2-7 やってるよ。悪魔信仰
羽澤家の敷地は歴史が長いだけあって、まあ広い。広大な敷地には本家と分家の家々が連なり、羽澤家の人間とその関係者が通う学校まで内蔵している。その中にはトキアが死んだ場所、森や川まで含まれているのだから、呆れるほどに広い。
そんな羽澤家に、隠し通路があることは意外と身内も知らない。
羽澤家には正門と裏門があり、正門には警備員が立っている。出入りは厳重にチェックされるので、許可なしで入ることは不可能とされている。
それに比べて裏門の警備は緩い。この裏門は羽澤家で運営する学校、御酒草学園に直通する構造になっている。主に使うのは将来性を期待され、入学を許された特待生。
羽澤の人間が使うことは滅多にないために、警備の人間すら立っていない。分かりやすい格差だが、学生証がないと入れない仕組み故に、今のところ不法侵入者はいないと聞いている。
そんな警備の手薄な裏門側に隠し通路はあった。羽澤の敷地内をぐるりと囲む白い塀。その一部が外れるようになっているのである。
それに夷月が気づいたのは偶然だった。幼い頃の夷月にとって、広すぎる羽澤の敷地は冒険するには十分だった。一人遊びが多かったこともあり、スケッチブックとクレヨンを持って羽澤家の敷地を探検して歩いた。
探検中に見つけた花や虫、地図を両親に見せながら、両親のいない間の出来事を話すのが何より楽しかった。
両親としても敷地の外に出るよりは、中で遊んでくれた方が安心だったのだろう。自分たちがいない間、夷月がなにをしているのか分かったのも嬉しかったらしく、偉い偉いと褒めてくれた。
そうして遊んでいるときに、偶然見つけたのがいくつかの隠し通路だ。ご先祖様の遊び心なのか、有事を想定してのものだったのかは分からないが、夷月の心をドキドキさせるには十分だった。
秘密基地にあこがれを抱く年齢だったこともあり、見つけた隠し通路や扉、部屋を夷月はありがたく使わせてもらっている。
学校帰りによったのはその中の一つ。敷地内にある森へと直接入れるものだ。
「なんでついてきてるの?」
そんな隠し扉の前に訪れた夷月は、呆れた顔で振り返った。少し離れた電柱の影に、渡辺と太田の姿がある。本人たちは必死に隠れているようだが、バレバレだ。
夷月とばっちり目があった二人は気まずげに視線をそらし、おずおずと電柱の影から出てきた。夷月の呆れきった視線を浴びながら、居心地悪そうに体を小さくして近づいてくる。
「現場を見に行くって言うから、気になって……」
近づいてきた渡辺は小さな声でそういった。勝手にあとをついてきたという罪悪感はあるようだが、好奇心には勝てなかったというところだろうか。それとも心配か。
ついこの間まで、存在自体をなかったことにしていた兄だ。そんな兄が死んだ場所を見たとしても、今更何も思わない。トキアが成仏しない原因以外には興味がないのだが、渡辺はそうは思わなかったらしい。
「太田くんはなんで?」
渡辺は生来の優しさからだろうと理解したが、太田がついてきた理由は分からない。太田と夷月は今日始めて話したのだ。太田は夷月に良い感情を持っているようには見えないし、心配ではないだろう。
太田は夷月に水を向けられると顔をしかめ、チラリと渡辺を見た。それだけで夷月は察しがついて、思わずため息をつきそうになる。
色恋沙汰は俺を巻き込まずに勝手にやってくれと思ったが、口に出したら面倒なことになりそうなので飲み込む。
「別についてきてもいいんだけど、知らないからね」
夷月がそういうと二人は目を丸くした。どういう意味だと問いかけてくる瞳を、夷月はじっと見つめた。
「羽澤家は血も土地も呪われている。羽澤の血を継いだ人間以外が入ると、呪われる」
これは羽澤家に代々伝わる話だ。実際、羽澤家に嫁入りした人間が体調を崩すことは少なくない。
奥に行けば行くほど呪いが濃いと言われており、呪いの中心地といわれる森周辺には本家の人間、それに近い血筋の者しか住んでいない。
羽澤家では常識と言える話だが、太田は冗談だと受け取ったようで鼻で笑った。
「そんな話、信じると思ってるのかよ」
「夷月くん、冗談だとしても笑えないよ」
渡辺も本気にしなかったらしく、めずらしく苦笑を浮かべている。
