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終末配達ロボット、君の町へ  作者: 非常口
case.1 オジイチャン
4/12

No.3 記憶

終末世界で少女とロボットは、記憶の片隅を覗く。

 病院に着いた。


 そこは、他の崩れたビルとはどこか違っていた。

 骨組みは歪み、壁は剥がれ、窓はすべて割れているのに——どこか静かで、美しかった。


 建物全体を、緑色の苔が覆っていた。

 ただの湿気による腐食ではない。時間をかけて、何かが根を張り、そしてこの場所を包み込んでいったような、そんな静けさ。


 破れた天井の隙間から、昼の光が斜めに差し込んでいる。

 光は苔の緑を透かして柔らかく広がり、地面にかすかな蒸気のような揺らぎをつくっていた。

 埃はすでに沈み、風も音もなかった。ただ、光と緑と、ふたりの足音だけがあった。


 少女は、ぽつりとつぶやく。


「……きれいだね」


 その声には、ほんの少し戸惑いと、ほんの少しだけ救われるような感情が混ざっていた。


 開けた空間の奥、崩れた壁と瓦礫の隙間に、ぽつんと残った“ドア”のようなものがあった。

 ドアというより、かつては自動扉だったような金属の枠が、歪みながらも立っている。


 マイルズは躊躇なくその方へ向かう。

 少女も、そのあとをゆっくりとついていった。


 ふたりがそこをくぐると、急に空気が変わった。

 その先は、病院の受付らしき空間だった。


 天井は半分落ちかけていたが、壁には案内板がかろうじて残っている。

 「初診受付」や「会計」といった文字が、朽ちたプラスチックにかすかに読み取れる。


 カウンターの向こうには、誰もいない。

 だが、そこにあった椅子や書類棚、端末の残骸たちが、「ここに誰かがいた」ことを静かに語っていた。


 光が差し込み、埃がその中を泳ぐように漂っていた。


 マイルズは受付の中央まで歩くと、ふと立ち止まり、ゆっくりと右手を上げた。


 そして、目の前の空間に向かって、言った。


「記録地点に到達。記憶集積ポータルの3Dビジョン、再生を開始します」

 

