第九幕 ようこそ、新世界へ ⑧
〈アンジェ視点〉
(……っ! やはりそうきましたか、ゴミクズ無能神っ!)
リキエルの懇願に対して、告げられたロキシルの言葉を、聡明なる〈守護天使〉は半ば予想していた。
忌々しげに美貌を歪めると、状況についていけないニーズが慌てふためく。
「ど、どういうことじゃ、アンジェ? この悪神はいったい、何を言うておるのじゃ!? 主様がそのような真似、するはずが――」
「――ちょっと黙ってて、ニーズ」
主人の身を想う魔王の訴えを、常にはない、硬質な声音が拒絶した。
未だに頬を濡らす青年の瞳には、何度もアンジェが目の当たりにしてきた、不動の覚悟が宿っている。
「ねえ、ロキシル様、それは本当ですか? 本当に僕がこの世界を滅ぼせば、貴方は莉子ちゃんの魂を、救ってくださるのですか?」
「確約はできないねえ。ろくに現世へ干渉することができない今のボクにできるのは、せいぜいが妹ちゃんの魂をキミの前世から引き取って、こっちの世界に転生させることくらいさ」
「……っ! だ、だったら、是非とも――」
「――でもそれだって、タダじゃない」
そうしたリキエルの懸命な想いを、ロキシルは、心底愉快そうに弄ぶ。
「キミのときもそうだったけど、異世界間で魂を遣り取りする時は、管理神たちの間で守らなきゃいけない取り決めがあるんだ。そのひとつに信仰心の譲渡……キミたちの概念で言えば金銭の遣り取りがそれに近いのかな? まあそういう対価が必要で、ボクの懐は今すっからかんだから、せめてそれをキミに貯めて欲しいっていうのは、そんなにおかしな理屈じゃないだろ?」
だから――そのために。
人を殺し。
国を壊して。
世界を滅ぼすことで。
自らの生み出した技術に耽溺する人間に、
抗うことのできない絶望を与えて。
愚かなる人族が忘れてしまった、信仰心を呼び起こさせろと、この世界を管理する神はリキエルに囁いた。
「そうしてキミがボクへの信仰心を稼いでくれれば、このさい交渉代は出血大サービスだ! あちらの世界から妹ちゃんの魂を引き取って、この世界に転生させてあげようじゃないか! もちろん前世の記憶を引き継いだ状態でね? その代わりにキミは早急に、人間どもに絶望を与えておくれよ? 神だって、時間は無限じゃないんだ。でも幸いにして今のキミたちには、ちょうどいい『エサ』が目の前にぶら下がってるんだから、迷う必要はないよね?」
知恵の実を齧れと。
唆す、毒蛇のように。
青年に選択を迫る邪神の目論見を、アンジェは正確に見抜いている。
(……ゴミクズ無能神のくせに、二枚舌と、悪知恵ばかりはよく回りますね! 最初からそれが狙いだったくせにっ!)
この世界に莉子を導くために。
ロキシルが彼女の魂を、リキエルの前世の管理神から託されたところまでは、本当に偶然だったのだろう。
しかしそこから、先ほどのように莉子の末路を開示して。
今はこうして妹の救命へと思考を誘導しているのは、間違いなく、邪神独自の企みである。
(そのようなことは、莉子も、我が主も、望んではいません……っ!)
だが……そうとわかっていても。
きっとリキエルは、ロキシルの誘惑に抗えない。
それほどでに彼にとって、妹の存在が大きいことを、誰よりも深くアンジェは理解していた。
だからこそ。
「……わかったよ、ロキシル様。もうそれしか、手段がないっていうのなら、僕は――」
「――待ってください、リキエル」
すでに決意を固めている青年を前にして。
それを覆すことはできないとわかっていてなお、アンジェは彼の言葉を押し留めた。
「……アンジェ。でも僕は――」
やはり拒絶の言葉を続けようとするリキエルを、先んじた天使の発言が押し留める。
「――ええ、わかっています。わかっていますとも。正直に申せば私も貴方と同じ気持ちですし、一度そうと決めた以上は、貴方の意思が揺らがないことも理解しております。それを分かったうえで、この交渉を、私に預けてはくださいませんか?」
「おいおい天使ちゃんさあ、それは流石に、無粋ってもんじゃないかい?」
納得いかないのは、交渉を遮られた邪神だ。
青年と違い、神々の規約に精通している天使に出しゃばられては困ると、容易に読み取れてしまう。
無論、構うことなくアンジェは反論した。
「何故ですか? 交渉が私に引き継がれて、何か困ることでも?」
「い、いやべつに、そんなことはないけどさあ……でもこれは、リッキーの個人的な家族のハナシじゃん! 愛人だかなんだか知らないけど、兄弟のそういうデリケートなハナシに部外者が口を突っ込むのは、人じゃない神様でもどうかと思うよっ!?」
「ならば尚更です。莉子は私の、義妹なのですから!」
「……っ!」
それは紛れもない、アンジェの本心だった。
だからこそ、リキエルの心に届いたのだろう。
絶句していた青年は、少し遅れて、ようやくその表情から強張りを解いた。
「……ははっ。ああ、そうだよね。そうだったよね。いやその通りだ!」
「……ぬう、主様よ」
リキエルの緊張が和らいだことで。
ようやくニーズも、口を挟んでくる。
「無知な妾に詳細などわからぬが、それでも妾も、主様の為であれば、何でもするぞい。遠慮なく申しつけてくれい。容赦なく使い潰してくれい。そうして主様の夢のために果てられるのなら、それこそが主様のために存在する、魔王としての本望なのじゃ! じゃからもっと妾のことも、少しくらい、頼ってくだされい……っ!」
「……ああ、ありがとう、ニーズ。そしてごめんね。そうだよね、さっき莉子ちゃんに言ったばっかりなのに、もう忘れてたよ」
たとえ自分がどれだけ愚かで、短慮で、狭量でも。
自分にはこんなにも、頼りになる仲間がいる。
ならば自分ひとりで思い悩む必要はないのだと、そう呟いて。
青年は生来の思い切りの良さを、取り戻したようだ。
「……うん、ごめんねアンジェ、ひとりで突っ走るところだった。じゃああとの交渉は、お任せしていいかな?」
「任せてくださいリキエル。貴方の期待に応えることが、私の存在理由です」
「妾も妾も! 主様のためなら世界のひとつやふたつ、灰燼に帰してくれようぞ!」
「……ちっ。なんだよリッキー、最後はけっきょく女に頼るのかよ。それでも男かい? なっさけないなー!」
「うんうん、そうだねえ、でもこれが僕なんだから、もう『仕方がない』よね?」
そう――はっきりと言い切って。
信頼できる仲間たちとともに。
この日、異世界の世界樹は、世界崩壊への第一歩を、踏み出したのであった。
【作者の呟き】
次回から賛否の分かれる内容になると思いますが、とりあえずは自分で設定したゴールを目指して、リキエルくんと一緒に突っ走ってみようと思います。




