第一幕 やっぱり彼女は欲しいよね ⑤
〈理樹視点〉
理樹が妹にアンジェを紹介した日から、
遡ること一週間ほど前に。
時間の凍った空間で交わされた契約は、
以下のようなものである。
ひとつ、これから理樹が異世界へと転移するまでの一年間、アンジェには彼女が合意できる範囲において、彼と恋人関係になってもらうこと。
ふたつ、契約が満期である一年間を迎えたとき、あるいは理樹が自ら契約の打ち切りを申し出た場合は、アンジェに彼が有する『願いを叶える権利』をひとつぶん、譲渡すること。
みっつ、理樹の妹である莉子にその関係性が疑われる、あるいはそれが原因で精神的苦痛を与えた場合は、アンジェとの契約を強制破棄できること。その場合、報酬である『願いを叶える権利』の譲渡は、改めて相談すること。
これらの契約を初対面である超絶美人に申し出た青年の脳裏には、とある日の、妹との会話が浮かんでいた。
『おにーちゃんってさあ、彼女とか、欲しくないの?』
『いやこんな面倒臭い人間に付き合ってくれる奇特な人が、なかなか見つからないのはわかるけどさあ』
『でも妹として、兄がずっと独り身なのは、見ていて不安になるわけですよ』
『このままじゃ安心して死ねないじゃない……な〜んてね!』
『あははは冗談! いや冗談だから!』
『そんな真顔にならないでよ!』
などと笑って、誤魔化すものの。
理樹はそのとき、隠し損ねた妹の本心を、的確に見抜いてしまっていた。
(莉子ちゃんは、僕を心配してくれてるんだ)
彼女のほうこそ、こんなにも理不尽な不遇に晒されているというのに。
我が身よりも兄を案じる妹の優しさが、
理樹にひとつの決意を抱かせる。
彼女を作ろう。
そして妹を安心させよう、と。
(だけど問題は、僕に恋人を作る前提条件が足りな過ぎることだよなあ……)
恋人を含める人間関係とは、一種の投資であると、理樹は考えている。
時間でも。資金でも。
容姿でも。才能でも。
自分の有する何かを投資することで、一定の利益を得られる関係こそが、健全で建設的な人間関係だというのが、理樹の人生観である。
そのような観点からするに、自分には投資材料が著しく不足していると、青年は自覚していた。
時間も、資金も、容姿も、才能も、その全てを投資してもなお、先行きな不透明な妹の入院生活を維持していくには心許ない。
というか、まるで足りない。
両親が残してくれた遺産も数年のうちには無くなるし、元々親戚付き合いが希薄であった利根家には、頼れるような親戚もいない。
そのような負債しか抱えていない人間にわざわざ付き合ってくれる奇特な異性など、理樹には想像もつかなかった。
あの、瞬間までは。
(いやあホント、投資の材料と対象が一緒に向こうからやってきてくれたのは、ラッキーだったよなあ。いやむしろ僕がそう考えることを見越して神様は、アンジェを派遣してくれたのかな?)
たとえ偶然であれ僥倖であれ計略であれ。
手札が揃ったのであれば、
勝負に出ない理由はない。
結果として望外の恋人を手にいれた理樹は、その日のうちに初夜を済ませ、それから一週間の生活をともにして口裏を合わせたのちに、彼女を妹に紹介するという本日に至った訳である。
「ええ、お任せください。理樹様はこの私が、しっかりとお側で支えますので」
無表情で即答するアンジェに、理樹は苦笑。
(それってつまり、常に近くで逃げたり変なことをしないよう、監視するって意味だよね?)
