呪うなら自分にしてくれと魔女に懇願した。魔女はその方が弟が苦しむだろうと兄に呪いをかけた。それから羽澤家に生まれる双子の上は、呪われて生まれてくるようになった」
夷月はそこまで語ると振り返る。黙って話を聞いていた二人の顔は、なんとも言えないものだった。
「これを羽澤の人間は真面目に信じてるんだ。バカみたいな話だろ」
夷月はそういうと失笑した。二人は顔をしかめたまま答えない。それに少し不満を覚えてが、仕方ないかと夷月は前に向き直った。
再び歩き出す。土で靴が汚れていく。森に入ったとバレると面倒だから、こっそり洗わなければいけない。面倒だなと夷月は思うが足は止めない。
「……なあ、双子の上はどうなるんだ?」
無言で歩き続けること数分、再び太田が口を開いた。夷月はどうしようかなと少し考えた。いくら夷月でも言ってはまずいことはわきまえている。
振り返ると渡辺の顔色は真っ白だった。どこまで真実に近いものかは知らないが、噂を聞いたことがあるのだろう。
「言っただろ。バカみたいな昔話だって。双子が生まれたところで、どうもしないよ。ちょっとジジババが顔をしかめるくらい」
冗談交じりに明るく言ったが、太田の顔色はまるでよくならなかった。青い顔のままぎゅっと拳を握りしめて、夷月と顔を合わせる。
「俺は羽澤家の人間に、双子なんて見たことない」
双子が生まれる確率は一パーセント。百人に一人らしい。
実を言うと羽澤家は双子が生まれやすい血筋だ。それが呪いの結果なのか、遺伝子によるものなのかは分からないが。
だというのに羽澤家には不自然なほどに双子がいない。双子の呪いがかかっているという噂はあるのに、肝心の双子が見つからない。
それは古い家にとっては暗黙の了解。太田が気づいたように、勘の良いものは気づく。付き合いが長くなれば長くなるほど、不自然さから目を逸らせなくなる。
だが、誰も口にはしない。羽澤家に楯突いてよいことはないなど、理由はいろいろあるだろうが、一番の理由は恐ろしいからだと夷月は思う。
夷月だって自分の家じゃなかったから、こんな不気味な家と関わりたいとは思わない。
夷月は冷めた目で太田を見つめた。思ったよりも勘が良かったらしいが、頭は悪い。知っていながら触れなかった渡辺は、先程以上に顔色を悪くしている。
今の太田は殺人犯に、あなたが犯人ですねと丸腰で言っているに等しい。ここは羽澤家の敷地で、人気のない森。太田と渡辺がここにいることは、きっと誰も知らない。口封じなんて簡単だ。
といっても、夷月はそこまでして羽澤家が双子に行っていた所業を隠そうとは思わない。夷月が生まれた頃には双子に対する差別は禁止されていたし、隔離施設だって取り壊された。
未だに年寄りはうるさいし、形見は狭そうだが、双子を見かけることはある。
正直、自分の兄が双子だと知るまでは自分には関係のない話だと思っていた。今だって、少しだけ興味が湧いただけで、基本的には関係ないと思っている。
知られたら終わりだという恐怖も、白日のもとに晒そうという正義感も夷月にはない。あるのはほんの少しの好奇心。
だから夷月はにこりと笑った。
「たまたまだよ」
そう言われてしまえば、証拠があるわけではない太田はなにもいえない。納得いかなさそうな顔で口をつぐんだ。
夷月はその様子をしばし眺めてから、二人に背を向けて歩き出す。記憶どおりであれば、目的にまではもうすぐだ。
無言で歩き出した夷月に、二人もまた無言でついてくる。様子をうかがえば、二人とも今にも倒れそうなほどに顔色が悪い。
大人しく帰ればいいのにと思ったが、帰り方がわからないのかもしれない。夷月にとっては庭のようなものだが、二人にとっては初めての場所。森の中は方向も分からなくなる。
帰り道がわからなくなった時点で、二人は夷月についてくる他ないのだ。少し可哀想にも思ったが、ついてきたのは二人なので夷月は遠慮なく足を進めた。
無言で歩きつづけると目的地にたどり着いた。木々の隙間から岩肌が見える。かすかに水の音も聞こえ、川が近いのだと察せられた。
夷月は迷うことなく木々の間を抜けていき、硬い岩肌を踏みしめる。あと一時間もすれば日が沈み始めるだろうが、まだ明るい。周囲をぐるりと見渡して、これといってなにもないことを確認すると眉を寄せた。
予想できたことである。森の中は一通り探検したのだ。特徴的なものがあれば覚えている。
情報なしかとがっかりしながら、夷月は崖へと近づいた。近づくにつれて水の音が大きくなる。下を覗き込もうとしたところで、焦った声が聞こえた。
「危ないよ!!」
渡辺の声だ。自殺でもするつもりだと思ったのだろうか。そんなわけないだろと夷月は呆れつつ、振り返る。
大丈夫という代わりに軽く手を降った。渡辺は心配そうな顔をしていたが、近づいては来ない。太田も落ち着かなさそうな顔で周囲を見渡すばかり。その顔色がさきほどよりも悪い気がする。
怖がりにもほどがあるだろと呆れながら、夷月は川をもう一度覗き込む。
高さは数メートルほど。ここから落ちたら助からないだろう。当時のトキアは八歳。刃物で刺したうえに突き落とすなんて、犯人はよほどトキアに死んでほしかったらしい。
そこまで恨まれることをしたのだろうかと考えて、していないと否定できないことに気づく。
トキアの性格がひねくれていることは短い付き合いでも十分にわかった。生前からあの言動で性格ならば、恨みの一つや二つ軽く買ってそうだ。そのうえ八歳にして次期当主と言われていたのなら、邪魔に感じていたものは多いだろう。
流れる川を見下ろして、この川に落ち、体をもみくちゃにされながら流されるのはどういう気持ちだったのだろうと考える。
雨で増水していたというし、流れはもっと早かっただろう。刺された傷口から血はどんどん抜けていく。失血が早かったのか、溺れ死んだのが早かったのか。はたまた流される途中で頭を何処かにぶつけたのか……。
想像して気が滅入ってきた。ため息を付いて川から目を離す。これ以上ここで川を見ていても、情報は得られそうになかった。
別の方向から調べるべきだろう。そう思って振り返った夷月は、
「楽しそうなことしてるね?」
ここにいるはずのない、にっこり笑うトキアの姿に固まった。