冗談でも嘘でもないんだけどなと夷月は思ったが、この手の話を真面目に説明したところで意味はない。本気になればなるほど、不信感を抱かせるだけだ。
だから夷月はそれ以上、何も言わなかった。それに間違いなく呪われるわけではない。毎年、御酒草学園に入学する特待生のように、なんの問題もなく過ごしている人間もいるのだ。
夷月は無言で塀に向かうと、塀の一部を押した。カチリと音がして塀が外れ、平均的な大人が身を屈めればぎりぎり通れるような穴ができる。背後で渡辺と太田が驚く気配がした。
「ここから入れるって誰にも言うなよ。誤魔化してもすぐバレるからな」
振り返った夷月は二人を見つめた。睨みつけたわけじゃない。それでも浮かべていた表情を消したせいか、二人は怯んでいた。怖気づいて帰るならそれで良かったのだが、負けん気を発揮したらしい太田が大声を出す。
「そんなことするわけないだろ!」
「うるさい」
一蹴して夷月は壁が外れて出来た隙間から、羽澤の敷地内に入る。慌てて二人が追ってくる気配がした。よせばいいのにと思ったが、一度忠告したので、これ以上言ってやる義理はない。
塀の向こうにあるのは森だ。塀の外からも木々は見えていたが、一面の森に渡辺と太田は目を見開く。続いて渡辺の顔色が悪くなった。
「ここって、まさか……」
「魔女の森」
夷月の短い答えに渡辺は息を呑む。太田は羽澤家の噂を具体的に知らないようで、渡辺の反応に眉を寄せていた。
「悪魔の次は魔女かよ。羽澤家って怪しい宗教でもやってんの」
「やってるよ。悪魔信仰」
さらりと答えると太田がギョッとした。冗談のつもりだったらしい。
「全員ってわけじゃないけど、一部熱心な親戚がいるんだよね。信仰し続ければ、羽澤を去った悪魔もいつか帰ってくるって信じてるんだ」
去ったものが帰ってくるはずがない。用がなくなったからいなくなったのだ。そもそも悪魔と呼ばれるようなものが帰ってくることをなぜ望むのか。夷月にはまるで理解できない思考だ。
羽澤で生まれ育った夷月ですら分からないのだから、部外者である二人にはさらに意味不明だったのだろう。二人の顔がひきつった。
「せっかくだし、見てく? 悪魔のお屋敷なら、森を出てすぐのところにあるよ。羽澤の人間は滅多に近づかないから、入ってもバレないし」
夷月が笑いかけると、二人は青顔で頭を左右に振った。そんなに怯える必要はない。ただの古い家だ。
みんな怖がって近づかないから、一人になりたいときに夷月は勝手に上がり込んでいる。それで怖い目にあったことはないし、悪魔と呼ばれる存在に会ったこともない。
ただの広いだけの家なのに。
「みんな、なんで怯えるんだろうな」
意味がわからないと首を傾げ、夷月は歩き出す。トキアが落ちたと言われる崖には覚えがある。森にも入っては行けないと言われているが、言いつけを大人しく守る夷月ではない。とっくの昔に探検済みで、どこに何があるかは、ある程度把握している。
迷いなく進む夷月に、渡辺と太田は慌てた様子でついてきた。チラリと様子をうかがえば、落ち着かない様子で周囲をこわごわと見渡している。
何の変哲もない、ただの森だ。まだ明るいために木漏れ日が差し込み、幻想的な雰囲気すらある。恐ろしい存在も、寒々しい雰囲気も何一つないというのに、二人はお化け屋敷にでも来たように怯えていた。
それは、森のことを語る羽澤の人間とそっくりで、夷月は眉を寄せる。まったくもって意味がわからない。
ふいにトキアが、呪いは思いの強さが重要だと言っていたことを思い出す。
夷月は森に何も感じない。羽澤家が呪われた血筋だと言われてもピンとこない。だが森に怯える親戚の年寄や、今怯えている渡辺と太田には違って見えるのかもしれない。
形のない不確かなものの存在を、一度でも信じてしまった人間は、信じた存在を完全に否定することが出来るのだろうか。
形がなく見えないからこそ、存在しないと否定出来ず怯え続ける。それが呪いの原理なのかもしれない。
では、呪いはどうやって解くのだろう。
「本当に解けたのか?」
呪いを解くために死んだというトキアの顔を思い出しながら、夷月は顔をしかめた。
浮かんだ疑問に答えを返してくれる存在は、今どこにいるかも分からない。