 マイルズの頭頂部が、ふいに淡く光を放った。

 光は輪のように周囲へ広がり、空気がほんの少しだけ震えた気がした——次の瞬間。


 そこに、光の中から人々の姿が浮かび上がった。


 まるで霧の中から立ち現れるように、半透明の像が次々と形をなしていく。

 受付カウンターの向こう、壁際のベンチ、入口の前、どこもかしこも、人で溢れていた。


 スーツ姿の男、子どもを抱いた女性、車椅子に座る老人、看護師らしき人物。

 その全員が、何かを話し、動き、時に笑い、時に怒鳴り、まさに“生きていた”。


 ——だが、それらはすべて光の映像だった。

 実体はなく、音だけが周囲にざわめきを残していた。


 少女は、しばし立ち尽くしていた。

 目を見開き、まばたきもせず、映像の中の世界を見つめている。


「……すごい」


 ぽつりと、声がもれた。

 すぐに、もう一度。


「人で……いっぱいね」


 彼女の声には、驚きと懐かしさ、そして少しの寂しさが混ざっていた。

 世界にこんなにたくさん人がいたなんて、というような——そんな響きだった。


 マイルズは、静かに答える。


「ポータルに登録された人物の記憶です。

 記録が開始された場所は、この先の病室と思われます」


 少女はそれを聞いても、すぐには動かなかった。

 ただ、しばらくの間、映像を見ていた。

 立体映像の中の人々が、通り過ぎ、誰かに声をかけ、笑い、手を振っていた。


 そのすべてが、過去の記録。

 けれど、少女にとっては、それが「本当にあったこと」のように思えた。


 やがて、ゆっくりと顔を上げると、小さく言った。


「……じゃあ、行こうか」


 まるで、次の記憶に会いに行くように。


 マイルズは無言でうなずくと、少女の先に立って歩き出した。

 映像の人々の間をすり抜けながら、かつて病室だった場所へと向かっていく。


 少女もまた、そのあとを、静かに歩いていった。


 長い廊下の先、かつて「〇〇号室」と呼ばれていたであろうプレートの外れた扉の向こうに、ひときわ明るい光が満ちていた。


 そこは、病室だった。


 しかし、今そこにあったのは、現実の病室の廃墟ではなく——

 立体映像に映し出された「かつての病室の記憶」だった。


 光の粒でできた空間の中、ベッドに横たわるひとりの妊婦がいた。

 彼女の顔には汗がにじみ、息は浅く早い。

 看護師たちが数人、その周囲に集まって声をかけ、慌ただしく動いている。


 「いきんで! 大丈夫よ、もうすぐ!」


 ——その声は、記憶の中の声。

 けれど、少女の耳にはまるで現実のことのように、はっきりと聞こえた。


 妊婦のそばには、ひとりの男性がいた。

 彼はおそらく夫で、妊婦の手を強く握っていた。

 心配そうな顔、それでも不安を押し殺して彼女に言葉をかける。


 「大丈夫……きっと、うまくいくから……」


 光でできた人々が、まるで幽霊のように、しかし確かにそこに存在している。


 マイルズが静かに言った。


「記録開始地点に到達。

 この人物が、ポータルの登録人物です」


 少女は、その声にうなずくこともなく、ただじっと映像を見つめていた。


 彼女の肩が、わずかに震えていた。

 その理由が、感情なのか、緊張なのか、自分でもわかっていないようだった。


 ——まるでそこに、“自分”がいるのではないか。


 そんな錯覚すら覚えるほどに、映像はあまりにも鮮やかだった。


 少女は息を呑み、静かに、その命の瞬間を見守っていた。


  そして、ついに、その瞬間が来た。


 妊婦の苦しそうなうめき声と、看護師たちの指示が重なる中、

 小さな命が、産声を上げた。


 「おぎゃあっ……おぎゃああっ……!」


 その泣き声は、立体映像で再生された記憶の中のものであるはずなのに、

 まるで今この部屋で、本当に赤ん坊が生まれたかのように、鮮烈だった。


 少女は、思わず声を漏らした。


「……やった……」


 それは誰に向けた言葉でもなく、ただこの瞬間に、心が動いた証のようだった。


 映像の中で、夫が赤ん坊を見つめながら、呟く。


「……よかった……よかったよ……。

 ずっと、ずっと迷ってた……

 だけど、この世界の最後に……奇跡が……」


 そこまで言ったところで、彼の声は途切れた。

 涙が溢れ、嗚咽がそれ以上の言葉を奪っていく。

 顔を覆いながら、彼は泣いた。


 母親もまた、息を切らしながらも、満足げな微笑を浮かべていた。


「……やった……これでもう、悔いはない……」


 看護師が、そっと赤ん坊を抱き上げて彼女に見せる。


「男の子ですよ」


 母親は、その顔を見つめ、優しくつぶやいた。


「……名前……やっぱり、“未来”にした」


 その言葉に、夫はうなずく。


「……そうだな。願わくば、この世界の終わりを……超えて、未来を見てほしいな」


 そして彼は、懐から何かを取り出した。

 それは、マイルズが数時間前に拾った、あのポータルだった。


「実は……立体映像で、記録してたんだ」


 母親は、疲れた顔に、微笑みを浮かべる。


「……いいわね。あとでたくさん見ましょう。3人で、ずっと」


 「……ああ、そうだな」


 夫はゆっくりとポータルのスイッチを押した。


 ——そこで、映像は静かに途切れた。


 立体映像の光がふっと消えると、

 さっきまで命の誕生を描いていた病室は、

 苔と崩れた壁に包まれた、ただの静かな空間へと戻った。


 世界が、また現実に戻る。


 少女は、しばらく黙っていたが、ふと口を開いた。


「……赤ちゃん、無事に生まれて……よかったね」


 その声は、小さくて、優しかった。


 そしてもう一度、言う。


「……“未来”って名前……

 なんか……どっかで、聞いたことある……ような……」



読んでいただき、ありがとうございます。評価やブックマーク、感想等をいただけると励みになります。1日1話更新を目指しています。気分でもっと高い頻度で更新するかも。


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