信用されてないなーとは思うものの、それを口にしない程度の分別は、弁えていた青年である。
「……ぷっ。あはっ、あははははっ!」
だがそうした裏事情を知らない少女からすれば、その言葉は、惚気以外の何者でもなかったらしい。
堪らず噴き出して、
窪んだ目元に涙を浮かべる。
「あーもう、こんなことを言ったら失礼かもですけど、カノジョさん、とっても個性的ですね。外人さんだから、ですか? 日本語もところどころおかしいですし。……まあだからこそ、こんなパッとしないおにーちゃんに興味を持ってくれたんでしょうけど」
「アンジェ、です莉子様。そのようにお呼びください」
「オッケーですアンジェさん。だったらわたしもリコって呼んでください。あとおにーちゃんもそうですけど、わたしたちに『様』をつけてくれるのは、丁寧だけど日常だとちょっと浮いてしまいますよ?」
「了解しました、莉子。貴方の提言を、有り難く採用させていただきます」
「だからもー、堅苦しいですってばー。あははははっ」
「……それよりも莉子。理樹のことは私に任せて、貴方は安心して、回復に専念してくださいね」
「み゛っ!?」
尻尾を掴まれた猫のように。
奇妙な声を漏らした莉子が、
瞬時に顔を赤面させる。
「べ、別に、おにーちゃんのことなんて心配していないんですが!?」
「おお、莉子ちゃんがデレた……ありがたやありがたや……」
「っ!? そこ、なに拝んでるの!? キモっ!」
「ぐはあ!」
そんなこんなの遣り取りがあって。
理樹の異世界転移を条件に、この世界の神から与えられた権利を行使することで、長年苦しめられてきた奇病から解放された莉子は、その後は順調に快癒をみせて、三ヶ月後には無事退院の運びとなった。
それから兄が同棲用に買い取ったのだというマンションに引っ越して、通信制の学校に通いながら、アンジェとの共同生活を送ることになる。
「でもでもおにーちゃん、よくこんな立派なマンション買えたね。それも一括で。わたしの治療費が浮いたから?」
「それもあるけど、これに関してはアンジェのおかげかな。……ほら、正直アンジェって、僕が引くほど儲けてるし……」
「……ああ……あの美人面で配信業は、強いよねえ……」
「恐縮です」
ちなみにそうして莉子が病院で回復治療して、
退院するまでの間に。
いつの間にか配信デビューを果たしていたアンジェは、恵まれすぎたルックスと、流暢にして個性的な日本語、そして機械じみた正確な操作技術から、ゲームメインの配信者として大いにバズっていた。
参加した大会でも好成績を残して、ちょっとした流行にもなっている。
そうして叩き出した莫大な収益で税金対策だと言いながら物件や車などを買い、投資信託や保険の加入、株取引やFXを行なって着実に資産形成していく有能美女に、もはや利根兄妹は頭があがらない。
最近では「非効率的ですので」と自ら働くことを禁じられた元勤労青年は、家の炊事洗濯をする合間にアンジェのご機嫌を取ったりゲームの相手をするだけの、完全なる主夫と化していた。
おかげで安定した睡眠時間を確保できているため、長年連れ添ってきた目の下のクマとは離縁している。
「おい人畜! おねーちゃん様の肩が凝っておられるだろうが! 巨乳様を舐めるな! さっさと肩を揉んで差し上げろ、愚図め! あと今日のおやつはプリンでお願いね!」
「へいへい。あと莉子ちゃん、冷蔵庫にアラモードあるから、勉強がひと段落したら食べていいよ〜」
「わーい」
「私には配信映えする食事をお願いします。味は理樹が作るものならなんでも美味しく感じるので、配慮しなくて結構ですよ」
「う〜ん……作り甲斐があるような、ないような……」
「大丈夫。いつも美味しいと感じています」
「ん、だったらいいか」
そんなこんなで。
慌ただしくも、温かくて、幸せで。
夢のような時間が、瞬く間に過ぎ去っていく。
(本当に、僕を選んでくれた神様には感謝しないとね)
聞くところによると、諸事情によって異世界に転移、あるいは転生させられる人間は、今回が初めてではないらしい。
そして彼らには須く、一定の猶予期間が与えられていた。
異世界への準備期間であり、現世への別れをつけるための、整理期間である。
終わりが見えている幸福を、
青年は日々噛み締めていた。
(神様との契約上、転移のことは僕がいなくなるまで教えてあげられないけど、そこはアンジェがフォローしてくれるらしいし、僕がいなくなったあとの生活基盤もなんとかなりそうだから、莉子ちゃんは寂しがるだろうけど、こればっかりは『仕方がない』よね)
そしてアンジェとの邂逅から。
光陰のような一年間が過ぎ去って……
「……理樹」
人気のない、神社の境内にて。
異世界転移があと十数分後に、
差し迫った頃合いに。
「そろそろ私の『願いを叶える権利』を、行使してもよろしいですか?」
アンジェの申し出に、
青年は安堵の笑みを浮かべた。
「勿論だよ。むしろそれだけが、この世界に残していく気がかりだったくらいさ。これまで何度聞いてもはぐらかされてきちゃったけど、なに? とうとう教えてくれる気になったの? さすが配信者、焦らすね〜」
「職種は関係ありません。そもそも引退しましたし」
相変わらずの、無表情のまま。
抑揚のない声音で、淡々と。
「……我らが偉大なる主に、畏れながら、請い願い奉ります」
長い睫毛を伏せて、両手を組み。
天使の輪が浮かぶ金髪を揺らしながら。
「貴方様の恩寵において、私めを、理樹の『権能』にしてくださいませ」
絶世の美女はそのような願いを、
口にしたのであった。
【作者の呟き】
ちなみにアンジェの『天使ちゃんねる』においては、莉子の要望により、コスプレ配信などもありました。




