No.1 少女
終末世界で、少女への届け物を忘れてしまったロボット。
昼刻の明るい日差しが、鮮やかに荒廃したビルを照らす。
ひび割れたコンクリートの壁、窓ガラスの欠片、錆びた鉄骨の骨組み。すべてが色あせ、しかしその中に射し込む光だけが、まるで昨日のように瑞々しく生きている。
その光の中で、ロボットと少女は向かい合っていた。
少女の唇が、ふと動く。
「……荷物、どこにあるの?」
少女はそう言って、ロボットの背後をのぞき込むように身体を傾ける。
配送ロボットと名乗ったくせに、背中のコンテナは空だった。
ロボットはしばし無言のまま、かすかに視線を落とす。青白い目が瞬きをするように点滅した。
「……記憶回路を確認中。……欠損を確認」
乾いた、無機質な声。
それは告白ではなく、事実の通知だった。
少女の眉が少し寄る。
風が吹いて、髪が揺れた。
「……忘れちゃったの?」
その言葉は、少し哀しくて、少し呆れていて、でもどこか優しさも混ざっていた。
ロボットは、一瞬だけ反応に迷ったように目を瞬かせ、そしていつもの調子で静かに答えた。
「申し訳ありません。記録の一部が欠損しています。……お届け物の内容も、喪失されました」
風が止む。
太陽だけが、黙って二人を照らしていた。
「覚えてないの? じゃあ、しょうがないね」
少女は肩をすくめ、小さく笑った。
まるで、天気が急に崩れたのを気にしないような、そんな笑い方だった。
「うち、来る?」
ロボットは応えなかった。ただ、ゆっくりと少女のあとをついていく。
彼にとって“家”の概念は存在しない。だが、少女の言葉には命令ではない“なにか”があったのか、彼は歩き出した。
⸻
道など、なかった。
少女は瓦礫の上を踏みしめ、鉄骨の間をすり抜け、折れた高速道路の下をくぐり抜けて進んでいく。
崩れた柱、潰れた車、骨のような木々。
それらを前にしても、少女の足取りは軽い。まるでこの世界の歩き方を、すでに知っているかのようだった。
ロボットはそのすぐあとを、黙ってついていった。機械の足は重く、音を立てたが、少女は気にした様子もなく先を歩いた。
しばらくして、少女は立ち止まり、振り返る。
「着いたよ」
そこは、かつて高層ビル群だった場所の一角。
おそらく100メートル以上あったであろう巨大なビルが、隣の建物にもたれかかるように崩れ、影を作っていた。その巨大な壁は、かろうじて“屋根”のような役割を果たしていたが、左右も背面も吹きさらしで、もはや「部屋」と呼べるものではなかった。
だが、そこには確かに、“暮らしの痕跡”があった。
瓦礫の隙間に作られた火の跡。燃え尽きた薪と、灰がかすかに残っている。
鉄線に吊られた、ハンモック状のブランケット。粗末だが、誰かが寝ていた形跡があった。
そして、その近くに。
静かに横たわる、ひとりの老人の亡骸。
目を閉じている。苦しんだ様子はない。
だが、手は少女の方へと伸ばしかけたまま止まっていて、その姿が、何かを語りかけてくるようだった。
少女は、少しだけその亡骸のほうに目をやり、そして何も言わず、ただロボットの方へ向き直った。
「ここ、私の“うち”。……変でしょ」
そう言って笑ったその目の奥には、笑っていないものが、あった。
「少し前に会って、一緒に暮らしてたおじいちゃん……さっき、死んじゃった」
少女はそう言って、焚き火の跡のそばにしゃがみこむ。
声は落ち着いていたが、寂しさは確かにそこにあった。
ロボットは、老人の遺体へと一歩近づく。
眼部のセンサーが淡く光り、額から発せられたごく細いレーザーのような線が、亡骸の全身をなぞる。
「生体反応が確認できません」
ロボットは、変わらぬ機械の声でそう言った。
「……知ってる」
少女は呟くように答えた。
風が、やや強く吹く。髪が揺れ、ブランケットがはためいた。だが少女は、微動だにしなかった。
やがて、少女は顔を上げ、ロボットをまっすぐ見た。
「それより、あなたはどうするの? 荷物、忘れてきちゃったんでしょ?」
ロボットは間を置いて応える。
「発送所に帰還します。ルートを検索中……」
頭部のセンサーが再び光るが、すぐに淡く点滅を繰り返す。
「地形データが損傷しています。復元不能区域多数。帰還経路の特定は困難です」
「……帰れないの。まいご?」
少女は首をかしげる。
その表情は、寂しさとも好奇心ともつかない曖昧なものだった。
「じゃあさ、私が一緒に探してあげようか? あなたのお届け物」
少女は立ち上がり、亡骸に最後の一瞥をくれた後、真っ直ぐにロボットを見つめた。
「おじいちゃん、死んじゃったから。もうここにいる意味もないし」
ロボットは、わずかに頭部を動かす。
「周囲を散策し、地形データを修復します」
それは「了承」を意味していたのか。
少女は小さくうなずくと、また笑った。
さっきよりも、ほんの少しだけ本物の笑みだった。
「じゃあ、行こうか」
そう言って、彼女は一歩、瓦礫の向こうへ踏み出した。
ロボットも、それに続く。
夕焼けの前の光が、斜めに射していた。
まるで、ふたりの進む道をそっと照らすように。
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