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第二幕 異世界転移ってこんなだっけ? ②

〈理樹視点〉


 異世界への〈(ゲート)〉を潜ると、そこは『何もない空間』だった。


 色も、質感も、温度も。


 何もない、虚無の空間。


 光の闇。


 境界の喪失した世界。


 自分が溶けていくような。


 そもそも自分とはいったい、どのような存在だったのか。


 全てが曖昧で、不定形で、どこまでも広がっていくような、自分が自分でなくなってしまうような感覚。


 そのように曖昧模糊とした空間の只中に置かれた青年が、自我を崩壊させなかったのは、一重に、肉体を失った自分に寄り添ってくれる、もうひとりの存在のおかげであった。


【……大丈夫ですよ、理樹。落ち着いて、私という存在を感じてください】


(……う……あ、あ……?)


【貴方はいま、無垢なる魂だけの状態、いわば母親に抱かれた赤子のようなものです】


(……あ……ああ……い……う、うう……)


【そうですね。いっそのこと、オギャりますか? すっきりしますよ?】


(……ありがとうアンジェ。一気に落ち着いたよ)


 もし顔があれば、その表情は『……スン』としていただろう。


 内なる天使の機転で、なんとか自我を安定させた理樹が、心の声でお礼を告げていると……


「……へいへーい。お二人さん、いつまでもイチャついてないでこっちこっち〜」


 見計らっていたかのように。


 何もない空間に、声が響いた。


 ふと気づけば、いつからそこに存在していたのか、じつに一年ぶりとなる、軽薄な笑みを浮かべた道化男の姿がある。


(……えっと……たしか、ロキジル?)


「何そのちょっと身体に良さそうな青汁の親戚。じゃなくてロキシル。ボクの名前はロキシルだよ。キミがこれから転移する世界の神様なんだから、もっと敬ってよ。っていうか敬え!」


【五月蝿いですよ下級神。というよりこれは、一体どういうつもりですか?】


「それはこっちのセリフだよ。キミのほうこそ一体全体、どういう了見なんだい? 今回ボクが支払った対価は、人間の魂ひとりぶん。天使ちゃんのぶんは身に覚えがないんだけど?」


【見ての通り、今の私は理樹の魂の一部です。二人でひとつの魂であれば、用意された『ひとりぶん』の〈(ゲート)〉でも、十分転移が可能なはずですが?】


「いやいや、そういう問題じゃないんだよね? こっちにも色々とさあ、準備っていうものが――」


【――であれば先ほどの問いかけに戻りますが、これは一体、どういう状況なのですか? 何故、異世界『転生』ではなく『転移』であるはずの理樹の肉体が、消失しているのです? それにこの空間には我らが(あるじ)の威光も、同僚たちの気配も感じられませんし、そもそもなぜ下級とはいえ神である貴方が、わざわざ人間の魂を出迎えにやってきたのです? それともそれが全て、貴方の仰る『準備』なのですか?】


(……?)


 魂だけとなった理樹が、

 思考を挟む間すらなく。


 畳み掛けるような天使の質問を前にして、道化男の浮かべる軽薄な笑みが、ヒクッと歪んだ。


「……あれえ? あれあれえ? どしたの天使ちゃん、なんか攻撃的じゃなーい? っていうかなんか、邪推してなーい? ボクはただ、今回の案件はボクが持ち込んだものなんだから、せめてこれ以上は上級神様に手間暇をかけないようにって、気を利かせたつもりだったんだけど、それをそんなふうに勘ぐるのはちょっと酷くなーい?」


【であれば私の『権能』化ぐらい、許容しなさい。少なくともこちらは(あるじ)の承認を得ているのですよ? 私がこうして『権能』化していることが、何よりの証左です】


「いやあでも、こっちにも予定とか都合があるっていうかさあ――」


【――なるほど、でしたら一度、仕切り直しましょうか。そのほうがこちらとしても色々と『確認』できて、都合がいいですし】


「……」


(……???)


 この場で唯一状況を飲み込めていない青年が、魂だけで疑問を抱いていると。


「……ん、おっけーおっけー、オールオッケー。ノープロブレム」


 パンパン、と。


 強引に空気を切り替えるように、

 道化男が手を叩いた。


「なーんかすれ違ってる気もするけど、まあ時間も押してることだし、サクサク進めちゃおっか。それじゃあ理樹くん、こっち来て。ボクの世界に案内するよ」


【……理樹。今ならまだ、引き返せますよ。この状況は、限りなく黒に近いグレーです。あの下級神は信用できません】


(……正直、僕には何が何やらさっぱりなんだけど、もしかしてアンジェはこの状況を予想してたから、強引に僕の『権能』になってくれたわけ?)


【……否定は、しません】


(そっか。ありがと。でもだったら尚更、僕が考えていることもお見通しだよね?)


 ここまでの流れで、あの異世界神(自称)が信用ならない相手なのだとは、十二分に察せられた。


 とはいえ。


 だとしても。


(仮に……この場から、無事に僕たちが元の世界に戻ったとして、それを契約の不履行だとアイツが訴えたら、僕たちの契約ってどうなるの?)


 元の世界を管理する神から理樹に与えられた『願いを叶える権利』とは、異世界神との契約があってのもの。


 如何なる理由であれそれを蔑ろにすることは、前提条件の崩壊であり、翻っては理樹に与えられた空前絶後の希望を、自ら放棄してしまう可能性を孕んでいた。


(アイツがゴネて契約を白紙に戻した場合、神様の奇跡で回復した莉子ちゃんは、どうなるの? 健康なままでいられるの?)


【……はっきり申し上げて、理樹が懸念している事態に至る可能性は、十分に有り得ます。そしてその場合、主の恩寵から離れた因果の糸はあるべき場所へと紡がれ、莉子の状態は、以前のそれへと戻ってしまうでしょう】


(ん。だったら、『仕方がない』よね)


 たとえ罠だと分かっていても。


 悪意が待ち構えていても。


 妹のためなら兄が、

 退くという選択肢はない。


「もしもし、お二人さあ〜ん? 失礼な無駄話はそろそろいいかな〜? 行っちゃうよ〜? 〈(ゲート)〉が閉じちゃうよ〜?」


【……っ! あの、道化神め……っ!】


(いいからいいから、さっさと行こう。それにきっと、大丈夫だよ。何があっても、なんとかなるって)


 そう、言い切って。


 ごく自然に。


 理樹は魂の片割れを引き寄せた。


(僕にはキミが憑いてくれてる。だから何があっても乗り越えられる。違うかい?)


【……ええ。その通り、その通りです。何を今更、そのようなことを確認しているのですか? それは朝日が世界を照らし、闇夜が傷口を包み込み、赤子が親を愛し、親が我が子を愛おしむ程度の、至極当然な摂理ではないですか】


(だよね。知ってた)


 じゃあ行こうと、理樹は手を伸ばした。

 

 はいと、今度は迷わずに、アンジェはその手を掴んだ。


【理樹……貴方のことは、(あるじ)と守護天使の御名にかけて、必ず守り抜きます】


 だから安心してくださいね、莉子……と。


 漏らされた呟きが、

 何もない空間に溶けて消えた。


【作者の呟き】


 次回ストレスが溜まる内容なので、耐性がない読者様は【作者の呟き】だけを確認してくださいませ。

 

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