No.4 判明
終末世界で少女とロボットは、過去の記憶を辿る。
しばらく沈黙が流れた。
少女もマイルズも何も言わず、ただ静かに病室をあとにした。
廊下には、日差しが落ちている。天井の一部が崩れ、そこから差し込む光が埃を黄金色に染めていた。
2人はゆっくりと歩きながら、病院の中を探索した。
所々に残るベッドの枠、倒れた点滴スタンド、薄れて読めなくなったフロアマップ。
どれも崩れて錆びついていたが、それでも確かにここがかつて「人が生きていた場所」であることを物語っていた。
やがて、ふたりは元いた受付のスペースへと戻ってきた。
少女が何気なくその脇に置かれた長椅子へと視線を向けたとき——
「ポータルの二つ目の記録開始地点です。映像を再生します」
突然、マイルズが機械的に言った。
「え……?」と少女が言い終える前に、マイルズの頭頂部から光がふたたび放たれた。
光が周囲に広がり、やがてそこに、再び立体映像が浮かび上がった。
ざわざわとした人の声が聞こえる。
記憶の中の受付ロビー。長椅子には、あの夫婦と赤ん坊が座っていた。
母親は赤ん坊をやさしくあやしている。
「……また撮ってるの?」
少し呆れたような口調で母親が言うと、夫は照れ笑いを浮かべる。
「だって……未来が可愛くて、つい」
母親は微笑んで、赤ん坊の頬に指を滑らせる。
「……もうすぐね」
その言葉に、夫は静かにうなずき、少し目を伏せながらも笑っている。
「……最後の日、何する?」
母親がぽつりと聞いた。
だけど、その声は不思議と暗くなかった。明るさすら滲ませていた。
「病院を抜け出して……3人で遊園地にでも行こうか?」
「なにそれ」と母親は笑った。
「いいわね。いっそ海外にでも行っちゃう?」
「はは、だったら……ベネチアなんてどうだ? 君、前から行きたがってたじゃないか」
2人は笑い合う。
赤ん坊の小さな手が空を掴むように動き、母親の指を握った。
そして、母親が少し真面目な表情で言う。
「……でも、やっぱ、この病院で。3人で過ごしましょう」
夫は目を細めて、うなずいた。
「……そうだな」
——そこで、映像はふっと途切れた。
光が消え、また、現実の静かな病院に戻る。
苔に覆われた長椅子、倒れた看板、ひと気のない受付ロビー。
少女は、映像が消えてしばらくしてから、ぽつりと呟いた。
「……すてきな家族だね」
その声には、羨望とも、憧れとも、そしてどこか寂しさともつかないものが混じっていた。
「ポータルの映像は、これで終わり?」
少女が問いかけると、マイルズは答えた。
「あと一件、記録されているデータがあります」
「……じゃあ、それ見ていこうか。そこまで案内してくれる?」
マイルズは何も言わなかった。
ただ静かに振り返り、また歩き出した。
病院を出ると、外の光が急に眩しく感じられた。
空はどこまでも澄み、しかし無音で、風の音だけが瓦礫の間を通り抜けていく。
2人は無言のまま、来た道をゆっくりと引き返した。
「……こっちなの?」
少女が問うと、マイルズは答えない。ただ淡々と、道を進んでいく。
やがて、1つの角に差しかかったとき——
マイルズが足を止めた。
そこは、最初にポータルを拾った場所のすぐ近くだった。
「三つ目の記録開始地点です。映像を再生します」
マイルズの頭頂部から、また静かに光が放たれた。
そこに現れたのは——
さきほどの夫の姿だった。
しかし、彼はもう若くはなかった。
髪は薄くなり、肌には深い皺。背中も少し曲がっていた。
「あ……間違えて、記録開始のボタン……押しちゃった」
その声には、疲労と哀しみが滲んでいた。
冗談めいた言葉の裏に、張り詰めた空気があった。
夫は、ゆっくりと歩き出す。
それに合わせて、マイルズの映像も、自然と前へと進んだ。
少女も、ついていく。
彼女は、何かを考えるように眉を寄せながら、無言でその背中を見つめていた。
「……もう、どうでもいい……ガスも……大量に吸ってしまったし……」
夫は自分の腕を見下ろし、無気力な声で呟く。
「……何より……未来……愛莉……
なんで……なんで僕だけが……」
その言葉の先に、溢れたものは言葉ではなかった。
目元を濡らす涙が、頬を伝って落ちていく。
彼は歩みを止めると、手に持っていたポータルを——
マイルズと少女が「拾った」あのポータルを、ゆっくりと見る。
そして、声を押し殺すように呟いた。
「……もう、これを見るの……やめよう。……辛い……」
そう言って、夫はそのポータルを、ぽとりと足元に投げ捨てた。
投げたというにはあまりに力の抜けた動きだった。
マイルズは、その地点で立ち止まった。
映像の中の夫は、俯きながら歩き出す。
「……未来……」
かすかにその名前を呼んだが、もう声は弱々しく、かき消されるようだった。
彼の姿は、映像の端へと向かって……フェードアウトしていった。
残されたのは、灰と瓦礫と、重たい沈黙。
少女は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……私、この人……知ってるかも」
その声は、自分でも確信が持てない、しかし確かに心の奥に引っかかった感覚だった。
——しかし、映像はまだ終わっていなかった。
「……動的反応がある地点まで、映像をスキップします」
マイルズの声とともに、映像が一度フェードし、再び光が灯った。
そこには、再びあの夫の姿があった。
だが今度は、完全に老人となっていた。
白く長い髭をたくわえ、ゆっくりと、逆方向から歩いてくる。
マイルズが、それに合わせてまた進み出す。
少女も一歩を踏み出し、映像の中の人物をまじまじと見つめた。
少女は、確信を込めて言った。
「……やっぱり。おじいちゃんだ。
さっきまで……一緒に暮らしてた…」
読んでいただき、ありがとうございます。評価やブックマーク、感想等をいただけると励みになります。1日1話更新を目指しています。気分でもっと高い頻度で更新するかも。